元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

「エナジードリンク」常用でカフェイン中毒死 「眠気覚まし」思わぬ危険も

2015-12-22 04:31:12 | 日記

 「エナジードリンク」と呼ばれるカフェイン入り清涼飲料水を長期にわたって頻繁に飲んでいた九州の20代の男性が、カフェイン中毒で死亡していたことが福岡大学法医学教室の分析で分かった。

男性はカフェインの錠剤も飲んでいたが、同教室は飲料の大量摂取が中毒の主な原因とみている。厚生労働省は「国内でのカフェイン中毒死は聞いたことがない」としており、常用による中毒死の報告は国内初とみられる。


 同教室によると、男性は24時間営業のガソリンスタンドの従業員で、深夜から早朝に勤務。そのまま夕方まで起き、しばらく寝てから出勤する生活を繰り返していた。眠気を覚ますためにエナジードリンクを日常的に多用し、カフェイン錠剤も併用していたという。


 男性は昨年、帰宅後に吐いて寝込んでいて容体が急変。数時間後に同居する家族が気付き、救急搬送したが、手遅れだった。死亡の約1年前から体調不良を訴え、吐いて動けなくなることも数回あったという。


 警察の依頼で福岡大の久保真一教授(法医学)が男性を解剖し、カフェインの中毒死と判断、警察に報告した。血中に少量のアルコールが残っており、胃の内容物や血液、尿から高濃度のカフェインが検出されたという。

目立った外傷などはなく、状況から自殺などの目的で故意に大量飲用したのではないという。


 胃の内容物にはカフェイン錠剤とみられる破片もあったが、事件性がなかったことなどから詳しく調べられず、錠剤がどの程度、死亡に影響したかは分からないという。


 海外では、若者を中心にカフェインの過剰摂取が問題化。2000年代からエナジードリンクが販売されている米国では、11年に14歳の少女がエナジードリンクを飲んだ後に死亡する事故が起きたと報道された。

米国では、このほか十数件の死亡例が報告されているという。国内では死亡例の報告はこれまでなく、摂取許容量などの基準は国内にはないという。


 久保教授は「眠気覚ましのため、受験勉強や仕事で、普段から服用するものが使い方によっては健康を害するほど危険なものであることを知ってほしい」と話している。


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新国立、「A案」で政府に報告へ きょう関係閣僚会議

2015-12-22 04:27:33 | 日記

 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設で、二つの業者チームが提案した設計・施工案のうち、「木と緑のスタジアム」を主なコンセプトにしたA案が、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC、大東和美理事長)から政府に報告される見通しになった。22日午前に開かれる関係閣僚会議(議長・遠藤利明五輪担当相)を経て、新しい競技場の姿が決定する。


 JSCは公正な審議のためとして事業者名を明らかにしていないが、関係者によると、A案は大成建設を中心に梓設計、建築家の隈研吾氏で構成するチームが提案した内容。

屋根には鉄骨に木材を組み合わせ、「伝統的な和を創出する」としている。地上5階、地下2階建てで、スタンドは観客の見やすさを考慮した3層構造。高さは49・2メートルと旧計画(実施設計段階)の70メートルに比べて低く抑えた。総工費は約1490億円、完成は19年11月末。

 JSCは19日、建築の専門家らでつくる技術審査委員会(委員長=村上周三・東京大名誉教授、委員7人)が二つの案について、「ユニバーサルデザインの計画」「日本らしさへの配慮」「工費」「維持管理費」など9項目の評価基準で審査。1人140点の計980点で採点した。この結果や競技団体、アスリートらの意見を踏まえ、大東理事長がJSCとしての結論を出すことになっていた。

