http://voicee.jp/201310317186
私は、学生時代を通して、両親との葛藤があり、他人への恐怖心で苦しんでいました。
しかし、両親の離婚が転機となり、両親との関係を見つめ直し、自分に自信を取り戻すようになりました。
私の体験が、皆さまの参考になれば嬉しいです。
家でも学校でもつらい日々
私が家庭のことで悩み始めたのは、中学生の頃からでした。
親からは、人を責めるようなきつい言葉をいつも浴びせられていました。
家にいても楽しいと思える日が少なく、むしろ学校での授業のほうが楽しいと思えるぐらいでした。
とはいっても、学校ではいじめを受けていたので、毎日悲しい気持ちを抱えたままの生活で、私の心はどんどん追い詰められていきました。
「ヘルメス・エンゼルズ」の言葉を励みに
当時の私にとっての唯一の救いは、今も読み続けている「ヘルメス・エンゼルズ」という幸福の科学の機関誌でした。
この冊子に書いてあった、「誰も必要とされていない人はいない」ということを知ったときは、涙が出ました。
この言葉を励みに、クラスメイトが怖いと思っていながらも、学校は休むことなく通い続けました。
他人への恐怖心
しかし、高校、大学と進学するにつれて、私はだんだん人に対する恐怖心が強くなってしまい、うまく人と交わることができず、電車や学校の席などでは人の視線が気になるようになっていました。
親に対する恐怖心も強くなり、親から何かを言われると、なぜか怒りがとまらなくなったり、自分が本当に心の中で思っていることを言うことができなかったりして、自己嫌悪に陥ってしまいます。
あまり人を悪く思いたくない、という思いもあり、人との距離を置くようになっていたのだと思います。
いじめられていたときもやり返したりせず、両親とは、心のどこかで一線をおいて生活をしていました。
親子関係の壁は人生の問題集
大学を卒業したある日、幸福の科学の支部長と面談する機会がありました。
以前から支部長になら心を開くことができていたので、思い切って自分の本心を伝えてみることにしました。
すると、「親子関係の壁を突破することが、今のあなたの人生の問題集です」というアドバイスをいただきました。
それで、両親との葛藤を乗り越えたいと思うようになりましたが、すぐに解決できるわけではありません。
時には、あまりにもつらく、悲しくて涙がとまらなくなり、逃げたくなるときもありました。
自分は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目に合わなければいけないのかと、環境を恨んでしまう気持ちもありました。
両親の離婚
そんな中、私の心を変える一大転機が訪れました。
両親の離婚が決まったのです。
離婚という事実を聞いたとき、あまりにも急だったので、私はショックを受け、初めて親の前で涙を流しました。
それと同時に、自分がどうしていいのかわからなくて、混乱してしまいました。
心を見つめたり落ち着かせるには、幸福の科学の精舎が一番だと思い、何泊か禅定宿泊(宿泊しながら精舎での時間を過ごすこと)に行くことにしました。
精舎では、館長さんや講師の方と面談をさせていただいたり、礼拝堂でお祈りをしたりして、自分の心を見つめる時間を過ごしました。
面談では、「今のあなたにできることは、最高の自己を差し出すことです」と教えていただきました。
抑え込んでいた父への気持ち
自分にできることは何か、最高の自己を差し出すとはどういうことだろうかと自分なりに考えたときに、ふと、両親に手紙を書いて渡そうと思いました。
ノート数枚の紙っぺらかもしれないけど、自分の思いを伝えようと決意したのです。
以前、「両親に対する反省と感謝」の研修を受けたときにも、手紙を書く機会はありましたが、そのときはまったく書けませんでした
。
しかし今回、礼拝堂で自分の心を落ち着かせながら紙に向かっていると、手紙を書くことができたのです。
抑え込んでいた父への気持ち
手紙を書きながら、それまで抑え込んでいた感情のようなものがこみ上げてきました。
礼拝堂で瞑想しているときにも、心の叫びのようなものが出てきたのです。
それは特に、父親に対する思いでした。
父は無神論者で、幸福の科学や幸福実現党の話をしても、その内容を信じることができない様子でした。
瞑想していると、まず、主エル・カンターレへの謝罪の思いが出てきました。
「お父さんを幸福の科学に導くことができず、ごめんなさい」という声が、心の中から聞こえてきました。
そして次に、父に対するお願い事のような思いが出てきました。
「お父さん、お願いだから幸福の科学を否定するのをもうやめて」と、泣きながら叫んでいる声が聞こえたような感覚がしました。
さらに瞑想を深めていく中で、仏の子としての両親の姿が見えてきて、これを機に、両親を許そうと思えるようになりました。
両親に幸せになってほしい
手紙を書き終え、両親に渡したところ、両親は喜んでくれました。
まだ家の中では荒々しい言葉が飛び交うこともありますが、以前より気にならなくなりました。
私は、自分にできることをやり遂げたという自信がついたのか、以前ほど、両親が怖いと思うことがなくなりました。
振り返ってみると、自分は両親が怖いと思っていたけれども、両親に幸せになってほしいと願う気持ちも、ずっと持っていたことに気づいたのです。 その気持ちに気づいて、自分にも素晴らしいところがあると思えるようになりました。
