明治政府の国防戦略 なぜ日本は朝鮮に介入した?
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現在、日本と韓国・北朝鮮の両国との関係が冷え込んでいます。その根底には、日本が朝鮮半島に介入した歴史があると指摘されています。
しかし、なぜ日本は朝鮮に進出したのでしょうか。その背景を知るには、「国際状況の変化」と「地理的な観点」を知らなければ理解できません。
ロシアが極東に来た
日本が朝鮮半島に関心を持ち始めた明治時代、ロシアやイギリスなどの列強国が植民地獲得に明け暮れ、極東への介入を模索していた時代でした。
大国に囲まれたロシアは1860年、中国の清に軍事的な恫喝を行い、アムール川左岸の割譲を得ます。しかし、同地域を含む極東は首都モスクワから遠い地域のため、迅速に軍隊を輸送できる体制を整えるべく、シベリア鉄道の着工に移りました。
ロシアと対立していたイギリスも、庇護国であったカナダに大陸横断鉄道を建設し、太平洋と大西洋を結ぶルートの確保に動きました。
一方、創設から間もない日本陸軍の常備兵力は6万人程度であり、約170万人の兵力であるロシアとは、まともに戦うことはできませんでした。ロシアにとっては、赤子の手をひねるがごとく、日本を侵略できたと言えます。
朝鮮と日本の距離はたった60km
また、日本が危機感を抱いた理由のひとつに、大陸と陸続きである朝鮮との距離の近さが挙げられます。実は、朝鮮と日本の最短距離である釜山~対馬間は約60kmしかありません。これは成田国際空港から都心までの距離と同じあり、艦隊を対馬に派遣されれば、約2時間で到着・攻撃できる距離なのです。
もし、日本が対馬防衛のために、長崎の佐世保から同地に派遣したとしても、6時間以上かかり、対馬防衛には間に合いません。さらに、ロシアの大艦隊が襲来すれば、それだけ増援部隊も必要。当時の兵力からして、事実上対馬の防衛は不可能であり、朝鮮が他国に侵略されれば、日本は存亡の危機に立たされるのです。
これを受け、国軍の父と後に称される山県有朋は、「主権線」と「利益線」という概念を提唱しました。国土防衛である「主権線」を守るためには、日本に密接に関わりのある第3国に進出する敵国を排除するという「利益線」を考えなければならず、その利益線は朝鮮半島に当たると主張。以後、日本の外交・防衛戦略は朝鮮半島情勢を念頭に置かれ、朝鮮半島に介入しようとした清とロシアに戦いを挑むことになるのです。ただし、明治政府の朝鮮に対する姿勢は、あくまでも「独立」と「近代化」を維持しようとするものであり、決して侵略的ではありませんでした。
なお、現代の日本の「利益線」は台湾や南シナ海に相当するでしょう。これらの地域情勢に関心を持つことは、日本の国益を考える意味で重要なことなのです。(山本慧)
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