朝日新聞社


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補正予算編成 バラマキで課題は解決しない

2015-12-22 04:26:04 | 日記

 読売新聞何のための補正予算なのか。その目的と効果を十分に吟味した編成が求められよう。

 政府が、2015年度補正予算の編成作業を進めている。安倍首相が指示したもので、総額は3兆円台前半の見通しだ。年明けに召集される通常国会に提出し、成立を目指す。

 「1億総活躍社会」を実現するための緊急対策や、環太平洋経済連携協定(TPP)の大筋合意に伴う農業対策が柱となる。

 安倍政権が掲げた「介護離職ゼロ」に向けた介護施設の増設などは、早期に着手することで、より大きな効果が期待できよう。

 来年5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)のテロ対策や、災害復旧の費用なども、緊急を要する予算であると理解できる。

 しかし、政府が検討中の内容には、補正予算で手当てする必要が本当にあるのか、疑問が生じる項目が少なくない。

 来夏に参院選を控え、高齢者や地方の要望に応えようと、社会保障の充実やTPP対策に名を借りた、バラマキ的な政策が紛れ込まないか。費用対効果を精査し、厳しく査定すべきだ。

典型的なのは、年金受給額が低い高齢者に1人あたり3万円程度の給付金を支給する案だ。消費税率の引き上げや、円安による物価上昇で家計の負担感が増していることに対応する狙いだという。

 対象者は、約1000万人超に上り、総額3000億円規模の予算が必要となるが、一時的な給付金では効果は限られよう。

 そもそも、低所得で生活が苦しい若い非正規労働者も多いのに、給付対象を年金受給者だけに限ることも理解に苦しむ。

 補正予算で場当たり的に対応するのでなく、社会保障政策全体の中で、低所得者対策をしっかりと議論すべきではないか。

 TPP対策では、農道整備などの土地改良事業が盛り込まれるとみられる。こうした従来型の農業土木事業を積み増しても、農業の競争力強化にはつながるまい。景気浮揚効果も限定的だ。

 農作物の輸出を後押しする海外販路の開拓や、付加価値の高い新商品の開発など「攻めの農業」の支援策に重点を置きたい。

 補正予算の財源は、14年度予算の使い残しと、景気回復で増えた15年度税収の上振れ分で賄う。

 新規国債の発行を回避するのは妥当だが、危機的な財政状況を考えれば、本来、余った予算は借金返済に充てるのが筋であることも忘れてはなるまい。


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やっぱり折れる!?「新3本の矢」 海外識者がダメ出し

2015-12-22 04:25:39 | 日記

やっぱり折れる!?「新3本の矢」 海外識者がダメ出し
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10636

アメリカのシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」で、アジア・太平洋地域を担当するブラド・グロスマン氏がこのほど、アベノミクスの「新3本の矢」に対し、「根本的な問題に対して言及していない」として、日本経済の今後に悲観的な評論を発表した。

ブラド氏は、新3本の矢について「安倍首相の目標は、2020年までにGDPを600兆円にすることだが、それは年に3%の経済成長を必要とする。

それは、1991年以降日本では一度も経験されていない」と指摘。これまでの延長線上では目標を実現できないとした。 

また、女性の活躍を促している点についても「評価できるがそれだけでは、建設業や福祉分野での労働力不足を補うことはできない」とした。

さらに、「移民受け入れは、労働力不足を解決する唯一の方法だが、日本が大量の外国人労働者の受け入れに扉を開くのにノリ気でないことはすでに証明されている」と苦言を呈している。


◎経済成長を「阻んで」いるのは何か

ブラド氏は報告の中で、大きな問題として主に日本の人口減少を考えているようだが、それ以外にも経済成長を阻害する根本的な問題として、20年以上にわたる「大きな政府」「政府権力の拡大」が挙げられるだろう。

