リスク強調で煽る反対派は冷静に建設的な議論を
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反対派が最初に焦点を当てたのは、「自衛官の自殺」問題だ。
日本は2001年以降、アフガニスタンやインド洋に自衛隊を派遣。任務についた隊員中、54人が自殺したと報告された。そこから反対派は、「活動範囲が広がれば、自殺が増える」と主張している。
しかし、反対派の指摘は的外れだ。現場の自衛官は、人員や装備の不足、厳しく制限された武器使用基準などに、強い負担感や不安を抱いている。さらに、活動の現場に無頓着なマスコミ報道が、彼らを悩ませている。真に自衛官を気遣うなら、武器使用基準の緩和や装備の拡充を訴えるべきだ。
他には、「海外で自衛隊が攻撃されるリスクが高まる」との指摘もある。だが、そもそも自衛官は、任用に際して「服務の宣誓」(下コラム参照)を行う尊い職業だ。また、海外に派遣されるのは、自ら希望を出した上で、厳しい訓練を受けた自衛官だけに限られる。
リスクばかりを強調する報道には、「大きなお世話」という自衛隊関係者の本音も漏れ聞く。現実に即した冷静な議論が求められる。
憲法学者は、「憲法」と「現実」をつなぐ使命を忘れている
6月4日の衆院憲法審査会で、長谷部恭男・早大教授ら3人の憲法学者が、今回の改正法案について「違憲」と明言。政府に衝撃を与え、反対派を勢いづかせた。
しかし、現憲法下でも自衛権の行使が認められていることから、安倍政権の法改正には、十分な正当性がある。「集団的自衛権の行使は許されない」という基準は一見明快だが、中国の脅威が高まり、友好国との連携が必要になっている国際情勢を考慮していない。
確かに9条には、日本に全面的な武装解除を求めたGHQの影響が色濃く残っているため、文面上難点がある。9条自体を早期に改正すべきという指摘はその通りだ。だからと言って、それは安保法制を否定する理由にならない。
反対する憲法学者は、「憲法で政府を縛る」という、いわゆる立憲主義の考えにこだわっているが、立憲主義の元々の目的は、「国民の幸福の実現」だったはずだ。今の日本のように改正しづらい状況にあるなら、「憲法」と「現実」をいかにつなぐかを考えることも、憲法学者の使命ではないか。
おそらく、反対派の人々には、自衛隊を「暴力装置」とする固定観念があるのだろう。しかし、自衛隊の活動を縛ることばかりを考えていると、侵略国家に国民の自由や権利が奪われるという現実から、目を背けてはならない。
冷静さを欠いた安保法制批判 現代の「ナチス」は中国
前述の憲法審査会が開かれた6月初旬、フィリピンのアキノ大統領が国賓として訪日した。同氏は都内での講演で、平和を脅かす中国をナチス・ドイツになぞらえて批判。また、国会での演説では、安保法制の改正について、「強い尊敬の念をもって注目している」と述べて、日本に期待を示した。
海外首脳が、日本で果敢に発言しているにもかかわらず、国内の反対派は、「安倍首相=ヒトラー」というレッテル貼りをしている。中国の習近平国家主席より安倍首相の方が「ヒトラー」に見えるのであれば、知的冷静さを欠いている。法案の否決は、日本と友好国の分断を狙う中国を喜ばせるだけだ。
安保法制の整備には、十分な大義がある。現政権には、反対派の指摘に真摯に対応しながら、法案成立に尽くしてもらいたい。