「イスラム国」の問題を通じて中東に、世界に、そして宗教に目を向けよう[HRPニュースファイル1275]
http://hrp-newsfile.jp/2015/2025/
文:幸福実現党世田谷区代表・HS政経塾第二期卒塾生 曽我周作
◆複雑な中東の歴史
先日のISIS(通称「イスラム国」)によって日本人人質が殺害されたとみられる事件について日本中に衝撃が走りましたが、私たち日本人にとっては中東問題の本質についてはなかなか理解が難しいのが現実ではないでしょうか。
2月3日付の当ニュースファイルでは、幸福実現党山形県本部副代表の城取氏が「今まで大半の日本人からすると、中東は『遠くて縁の薄い地域』」だと指摘しいています。また外交評論家の加瀬英明氏も指摘するように、中東の歴史は複雑を極めるといわれます。
私たち日本人は永く単一民族で海に囲まれた国家として和を尊び生きてきたため理解が難しいものの、まずその多民族と宗教の入り乱れる中東の歴史を学ばなければ、現在起きている中東での問題も結局のところ本質が見えず、理解ができないまま翻弄されることになるのではないでしょうか。
◆キリスト教国によって引かれた中東の国境線
それ以前、オスマン・トルコ帝国が支配していた広大な地域に対して、サイクス・ピコ協定といわれるものをもとにして引かれた、定規で引いたような不自然で直線的な国境線は、そこで暮らしている住民の宗教や民族の実態を無視しています。
それを進めたのはキリスト教国であるのイギリスとフランスというヨーロッパの強国であり、植民地支配を進めていた第一次世界大戦後に行なったものです。
自分たちの住む場所に、実態を無視した国境線を引かれたらどう思うでしょうか。
それも、他の国の植民地支配を受け、植民地支配をする国同士で勝手に決めて押し付けられた国境線です。不満が募るのは当然の結果だと言えます。
この国境線の存在と、そこでの分断された民族の問題という一つをとっても、私たち日本人にとってはなかなか理解するに難しい問題です。
◆宗教を教えない戦後教育
イスラム教という宗教についても日本では十分な宗教教育が行われていないため、いったいどのような宗教であるのかについて、それぞれの個々人が自発的に学ぼうとしない限り、ほとんど理解も進まないのが現実です。
そしてそれはキリスト教やユダヤ教についても同様です。敗戦後「宗教」そのものをタブーにして教育の場から追放してしまった結果、日本人は宗教の問題についてとても疎くなっているのではないでしょうか。
宗教を信じない人が戦後増加し、宗教について学ばないゆえに、世界での宗教対立の歴史や現在ただいまの問題についても適切な理解が進まないのではないでしょうか。
◆宗教教育の大切さ
私も知人と話す中で「宗教というものがあるから対立が起こる。宗教がなければいいのだ」というようなことを言われたこともあります。
しかし、それは人間の内心の自由を侵すものであり、単なる「無神論のススメ」であり、何の解決をもたらすものではありません。内心の自由を否定されたならば人間はその自由と尊厳を完全に失うことになります。
また、神や仏の存在を否定した無神論国家の中国や北朝鮮の行っている激しい人権弾圧やその蛮行をみても、神や仏や信仰を否定するとことが人間の目指すべき道ではないと思います。
今私たち日本人は、なぜキリスト教・ユダヤ教文明国とイスラム教文明国との間で対立が起こるのか、戦争はなぜ起きているのか、テロはなぜ起きているのか、イスラム教国内でも内戦が起きているのはなぜなのかについてもっと関心を持たなければなりません。
そして、「イスラム国」などと名乗る過激な集団はなぜ生まれたのか、彼らの掲げる大義は何なのか、ということについて考える中で、中東の問題、宗教に対して理解を深めるべき時が来たのかもしれません。それは必ず世界への理解を深めるものにもつながるはずです。
◆「和をもって尊し」としてきた日本の使命
今回、ISISによる痛ましい人質殺害によって失われたお二人の尊い命の犠牲を無駄にしないためにも、国民の安全を守るための法整備を進めることは当然です。
さらに日本が世界の中で国や宗教や文明間の紛争や対立の調停役を果たせるような国家へと一歩でも歩みを進めるべきです。
平和を愛する国家として、「和をもって尊し」としてきた国家として、その使命を果たすためにも、私たち日本人は今回の事件を契機とし、中東から世界に目を向け、そして宗教というものに目を向ける必要があるのではないでしょうか。