具体的には、まず「増税」の問題だ。ブラド氏も指摘するように、日本はバブル崩壊以降、経済が停滞したままだが、消費増税が大きな影響を与えてきた。

欧米とは違って、消費文化が根付いていない日本で消費税率を上げていけば、消費者はすぐに財布のひもを締め、消費が落ち込み、景気も落ち込んでしまう。

2017年には消費税が10%に引き上げられる予定だが、景気が上向かない中で増税すれば、消費が冷え込み、景気が低迷するのは明らかだ。

また、2点目は、政府による民間企業への介入が挙げられる。2012年に安倍政権が発足した当初、アベノミクスの旧3本の矢の中には「規制緩和」が含まれていた。農業や医療への民間の参入、また、企業活動の自由化を目指していたはずだった。

しかし、今年に入ると携帯電話料金の値下げや賃上げ要求など、企業活動への政府の口出しを強化している。この背景には、アベノミクスで経済成長の成果が上がらない、安倍首相の焦りが見え隠れする。

やはり、経済成長を実現するには、民間企業の経済活動を活発化させるために、「小さな政府」を目指さなければならない。

たとえば、税金に関しては、大幅な減税を行い、消費・投資を活発化させることで経済成長を目指すべきだ。消費税率を10%に上げるのではなく、むしろ税率を5%に引き下げるなどすべきだろう。

安倍政権が、「数字上は景気が良くなった」と言って、支持率アップや来年夏に控える参院選を有利に戦おうとしているのは目に見えているが、国民はこれにだまされてはいけない。

政府が民間企業を縛るのではなく、自由に活動させる方向に舵を切れば、日本企業の潜在力が開花するだけでなく、海外の企業や個人が日本を舞台に経済活動を活発化させていくはずだ。そうすれば、GDP600兆円をはるかに上回る繁栄を実現できるだろう。(瑛)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『GDPを1500兆円にする方法 「失われた25年」からの大逆転』 綾織次郎著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1599

【関連記事】
2015年10月19日付本欄 新3本の矢 そのバラマキ分を未来産業に投資してほしい
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10321

2015年9月27日付本欄 「新3本の矢」は消費増税10%への布石 でも確実に折れる
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10244

2015年5月12日付本欄 「移民政策」がアベノミクス "第四の矢"になる理由
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9608


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【『正義の法』を読む】立憲主義をめぐる憲法論争とは何か?

2015-12-22 04:23:11 | 日記

【『正義の法』を読む】立憲主義をめぐる憲法論争とは何か?
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10635

大川隆法・幸福の科学総裁の著作シリーズ2000書目にあたる『正義の法』が、全国の書店で発刊されています。

同書には、現代学問の限界や、小乗仏教の誤った考え、中東紛争の問題、先の大戦をめぐる歴史認識など、多岐にわたるテーマを取り上げ、神仏の立場から視た「正しさの姿」が示されています。

そこで本欄では、『正義の法』に書かれた「立憲主義をめぐる憲法論争」について解説します。


◎法の支配と立憲主義を混同する学者

9月に成立した安全保障関連法に反対していた勢力が、「立憲主義」の重要性を声高に主張していたことは記憶に新しいでしょう。

その一つであるSEALDs(シールズ)のメンバーがこのほど、立憲主義などの実現を目指す研究機関「ReDEMOS(リデモス)」を設立するなど、今も安保法案は関心を集めています。

こうした立憲主義をめぐる憲法論争について、大川総裁は、『正義の法』でこう指摘しています。


「『立憲主義』は、『法の支配』とよく間違われています。

法に基づいて、すべての物事を考えていくという法の支配と立憲主義とを混同しているところがあり、立憲主義を『憲法の支配』という意味に取って、『憲法がすべてを支配しているのだ』という考え方に持っていっているのです