自分の中にある長所に気づく
私は、両親の離婚をきっかけに、両親に対する見方が変わり、自分の中にある長所を改めて発見することができたと感じています。
両親と普通に会話することができるようになったし、自己嫌悪になることも少なくなり、自分に自信が持てるようになりました。 少しずつですが、自分を好きになることができるようになってきました。
この体験を読んでいただきありがとうございました。
少しでも参考になれれば嬉しいです。
http://voicee.jp/2014071910061
生後2カ月でアトピーに
長男のSは、生後2カ月頃から、目の回りや口もと、わきの下、ひざの裏などに赤い発疹が出はじめました。近くの小児科で診てもらったところ、「アトピー性皮膚炎」と診断されました。私は大きなショックを受けました。
ちょうど世間ではアトピー性皮膚炎が注目されている時期で、何かと話題に――。「アトピーは治りにくい」「ステロイド軟膏は副作用が怖い」「アレルギーの原因は特定しにくい」など、テレビや新聞でもよく取り上げられていたのです。
「これは大変なことになった」と思いました。
泣きたいような毎日
病院からは、一般的な軟膏と、効き目の強いステロイド軟膏を処方されましたが、一時的にはよくなっても、またすぐに出てきます。
「ああ、やっぱり……。アトピーは簡単には治らないんだ……」
かゆみと痛みで泣きぐずる長男をあやしながら、私自身もいつ治るのか不安でたまらず、泣きたいような気持ちで毎日を過ごしました。
そんな日々は、Sが2歳になり、3歳になっても続きました。
あれもこれも試したけれど……
幼稚園生になり、さらに小学校に通う頃になっても、Sのアトピーは治りません。私は、何とかして治してあげたいと躍起になりました。
アトピー治療で有名なお医者さんがいると聞けば、車で片道何時間かかっても通いました。近所のママから、「酸性水が皮膚にいいみたいよ」と聞けば、早速、イオン浄水フィルターを購入。「アトピーに効く」というものは、手当たり次第に試してみました。
毎日の料理にも気をつかい、アレルギーを起こしやすい食べ物は食材から外します。次第にわが家の食事は、肉や油物の少ない、祖父母世代のようなメニューが中心になりました。育ち盛りの息子たちには物足りなかったことと思います。
自分と息子を責める日々
そうするうちに、私は、Sにも下の2人の弟たちにも、めったに笑顔を見せない母親になっていました。心の中は、いつもアトピーに対する不安と焦りでいっぱいだったのです。
時おり、その不安がピークに達すると、「私のせいでSのアトピーは治らないんだ」とひどく自分を責めて落ちこみました。さらにその反動で、「あなたがアトピーだからお母さんはこんなに苦しいのよ」と、今度はSを責めてしまいます。
「これ以上お母さんを苦しめないで!」
そんな言葉をSにぶつけたこともありました。そういうことがあった後は、決まってSのアトピーが悪化するのです。
こうしてアトピーの症状は一進一退をくり返し、やがて、Sは中学生になりました。生後2カ月で発症してから、もう13年です。私の心の中に、「やっぱりアトピーは治らない」というあきらめが深く根づいていました。
不安と重荷を溶かした言葉
そんなとき、『復活の法』にこんな記述を見つけました。
「自分で自分が許せない気持ちを持っていると、それがどこかで病気となって現れてきます」(『復活の法』第2章より)
これは自分のことだ、とハッとしました。
自分と息子を責め続け、湧き上がる不安に駆り立てられるように次々と治療方法を試してきたこの13年。けれども、不安と苦しみは募るばかりで、アトピーは消えませんでした。
しかし、次のページに書かれてある言葉が、私の長年の不安に明るい光を当ててくれたのです。
「自分もまた、仏が、この世に存在することをよしとされた人間なのだ。自分もまた、根源の神が光を与えられた存在なのだ、ということを忘れないでいただきたいのです」(『復活の法』第2章より)
その時、私は自分を包み込んでくれる仏の大きな光を感じました。「大丈夫。仏の子である自分を信じて、さあ、幸せになりなさい」と、心の中からやわらかい声が聞こえます。13年間の不安と重荷が、あたたかい愛に溶かされていくようでした。
もう不安をまき散らさない
『復活の法』に出会ったことで、私ははじめて、自分自身が仏の子であると心から信じることができました。仏の子である私には、明るい未来を思い描き、実現していく力があると信じられたのです。
「同じようにSにも、仏と同じ性質が宿っている。運命を乗り越える強い心と、生命力が宿っているんだ――」
思い返せば、私はいつも家族に、「不安だ、不安だ」と叫び続けていたようなものでした。それがかえって子どもたちを不安にしていたのだと、はじめてわかりました。だから、もう「不安」をまき散らすのはやめようと思いました。そのかわりに、いつも明るく笑って「大丈夫!」と言うことにしたのです。
「大丈夫よ、S。アトピーは必ず治るんだから、大丈夫!」
自分がつかんだ安心感をSの心にも届けたいと思い、くり返し言いました。
「お母さん、最近ニコニコしてるよねー」と、次男のH。
「何かさあ、本当に優しいよねえ」と、三男のEもうれしそうです。
私が心を変えたことで、わが家がどんどん明るくなっていきました。
「お寿司を食べるぞ!!」
