いまさら聞けない イスラム教の「ジハード」って何?
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「イスラム国」をはじめとするイスラム過激派は、イスラム教の聖典『コーラン』に出てくる「ジハード(聖戦)」の教えを持ち出して、自分たちの戦いを聖戦と正当化しています。では、そもそもジハードとはどういう教えなのでしょうか。
ジハードは2種類に分けられる
日本では、ジハードは「聖戦」と訳されることが多いですが、必ずしも武力を伴うものではありません。
実は、ジハードという言葉の意味は広く、一般的にイスラム教徒の間では、個人の内面との戦いである「大きなジハード」と、外敵との戦いである「小さなジハード」という2つの概念に分けて考えられています。
「大きなジハード」は、イスラムの信仰のために努力することを意味します。自分の心に潜む欲望や利己心などに打ち克つことを目指し、小さなジハードに比べて重要視されています。高潔で道徳的な人物になるために、頑張って早起きして勉強やお祈りをすることなども大きなジハードに含まれます。
「小さなジハード」は、イスラムの信仰を守るために、もし敵から攻撃されたら堂々と戦うというものです。一般的に、聖戦という意味合いで捉えられることが多いのは、この小さなジハードです。ただし、あくまで防衛のための戦いを認めているのであって、侵略を肯定する教えではありません。
それは次のコーランの聖句からも明らかです。
「汝らに戦いを挑むものがあれば、アッラーの道において堂々とこれを迎え撃つがよい。だがこちらから不義をし掛けてはならぬぞ。アッラーは不義をなす者どもをお好きにならぬ」(2章・190節)
ジハードを都合よく解釈する一部の過激派
最も問題なのは、過激派など一部のイスラム教徒が、このジハードの教えを自分たちに都合よく解釈している点です。事実、イスラム国はジハードを「戦争で異教徒やイスラムの背徳者を殺すこと」と捉えています。
彼らは異教徒だけではなく、自分たちの理想の達成を阻むものであれば、同じイスラム教徒であっても敵とみなします。これは、イスラム教徒同士が殺し合うことを禁じているコーランの教えに反することです。
ただ、元々イスラム教は、「平和」や「寛容」を説く宗教です。そうした彼らの中から過激派が生まれ、組織的に暴力を行っている理由や歴史的背景も理解する必要があります。
イスラム教徒も、それと対立するユダヤ教徒・キリスト教徒も、互いの暴力の側面だけを見て悪魔と決めつけるのではなく、歩み寄ることが必要です。(冨)
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