。専門家である憲法学者であっても、立憲主義を法の支配と同じように使っているところがあるのですが、ここには、大きな間違いがあります」

戦力の不保持を定めた憲法9条が象徴するように、護憲派は、現行憲法を金科玉条のごとく守ろうとしています。その姿からは、「憲法は永遠の真理」であると見紛うほどです。

しかし、現実世界と合わなくなれば、国民は憲法をいつでも変えることができます。

あくまでも憲法は、「人権や統治の原理」を定めるためにあるもので、国民主権までも縛ることはできないのです。


◎法治主義と法の支配は考え方が違う

護憲派が勘違いしている「憲法がすべてを支配している」との考えの根本には、法律がすべてを決めるという「法律万能主義」や「理性主義」があります。

こうした考えは、近代哲学を築いた哲学者イマヌエル・カントなどが打ち出したものです。

しかし、いくら理性で考え抜かれた法律であっても、為政者は、それを基に何をしても許されるわけではないはずです。

「悪法も法なり」ということわざがあるように、独裁者・ヒトラーは、法律によって支配するという「法治主義」を利用して、合法的に権力を集中させました。

法治主義だけでは、主権者である国民は、立法する側の為政者をコントロールすることができません。

逆に、為政者によって国民の自由が奪われる、社会主義国家ができてしまう可能性があるのです。

これを防ぐには、経済学者フリードリヒ・ハイエクが述べるように、「法の支配」を尊重した国家の運営を目指すことです。

法の支配とは、「法がどのようにあるべきかという規則のことを指し、あらゆる人々に関係する普遍的で、正義にも適うルールに基づいて国を運営する」というものです。この考えでいけば、恣意的につくられた法律は排除され、国民の自由度も増していきます。

政治学者の中川八洋氏は、「法の支配の『法』とは、人間の意思から超越した古来から神聖な真理のことを意味する」と述べ、法は、つくるものではなく、真理から発見するものだとしています。

「法の支配」と「法治主義」とは似て非なるものなのですが、こちらも混同されがちです。


◎法の支配の根源は「仏法の支配」

では、法の支配を形づくる「普遍的なルール」や「神聖な真理」とはどのようなものでしょうか。

この根源こそ、仏法真理に他なりません。大川総裁の著書『黄金の法』には、「『法の支配』のほんとうの意味は、『仏法の支配』ということです」と書かれています。

かつて仏陀は、千人を殺害した殺人鬼・アングリマーラを回心させ、当時の王様が彼を逮捕することができなかったという出来事がありました。

現代の"法律万能社会"では「逮捕は当然」と思うかもしれませんが、人間がつくった「王法」よりも、真理に則した「仏法」の方が優れているという「法の支配」から見れば、何ら不思議なことではありません。

もちろん、殺人を犯してはならないのは当然ですが、宗教的回心がどれほど偉大であるかを指し示す好例と言えます。そのため、裁判官などの法律に携わる者は、本来、心を清らかにし、真理に基づく生き方が求められるのです。

法と仏法真理には、それほど密接な関係があり、逆に、世界を支配している「法律万能主義」は、神の首を飛ばす危険な考え方なのです。現代の法律には、本来あるべき「神の正義」を取り戻す必要があります。(山本慧)

【関連記事】
2016年1月号記事 ミャンマーのスーチー氏が総選挙に勝利 - 日本の護憲派の"不都合な真実" - The Liberty Opinion 2
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10533

2015年8月号記事 憲法の目的は国民の幸福の実現 - 安保法制の整備を急げ - The Liberty Opinion 3
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9821

2015年1月号記事 実は「自由」でない日本—「自由の大国」を目指して(Webバージョン) - 編集長コラム


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不幸はやめられる――20年以上の心の渇きを癒した真理

2015-12-22 04:21:56 | 日記

不幸はやめられる――20年以上の心の渇きを癒した真理

http://voicee.jp/2015021310725

孤独な専業主婦が心の輝きを掴むまで

「おばちゃん、こういう本、好きなんじゃない?」。十数年前のある日。当時小学生だった息子の友達が私に、書籍『太陽の法』を持ってきてくれました。

地元・鎌倉の福祉関係のお店の前に持ち帰り自由のコーナーあり、そこに置いてあったというのです。日頃から思い悩んでいたような私を見て、気にかけてくれたのかもしれません。