『復活の法』を読んでから2カ月が経った3月はじめ。Sの皮膚の変化に気づいた主人が、「ずいぶんよくなったなあ」と驚いて言いました。たしかに、Sのアトピーは目に見えてよくなりました。何よりも、本人が「ぼくは治る!」と確信しているのです。
そしてある日、Sが宣言しました。
「ぼく、絶対にアトピーを治して、4月になったらお寿司を食べるからね!」
Sは、お医者さんからたんぱく質の除去を指示されて以来、2年以上の間、大好物のお寿司を一度も食べていませんでした。
「じゃあ、4月になったらみんなでお寿司を食べようね」
そして、家族が心待ちにした4月1日。Sは念願のお寿司をみんなと一緒に食べました。「おいしい!」と幾つもお寿司をほうばったS。食べ終わった後も、アトピーはまったく出ませんでした。
「あなたは仏の子。だから安心して、自分を信じよう。未来を信じよう」―― 『復活の法』は、シンプルで力強い答えを、私たち家族に与えてくれました。こうして私たちは、苦しかったアトピーとの闘いの日々から抜け出すことができたのです。
すべての人間には、「幸福になる権利」があるだけではなく、
「幸福になる義務」があります。
そして、幸福になる義務は、自分だけにあるのではなく、
ほかの人にもあるのです。
あなたが憎んでいる人にも、幸福になる権利と幸福になる義務があるわけです。
『ストロング・マインド』P.138
※幸福の科学出版
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=61&utm_source=wordsJpn&utm_medium=email
※Amazon
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4863950705/hsmail-22/
産経新聞韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を毀損(きそん)したとして産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が在宅起訴された裁判について、国連で「表現の自由」に関する特別報告を担当する米国の国際法学者、デービッド・ケイ氏(47)が産経新聞の取材に応じ、刑罰を伴う韓国の「名誉毀損」に重大な懸念を表明した。
さらに、国際社会が民主化に不可欠な同法の廃止を求めて働きかけるべきだとの考えを示した。(ロンドン 内藤泰朗)
ケイ氏はまず、韓国検察が加藤前支局長に懲役1年6月を求刑していることについて、「国際人権法などとも矛盾した多くの問題をはらんだ法律」で裁かれようとしていると言明し、国連としても注視していることを明らかにした。
その上で、米国や国際的な人権擁護団体も裁判の行方を見守っており、有罪判決となった場合、韓国は世界から「厳しい批判にさらされることになる」との見通しを示した。
さらに、国際社会が韓国の禁錮刑を伴う「名誉毀損」が国際人権法に反することを訴え、同国のさらなる民主化に向けて同法の廃止を求めていくことが肝要との考えを示した。
ただ、世界には、アフリカ諸国などで、為政者たちが自らへの批判をかわし、自らのプライバシーという名の特権を享受するために重い刑事罰を伴う名誉毀損罪を悪用している国々が多いとして、刑事罰を伴う名誉毀損罪が民主化を妨げていると指摘。国際社会は、刑事罰を伴う名誉毀損罪の廃止に向けて“共闘”すべきだと強調した。
産経新聞 国連で「表現の自由」に関する特別報告を担当するデービッド・ケイ氏(米国)との電話インタビューの一問一答は、次の通り。(ロンドン 内藤泰朗)
--加藤前支局長に有罪判決が出るとは、どういう意味があるのか
「メディアへの刑事罰を伴う名誉毀損(きそん)は、国際人権法などの観点から多くの問題をはらんでおり、重大な懸念をもって今回のケースを注視している」
--どのような懸念か
「全ての人は、情報を得たり、発信したりする権利を平等に有している。だが、そんな情報活動を、禁錮刑を伴うような刑事罰で制限しようとすること自体が、先に述べた人権法にまず矛盾している。加えて、大統領の動向について記者や特派員が報道することは、その情報の公益性においても重要だ。人々には指導者の動静を知る権利があるからだ。
民主国家においては、大統領側はそのことを理解すべきだ」
--大統領にはプライバシーはないのか
「もちろん、大統領にもプライバシーはある。しかし、権力者側はプライバシーという特権に守られ、それを口実に知られたくない事実を秘密にしてはいけない。韓国当局が名誉毀損で記者を立件するなら、まずその報道内容がインチキで悪意に満ちたものであることを証明しなければならない。だが、それにしても、禁錮刑を伴う名誉毀損は、民主国家では許容できるものではない」
--外国人記者だから特別なことはあるか
「人権法の観点からは、外国人にも韓国人にも、公平に適用されるものでなければならず、その違いがあってはならない。ただ、今回は、日本人記者だから、国際社会の関心は高い」
--有罪判決となった場合、国際社会の反応は?
「判決前に、それを確実に予測することはできないが、韓国への批判は厳しいものとなるだろう。当然、該当国である日本政府は反発し、国連もそれなりの懸念を表明することになるはずだ。このほかの国や団体も不満を表明することになるだろう」
--たとえば?