参考:『加瀬英明のイスラム・ノート はじめての中東入門』
『日本は中東から決して退いてはいけない!』HRPニュースファイル2月3日
http://hrp-newsfile.jp/2015/2009/
道徳の教科化、まだ踏み込みが足りない(後編)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9198
井澤一明
プロフィール
(いざわ・かずあき)1958年、静岡県生まれ。7年間で5000件以上のいじめ相談を受け、いじめ解決の専門家として各地の学校などでの講演やTV出演で活躍中。一般財団法人「いじめから子供を守ろうネットワーク」公式サイト http://mamoro.org
大津のいじめ自殺事件を契機に「道徳」の教科化が進んだ。文部科学省は、2018年度から道徳を教科として位置づけるとして、2月4日、学習指導要領の改正案を公表した。道徳の教科化でいじめを防ぐことができるのだろうか。いじめ解決の専門家である井澤一明氏の寄稿の後編をお送りする。
◆ ◆ ◆
ここ最近、「人を殺してみたかった」という動機で起こった殺人事件が世に衝撃を与えた。昨年、佐世保で起きた女子高校生による殺人事件、今年一月に名古屋で起きた女子大学生による殺人事件である。
これらの事件を見るにつけ、道徳教育で「死生観」についても正面から向き合わなければ、意味が無いと分かる。「生命の大切さ」や「人を殺してはいけない理由」を子供たちに教えるには、道徳を超えた「宗教的情操教育」の視点が不可欠である。
◎「良心に基づく行動」に必要な宗教教育
今、子育て世代に『絵本 地獄—千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵』(風涛社)という絵本が大ヒットしている。読者から「子供が変わった」、「しつけに効果絶大」という声が相次いでいるという。「地獄」の様子という宗教的真実を知ることによって、「なぜ悪いことをしてはいけないか」という理由が、実感を伴って分かるようになるということだろう。
2006年に改定された教育基本法の第十五条で、「宗教に関する一般的な教養」の重要性がうたわれており、「道徳科」においても宗教的視点で教えることは推奨されるべきだ。それだけでなく、いじめ問題解決の鍵が「宗教教育」の中にある。
学習指導要領の改定案にあるように、道徳とは、本来「人間としての生き方」を養うためにある。人を傷つけたりいじめたり、泥棒や万引きをすることが「悪」だと教えることから逃げているなら、道徳とは言い難い。「自分のして欲しいことを人にする」「自分がいやなことは人にしない」といった、あらゆる宗教に共通する「黄金律」と呼ばれる基本的ルールを身につけさせなくてはならない。
本来、人が見ていなくても、「良心に基づく行動ができる子」を育てることは、学校教育の目的の一つのはずだ。
しかし、実際のいじめ相談の現場では、「誰が見たのか」「証拠を出せ」「やっていない」と言い張れば、逃げられると考えている加害者が多い。しかも、その親も一緒になって「証拠がないからいじめではない」と言ってはばからない。
良識ある人間を育成してゆかねば、社会は成り立ちがたい。東北の大震災における被災者の節度ある行動は世界中から称賛を受けたが、この精神を未来に引き継ぐのは、私達の責任だ。
文科省には「価値観の押しつけ」や「指導ではなく支援が必要」という声に惑わされず、未来を担う子供たちの「道徳心」を培うため、積極的に道徳教育に邁進してもらいたい。(了)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『教育の法』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=49
幸福の科学出版 『子供たちの夢、母の願い』 大川咲也加著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1347
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2015年2月5日付本欄 「考える道徳」でいじめは減らない 新学習指導要領案を公表
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