早速読んでみたところ、当時の私にはその内容がとてつもなく壮大でまぶしい感じがしたのを覚えています。その後、数年に1冊のペースで、思い出したように大川先生の本を求めて読むようになりました。大川先生の本を読むと、根無し草のように「空虚な心」がなぜか落ち着いていくのです。

満たされない心の渇き

私は、24歳で医師である夫と見合い結婚をしました。勤務医の夫は、整形外科医として患者さんから慕われ、アメリカに留学して医療技術を修得するなど、とても仕事熱心。妻の私から見ても尊敬できる人でした。

これまで、夫婦ケンカは一度もありません。お互いを信じていたので、多くを語り合うこともなく、日々を淡々と暮らしていました。一男二女も授かり、恵まれた暮らしをしていた私ですが、子育ての最中から、満たされない心の渇きを覚えるようになりました。

その渇きは、子供を寝かしつけた後などに時折襲ってきました。「私には自分の時間なんてない」とため息が出ます。

「今の自分には子育てがある。子供たちも私を求めてきてくれるけど……。こんなに世話をしてあげても、成長したら巣立っていってしまう。で、私に一体何が残るの?」

社会から取り残されていく不安の中で

長男が中学生になると、同級生のお母さんたちは、資格取得や仕事を始めるなど、「自分磨き」をする人も出てきました。それに比べて、相変わらず専業主婦を続けている私。

社会から取り残されていくような感覚は拭いきれませんでした。「私はただ生きてるだけ?」。心にぽっかりと空いた穴はだんだん大きくなっていきます。

仏教研究会のサークルや寺の座禅会、仏像彫刻……。心の渇きを満たしてくれるものを求めて、あれこれ調べたり、子供と一緒に日曜学校に通ったり、聖書を開いたりしたこともありました。

しかし、今ひとつピンとくるものを見つけることはできません。周りからは幸せそうに見えていても、心の中は虚しさと不安があふれています。そのギャップがどうしても埋められませんでした。

心のマグマの爆発

私は感情の起伏が激しく、普段は抑えているものの、ふとした拍子に心のマグマが家族の前で爆発することがありました。

我が家は夫も息子も娘も帰ってくる時間がバラバラ。一人ひとりの帰宅時間に合わせて夕飯の支度をして待っていても、「食べてきた」とさらっと言われたりすると心にグサッときてしまいます。

「勝手にすればいいじゃない!」

私が叫ぶと、皆が驚いてリビングがシーンとなります。泣きじゃくる私を、中学生だった次女が背中をなでながらなぐさめてくれたこともありました。

心にしみた真理の書

3年前、次女の中学受験のメドが立ち、3人の子育てが一息ついた頃から、いよいよ心の空虚感は顕著となっていました。何か不幸なことがあるわけではないのに、私の心の空には光化学スモッグが立ちこめているような、そんな感覚を抱いていました。

その頃からでしょうか。私は、ふと気がつくと幸福の科学の本を手に取るようになっていきました。以前から、「どうしたら幸福になれるか」といった類の本を読んでいましたが、それらは一過性のものにしかすぎませんでした。ところが大川先生の本は、心にしみていくのです。

真理に導いてくれた守護霊からのメッセージ

私はもっと幸福の科学の教えを学びたい、と思うようになりました。しかし世の中にはおかしな宗教がたくさんあるし、気をつけなければ、という思いも心にかすめます。

その時ふと、胸の奥から突き上げるようにこんな言葉が湧いてきました。「ここしかないじゃない!迷っていたってしようがないじゃない!とにかく前に一歩踏み出してみましょうよ!」。

それは、頭で考えているというより、魂のうずきだったのかもしれません。石橋を叩いて渡るタイプの私の中に、こんな考えが眠っていたとは――。後々になってですが、仏法真理を学ぶにつれ、それこそが守護霊からのメッセージであることが分かりました。