「米国政府は、今回の件に注目している。米国のほか、さまざまな人権擁護団体などが韓国に懸念を表明することになるだろう。問題は、刑事罰を伴う名誉毀損にある。韓国がこれを変えていくよう国際社会が呼びかけていくことが求められている」
--韓国だけが、この問題を抱えているのか
「世界では、まだ名誉毀損に刑事罰を与えているところが多く存在する。たとえば、タイでは、国王を批判してはいけないという法律やアフリカの国々にもこうした問題を抱える国々が多い。こうした名誉毀損罪が、その国の政治家や官僚たちを守るために存在しているというところに大きな問題がある。
為政者たちによる法の悪用をやめさせない限り、民主化は進んでいかないのだ」
時事通信 【北京時事】中国を代表する人権派弁護士の浦志強氏(50)が、中国版ツイッター「微博」での7件の書き込み発信で起訴された事件の初公判が14日、北京市第2中級人民法院(地裁)で開かれ、浦氏は「罪には当たらない」と訴えた。
習近平政権が高く掲げる「法治」を占う試金石と位置付けられるが、訴訟を通じて法治や言論空間を広げようと提起して影響力を高めた浦氏に対する「政治迫害」の色彩の濃い裁判となった。同日結審し、次回公判で判決が言い渡される。
◇外交団・記者を排除
「浦氏のような弁護士が繁栄かつ安定した中国のために貢献するよう認めるべきだ」。米大使館の外交官が法院近くで報道陣を前に声明を読み上げ、浦氏の釈放を求めると、多数の警官が押し掛け、外交官と記者を乱暴に追い払った。中国人記者は「当局は真相を知られることを恐れている」と語った。
法院前では報道陣や外交団のほか、100人以上の浦氏支援者が集結。「浦氏は無罪だ」「言論の自由」と叫んだが、動員された多くの警官が暴力的に排除した。
支持者の中には「陳情の母」と呼ばれた唐慧さんの姿があった。10歳の娘が売春を強要された事件で被告の厳罰を求めて陳情を行った結果、不当な拘束制度で「労働教養」処分を受けた唐さんは浦氏の支援を受け、損害賠償を求めて提訴。2013年に勝訴した。唐さんは取材に「こんなに多くの人が浦さんを支持している」と涙ぐんだ。
◇言論自由拡大に努力
浦氏が「民族の恨みをあおった」として罪状に挙げられた書き込みの一つに、民族間の衝突が深刻化する新疆ウイグル問題で共産党・政府に政策見直しを求めた言論がある。
「天下はすべて王の土地なのか。天下の民はすべて王の家来なのか。
新疆が中国のものと言うなら、植民地として扱わず、征服者や略奪者にならなくてもよいだろう」。
改革派知識人らは「民族の恨みではなく、和解を促す内容だ」と指摘した。
「騒動挑発罪」では、約60年間も全国人民代表大会代表(国会議員に相当)を続ける「労働模範」の女性(86)らを痛烈に皮肉った言論が対象に含まれた。
言論の自由に関する訴訟を専門とする浦氏は03年、有名作家に名誉毀損(きそん)で訴えられた雑誌編集者の代理人を引き受けた際、米連邦最高裁の判例に着目した。
有名な公的人物に対する名誉権の許容範囲を狭め、市民やメディアが政府を監督・批判できる空間を広げようと主張したのだ。浦氏の弁護人は「今回の起訴は(当局が)銃口を自分に向けるようなものだ」と批判する。
上海の人権派弁護士、張雪忠氏は公判を前にネットで文章を公表し、裁判官に向けて「(自身の地位確保など)利益のために法律・正義を踏みにじれば、裁判官としての存在価値を完全否定することになる。
たとえ裁判官のポストにとどまっても生きるしかばねにすぎない」と訴えた。共産党の「政治」の意向よりも「法治」を優先するかどうか、中国司法の在り方が根本から問われている。
STAP細胞が証明された? 小保方氏の研究にもう一度目を向けるべき
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10610
「筋肉細胞が傷つくことで、幹細胞のように何にでも変化する細胞ができた」とする論文が発表されたことにより、ネット上で小保方晴子氏と「STAP細胞」が再び注目されている。
今回論文の題材になったのは、傷がつくことによって幹細胞と似たような働きをするようになったマウスの筋肉細胞で、iMuSCs細胞と呼ばれている。
STAP細胞も、マウスのリンパ細胞を弱酸性溶液に漬けたり、細いガラス管に通すなど「物理的な刺激」を与えることでできる細胞であるとされる。
そもそも、「イモリの細胞が傷つくことで万能細胞化して再生する」ということが着想となっていた。
両細胞が、「物理的な刺激」によってできる、という点で共通していることは確かだ。
マウスの筋肉細胞が、様々な細胞に分化した
話題になっている論文は、英科学誌ネイチャー誌のオープン・アクセス・ジャーナルである「ネイチャー・サイエンティフック・リポーツ」に11月27日付で掲載されたもの。
著者であるテキサス大学医学部ヒューストン校のキンガ・ヴォイニッツ氏らは、傷ついたマウスの筋肉細胞を取り出して培養したところ、その一部が血管やリンパ管を構成する内皮細胞になったことに着目した。
通常、筋肉細胞が途中でそれ以外の種類の細胞に変わることはないからだ。
キンガ氏らは、「筋肉細胞が、『傷』という刺激により、幹細胞の状態に戻ったのではないか」と仮説を立て、研究を行った。
結果的に、iMuSCs細胞は部分的ではあるものの、確かに様々な細胞に分化することが確認できたという。
論文の中では、「体細胞から多能性細胞ができることを証明しようとした先行研究」の例の一つとして、小保方晴子氏が博士課程に在籍していたころ、ティシュー・エンジニアリング誌に投稿した論文を紹介した。このことからも、今回の研究が、STAP細胞を念頭に置いて行われたものであることが伺える。
可能性を否定するのは科学なのか?
iMuSCs細胞とSTAP細胞は、元となる細胞も作成するプロセスも違う。そのため、今回の論文によってSTAP細胞が存在することが証明されたわけではない。
ただ、「体細胞が刺激を受けると多能性を持つ」ことを盲目的に否定することが、科学的ではないとは言えるだろう。
昨年12月、小保方氏がSTAP細胞の再現実験に成功しなかったために「STAP細胞はES細胞だった」と結論付けられてしまった。
ただ、STAP細胞がES細胞と異なる性質を持っていたことは、亡くなった笹井芳樹氏など、幹細胞研究における一流の科学者も確認している。これについては、「見間違い」とされ、はっきりとした説明はされていない。
今や日本の科学界では「STAP細胞」は「研究不正」とセットにされてしまい、タブー視されているが、海外でこの分野の研究は着々と進んでいる。
未来の日本人研究者が、「STAP細胞を目の敵にしたことで、日本の幹細胞研究が大幅に遅れた」と悔しがる光景を目にしたくはない。
小保方氏が発見したものは何だったのだろうか。やはりもう一度、白紙の目でもって、STAP細胞の可能性に目を向ける必要がありそうだ。(河本晴恵)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『小保方晴子博士守護霊インタビュー』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1493
【関連記事】
2015年11月3日付本欄 小保方氏の博士号取り消しが確定 STAP細胞の可能性に目を向けよ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10419
Web限定記事 「STAP細胞はやはり存在する」 小保方氏守護霊が悔しさを吐露
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9876
産経新聞 「航行の自由とは何か。それは“海の基本的人権”とも言えるものだ。中国はそれを公然と踏みにじっている」
元海上自衛隊の自衛艦隊司令官で、各国の軍事情勢に精通する香田洋二氏はこう指摘する。
国際法上の原則では、公海はどの国家の支配下にもなく、全てに開放されている。法を順守し、意図と能力さえあれば誰でも自由に使用することができる。南シナ海で一方的に人工島を造成し、経済権益と軍事優勢を独占しようとする中国は、国際法の常識の外にいる。
香田氏は「日本は海から多くの恩恵を得る海洋国家として、南シナ海問題に真剣に取り組むべきだ」と強調する。
日本がとるべき手段として、自衛隊による南シナ海での哨戒活動や米軍との共同パトロールが取り沙汰されている。ただ、南シナ海に対処することになる海上自衛隊の現在の装備では、限界があるのも事実だ。
海自は現在、P3C哨戒機とP1哨戒機を合わせて約80機、護衛艦約50隻を運用している。世界でも有数の戦力といえるが、定期整備などを考慮すれば稼働できるのは5~7割ほど。その大半は、尖閣諸島周辺や日本海などで自国防衛に準じる任務に奔走している。
海自幹部は「重要なシーレーン(海上交通路)である南シナ海のために海自が何もしなくて良いのかという思いはあるが、本丸の日本周辺を手薄にしてまで戦力を割く余裕はない」と漏らす。
もし政治判断で南シナ海に近い沖縄からP3Cを派遣したとしても、飛行時間の関係から哨戒活動は2時間程度にとどまり、効果には疑問が残る。有効な哨戒活動を行うには南シナ海沿岸国の基地を拠点とする必要があるが、その際は法的地位を定める協定を結ぶことなども求められる。
中国からは「自衛隊による軍事介入」ととらえられ、南シナ海の緊張が増す可能性もある。報復とばかりに足下の東シナ海での活動を活発化させることも考えなければならない。
政府関係者は「世論の反発も予想されるなどデメリットが大きい。哨戒や共同パトロールを目的に自衛隊を南シナ海に派遣することは想定していない」と明かす。
自衛隊が現実的に果たす当面の役割は、大きく2つに絞られそうだ。1つは南シナ海で米軍やフィリピンなど沿岸国との共同訓練を継続・拡大し、自衛隊のプレゼンスを高めること。米国や沿岸国との連携を示すことで、中国を牽制する。
2つ目は沿岸国への装備提供も含めた能力構築支援を強化し、南シナ海のパワーバランスを正常化させること。中国が南シナ海で“冒険主義”に走る背景には、フィリピンやベトナムをはじめとした沿岸国の貧弱な軍事力がある。ハード、ソフト両面にたる支援は日本の得意とするところで、効果も高い。
これらに加え、香田氏はさらに自衛隊が南シナ海でとるべき行動があると主張する。中国が「領海」と主張する南シナ海の人工島周辺12カイリ(約22キロ)内で、海自の護衛艦を走らせることだ。香田氏は「実行すれば、日本は海洋国家として航行の自由を尊重するという何よりのメッセージになる」と述べる。
あえて護衛艦を南シナ海に派遣する必要はない。海自の護衛艦は、アフリカ東部のジブチで海賊対処任務に当たっており、部隊交代のため南シナ海を定期的に航行している。その際、ルートを少し変えて12カイリ以内を通れば済む。軍事的行動ではなく通常の航行なので、哨戒活動などより中国との摩擦も少ない。
香田氏は「これは安全保障や防衛政策とは別問題で、あくまで海洋国家としての日本が主体的にとるべき行動だが、結果として米軍を強烈にエンカレッジすることにもなる。日米同盟は飛躍的に強化されるだろう」と指摘する。(政治部 石鍋圭)