先入観とは全く違った幸福の科学のイメージ

幸福の科学に連絡してみると、地域の支部の方が布教誌を持ってきてくださいました。とても明るく好感のもてるその方の様子に魅了され、私は支部に行ってみることにしました。宗教というと、うす暗い建物というイメージがありました。しかし、幸福の科学の支部は白が基調のおしゃれな装飾で、会員の皆さんがニコニコと活動されていたとても驚いたのを覚えています。

それは、身構えて行った私が拍子抜けするほどの明るさでした。その後、私は感無量の思いで三帰誓願をさせていただきました。

「不幸であること」をやめよう

幸福の科学で学び始めてからの最大の発見は、自分が「不幸を愛する心」を常にまとっていたことに気付いたことです。

「あなたほど幸せな人はいないわよ」と、周囲に言われ続けてきた私の人生。その度、「いいえ私だって大変なのよ」と心の中で言ってきたのは、とにかく目立ったり、うらやましがられることは私にとって災難の元だと感じていたからでした。

「体力もないのに3人の子供を育ててきたじゃない。夫もずっと支えてきたし、これ以上何を望むの?」。

小ぢんまりと地味に生きることだけが、人から傷つけられず、自分を守ることになる、と思ってきました。しかし、それでも人目は気になります。苦しみは募るばかりでした。

私は家事の合間に仏法真理を学び、精舎研修にも参加し、真理に照らして自分の人生を振り返っていきました。

思い返せば私は、尊敬すべき夫と可愛い子供たちに囲まれて暮らしてきました。また、幼少時から恵まれた環境で過ごしてきました。それなのに人からちょっと何か言われると、自分の全人格を否定されたと思い込み、90%の幸福を見ないで、たった10%のことでくよくよ悩んで自己卑下し、心の中では相手を責めていたのです。

こうした心の間違いは真理を学ぶうちに徐々に修正されていきました。本当は自分は充分幸せで、その幸せは足元にあったのです。次第に、「人目を気にして苦しむのは止めよう」「仏の眼差しに応えて努力する限り、大丈夫」と、力強く思えるようになりました。

新しい自分との出会い

ある時、支部の法友の女性からこんなことを言われました。

「Mさん、もっと本当の自分を出していいのよ」

とにかく目立たないようにと生きてきた私は、そんなことは考えたこともありませんでした。

その後、支部で明るい法友たちと過ごしていると、不思議と、本当はもっと自由で底抜けに明るい自分がいるんじゃないか、という気がしてきました。それから私は支部で、好きな料理を生かしてクッキングの時間を企画したり、さまざまな集いのお世話をしたりと、魂がイキイキする時を過ごせるようになりました。

自分でも知らなかった個性が出てきたことに驚いています。社会との隔絶感に悩んでいた頃が嘘のようでした。

仏の愛に気付いたからこそ、お返しの人生を

信仰にたどり着いたことで、根無し草のような心に、やっと背骨ができました。大いなる仏と一体なのだと考えることで、私の心の空洞は埋まっていったのです。

今振り返ると、すべての事には意味があったのだということが分かります。様々なつらかったこと――たとえば小学校時代、優等生ぶってる、といじめられたこともありましたが、そんな経験があったからこそ、人の悲しみが分かるようになったのだと思います。また、いろいろな人から「あなたは本当に恵まれてるわよ」と言われ、ネガティブにしか受け取れませんでした。

でも今では、多くを与えられてきたことも、多くの人の幸福に役立っていきなさい、という仏の計らいであったのだと、心から思えるようになりました。

これまで自分が支えてきたとばかり思っていた主人に対しても、私が心の葛藤に苦しんでいる時、穏やかな心で見守っていてくれたことに感謝でいっぱいです。多くの人に支えられて、今あることに心から感謝しています。これからはこの気持ちを大切に、お返しの人生を歩んでまいりたいと思います。

どんな苦しみがあっても、そこから、仏の子として輝いていける――。このメッセージを一人でも多くの方にお伝えしていきます



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