◆「はやぶさ」から「あかつき」に渡されたバトン 宇宙の開拓者たちに拍手を
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10608
日本の惑星探査が幕を開けた。
金星観測を目指す惑星探査機「あかつき」がこのほど、金星を回る軌道に入ることに成功した。日本の探査機が地球以外の惑星の軌道に入ったのは初めて。
あかつきは2010年に軌道投入を試みたものの、主エンジンの故障により、目標としていた軌道から外れてしまった。その間、軌道を修正するため、厳しい太陽熱に耐えつつ、太陽の周りを9周周回。最後は残された姿勢制御用エンジンにすべてが託された。
5年越しの悲願に、研究者たちの喜びもひとしおだ。
JAXA(宇宙航空研究開発機構)の中村正人プロジェクトマネージャーは「本当は5年前に達成していなければいけなかった。肩の荷を下した気持ちでいる」「やっと、世界の惑星探査の仲間入りができた」と、軌道投入までの経過を振り返っている。
◎金星の謎の解明は地球自身の理解につながる
地球から距離が近く、地球の兄弟惑星とも呼ばれている金星。過去、アメリカやロシアも探査機を飛ばしているが、いまだに謎が多い
特に気象はかなり特殊だ。
金星では、「スーパーローテーション」と呼ばれる、金星の自転速度をはるかに超える暴風が吹き荒れ、硫酸の雲が発生している。地球の気象学は全く通用しない。
地球に構造が似た金星の謎を解き明かすことは、地球についての理解につながると言われている。あかつきにかかる期待も大きいだろう。
◎諦めない思いが引き寄せた「はやぶさ」の帰還
今回のあかつきの軌道投入成功を聞いて、小惑星探査機「はやぶさ」を思い出した人もいるかもしれない。
はやぶさは小惑星イトカワの地表から岩石のサンプル採集を行うため、2003年に打ち上げられた。打ち上げから地球に帰還するまで、実に7年60億キロ。この長旅はいつ終わってもおかしくないものだった。
往路では、4個のイオンエンジンのうち、1個が運転を中止。3機の姿勢制御装置も2機故障するなど、出だしから災難に見舞われた。
復路でも、壁が立ちはだかる。
はやぶさはイトカワを離陸後、燃料漏れを起こし、姿勢を乱して、地球と音信不通になった。46日後に奇跡的に通信が復活するものの、姿勢制御装置はすべて故障しており、その後イオンエンジンも全停止した。はやぶさは「翼」を完全に失った。
◎「はやぶさには、人智を超えた領域があった」
相次ぐ困難に、運用チームは智慧を振り絞り、はやぶさのミッションをなんとか成功に導こうとした。
はやぶさのプロジェクトマネージャーだったJAXAの川口淳一郎氏は、本誌2013年2月号特集記事「10年で夢をかなえる 不可能を可能にする『思いの力』」で、はやぶさが音信不通になった当時の状況をこう語っている。
「その時の『はやぶさ』の状態には、自分たちがコントロールできない、人知を超えた領域がありました。あとは運しかないので、幸運であれと願うと同時に、自分たちの守備範囲の努力はちゃんとやったのかを自己点検する意味で、祈りました」
彼らの諦めない思いに天が味方してくれたかのごとく、はやぶさは死力を振り絞り、地球へ帰還。サンプルを無事に地表へ送り届け、大気圏で燃え尽き、その任務と“生涯"を終えた。その姿は映画化されるなど、専門家のみならず、多くの人たちの心を揺さぶった。
奇しくも、あかつきの軌道投入失敗ははやぶさ帰還の半年後と、時期が近かった。はやぶさはあかつきに、「最後まで諦めずにやり抜け」という、見えないバトンを渡したようにも見える。そのあかつきのバトンは、はやぶさの後継機「はやぶさ2」にも確実に受け継がれている。
国産のH2Aロケットが商業衛星を搭載した打ち上げに初めて成功するなど、今、日本の宇宙産業が活気づいている。宇宙の開拓者たちに拍手を送るとともに、宇宙開発のさらなる前進に期待を膨らませたい。(冨野勝寛)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『ロケット博士・糸川英夫の独創的「未来科学発想法」』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1275
【関連記事】
2010年11月号記事 「新時代への夢」第1回 宇宙開発編
http://the-liberty.com/article.php?item_id=103
2014年12月4日付本欄 「はやぶさ2」打ち上げ成功 その次は? 政府は長期ビジョンを示せ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8859
2013年2月号記事 『未来の法』特集 - 10年で夢をかなえる 不可能を可能にする「思いの力」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=5368
2016年1月号記事 未来産業のたまご - アイデアの全体像が心の中にポーンと浮かんでくる - 佐鳥新
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10496
わたしは高校生の時から、なぜ生きなければいけないのか、 何の目的で、生きるのか なぜ勉強しなければいけないのか 人間はどこから生まれ どこに帰るのかが、ずっと疑問でした。
この時に、理想と現実が、かけ離れていて、自己卑下がひどく、本当に死んで全てが終わるなら死にたいと思っていました。
高校生時代は本当に自殺しようと試みたり、東北に行こうと家出をしようとしましたが、上野駅で警察官につかまったり、また胃炎から膵炎になって入院したりと散々んな時でした。
私は一流大学にいって、一流会社に入ることが幸せなると小学生の時から教えられてきました。 みんなそれを信じていましたが、小学生の頃より、それウソだと思っていました。
ひどい高校生活でしたが、それとは違う価値観を言っている人は必ずいる、本が必ず出てと思い、毎週、神田の大きな書店に行って、本を探しました。
数多くのスピリチュアルの本を読みあさりましたが自分の疑問に答える本は、一切ありませんでした。
しかし、ようやく31歳の時に疑問に答えてくれて納得できる本と出会いました。 その本に出合うには14年間もかかり、約300冊以上の本を読んでいました。
その納得できた本の名は「太陽の法」「常勝思考」(幸福の科学出版 )など、大川隆法氏の著作でした。
「自分がどこから来て、どこに帰るのか。今、何の目的で生きているのか」を簡単にズバリと教えてくれるのは、
大川先生の本以外はありません。著作は2000冊突破しました。
私と同じ疑問のある人はおすすめします。
ユネスコ地域委に専門家を派遣 日本政府は対応の遅れを認めるべき
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10609
政府はこのほど、ユネスコのアジア太平洋地域委員会の委員に、芳賀満・東北大教授を就任させる方針を固めた。
アジア太平洋地域委員会は、実質的に記憶遺産登録の最終審議を担った国際諮問委員会へ影響力を持っている。日本の地域委員会への派遣は、地域記憶遺産への関心が低いことを理由にこれまで見送ってきた。
しかし、今年10月、「南京大虐殺」の資料がユネスコ記憶遺産に登録されたことを契機に、記憶遺産における日本の発言力を高める狙いで方針を転換したようだ。
ユネスコに専門家を派遣し、記憶遺産で発言力を高める
国際諮問委員会は欧州やアフリカなどの専門家14人で構成されており、ここに日中韓の委員はいない。
しかし、アジア太平洋地域委員会のメンバーは現在10人で、そのうち中国は議長を含む4人、韓国は1人であり、中韓で半数を占める。しかも、中国の議長は、今回中国が申請した資料を所蔵する中国档案(とうあん)館の副館長だ。
南京大虐殺の文書登録に関しては、「中国が地域委員会を通じ、影響力を行使した」との見方も出ている。
今になって日本人を派遣しても、時すでに遅し。日本政府は南京大虐殺の文書登録を許した事後対応をしているだけである。政府は記憶遺産を巡る問題に真剣に対応せず、効果的な反論をしなかった事実を認める必要がある。
日本政府は記憶遺産に真摯に対応していない
岸田文雄外相はユネスコによる世界記憶遺産の登録を受けて、登録制度見直しに優先的に取り組むとの認識を示したが、それまでは南京大虐殺に関して言及することもなかった。
国際諮問委員会の最終審議が迫る今年9月、最終審議では日本の立場を説明する機会を設ける予定となっていたが、ユネスコには日本政府からの連絡すら無かったという。
また、日本人研究者が中国政府やユネスコへどのように反論しているのか外務省へ問い合わせても「公表できない」と開示を拒否されている。
幸福実現党が明らかにした2つの新事実
一方、幸福実現党は登録決定後もこの問題に取り組んでおり、先日新たな調査結果を発表した。一つは審議過程で資料の現物もしくはコピーの無い中で審議していたという決定判断プロセスのずさんさについて。
そしてもう一つは、「南京大虐殺」を肯定する日本政府の見解が、「登録」の決定打となったことである。
多くの歴史学者の研究で、「南京大虐殺はなかった」ことが証明されているにも関わらず、その声に耳を貸さず、見過ごしてきた日本政府の不作為の罪は大きい。
政府はこれまでの対応の誤りによって、国益を大きく損なったことを認めるべきである。
その上で、政府見解として「南京大虐殺はなかった」とはっきり発表しなければ、国際社会において歴史問題に終止符を打つことはできないだろう。(HS政経塾 油井哲史)
【関連記事】
2015年12月8日付本欄 ユネスコ「南京」登録の決定打は「日本政府が認めているから」 歴史学者の藤岡氏、幸福党の釈党首が会見
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10592
2015年11月9日付本欄 マスコミの黙殺が招いた、ユネスコ記憶遺産への「南京」登録
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10439
2015年11月1日付本欄 ユネスコ記憶遺産 歴史ねつ造をとめなかった「不作為」の罪 岸田外相の責任を問う
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10409
2015年12月号記事 ユネスコの誤審 「南京」記憶遺産 決定の舞台裏 - 現地ルポ× 8カ月追跡取材
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10348
中国メディアの新華網は10日、中国・東北3省の経済指標の「水増し」が想像以上にひどかったと紹介する記事を配信した。
これまで発表されてきた経済成長率にもとづいて計算すると、経済規模が香港以上になる県すらあったという。
中国では、省ごとの総生産の合計が国内総生産(GDP)を大きく上回ることが常態化した。李克強首相ですら、GDPを信用せずに電力消費量や鉄道輸送量にもとづく「李克強指数」を編み出して、経済状況を判断しているという。
「李克強指数」については「経済状況からかけ離れた面がある」との批判もあるが、「水増しが比較的少ない分野」の数字に重きを置いた指標ということが、理由であるようだ。
東北地方の関係者も、数字の水増しのひどさを説く。例えば吉林省人民代表大会財政経済委員会の趙振起きる主任だ。
吉林省を代表する企業として、中国三大自動車メーカーの1つである第一汽車集団がある。趙主任は、「2010年末における第一汽車集団の資産総額は1725億元(約2兆381億円)。
ところが吉林省の投資総額は毎年、1兆元を超える。どれだけ第一汽車集団ができてしまうんだ」と述べた。
さらに、これまで発表されてきた経済成長率にもとづいて計算すると、経
済規模が香港以上になる県すらあったという。
中国中央政府も地方における経済指標の水増しを重視している。対策としては、国家統計局が複数の査察チームを編成し、各地を「巡回」して経済統計をチェックしている。
遼寧省大連市は2015年第1四半期(1-3月)の工業生産額が前年同期比29.9%減と極端に落ち込んだ。
同市「経済と情報化委員会」の于徳虎副主任は、実際には5%減にとどまっていたと述べた。査察の結果、経済統計の主砲として「認められない」とされた部分を排除して計算したための落ち込みが20%分以上あったという。
経済指標の水増しが露呈しないように、地方政府が財政状態を操作することもある。経済状態が活発であることを示そうと、収入がないのにあったことにする。
それをごまかすために、借金をしたり、購入品を減らしたり、本来ならば上部に収めねばならない税をごまかしたり、禁止されている税の納期前徴収を行ったりするという。
日刊スポーツフィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルで6位に終わった浅田真央(25=中京大)がフリー演技から一夜明けた13日、体調不良により予定を変更して帰国の途についた。
この日開催されるエキシビションのメンバーに選ばれていたが、欠場して1日早く日本へ向かった。
フリー演技後に気分が悪くなり、日本代表に帯同している医師の診断を受けた結果、「胃腸炎」を診断された。
小林芳子強化部長は「フリーの日のお昼からむかむかして気分がすぐれなかったと聞きました。すべて終わってホテルに帰ってホッとしたところで、気分が悪くなった」と説明した。
年末には全日本選手権が控えるが、同強化部長が「全日本も頑張ってください」と電話で声をかけると、「はい、頑張ります」と答えたという。
「今後は厳しく法的対処します。ご注意下さい。橋下綜合法律事務所」政治家引退後について橋下氏がツイッターで“告知”
「これから橋下は私人になりますし、当事務所の信用問題にかかわります。今後は橋下の社会的評価を低下させる表現に対しては厳しく法的対処をしていきます。ご注意下さい。橋下綜合法律事務所」
橋下徹大阪市長は13日夜、ツイッターで、18日の市長退任以降について、自身の法律事務所名のこんな「告知」を書き込み、政治家という公人を降りたあとは、“本業”の法律家として対応する姿勢を強調した。
これまでさまざまな相手と論争を繰り広げた橋下氏だが、大阪維新代表辞任から一夜明けた13日もツイッター上で、財政や慰安婦などの問題についてジャーナリストらとほぼ一日中論争。
そのなかで、「橋下に対する批判的表現は公人に対する表現として最大限容認してきました」「メディアや公人などにはバカと言うが、私人個人には言わない。
ただし相手から人格攻撃をしてくればやり返す」と、政治家としての従来のスタンスを強調した。
さらに「僕が激しく批判をしている学者連中は、上から目線で、人をバカにしたような批判を先にしてきた連中。人格攻撃をしてきたバカ学者もいた」とし、今後への予防線をはった。
http://voicee.jp/2015081411368
もっと自分を高めたい
私は、若い頃から「自分を高めたい」という気持ちが強く、建築資材の販売業を営むかたわら、自己啓発系のサークルで学んでいました。
その仲間から幸福の科学を紹介されたのは、1987年のこと。当時発刊されていた霊言書を読んで、これから大きな精神革命が始まることを知り、胸が高鳴りました。
そして89年に入会。友人と共に、地元沖縄の書店に幸福の科学の書籍を置いてもらうSPM活動(※)に取り組むなど、真理伝道に生きる人生が始まったのです。
※SPM活動 スペシャル・プロモーション・メンバーの略。幸福の科学の書籍を書店に置いてもらうために全国で活動する有志の名称。
初めて読んだときの神秘的な体験
書籍『仏陀再誕』を手にしたのは、活動を始めて間もないころです。初めて読んだときの衝撃は、今も鮮明に覚えています。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私の声を憶(おぼ)えているか。
あなたがたは、かつて私の話を聞いたはずである―
その言葉の懐かしい響きに、涙がぽろぽろとこぼれました。「やっと巡り逢えた……!」そんな思いが心の底からあふれ出してきたのです。それは今まで経験したことのない、とても神秘的な感覚でした。
再誕の仏陀の教えを心の指針に
この教えに出合って25年。
その間、結婚や子育て、父・母の死など、数々の出来事がありました。人生の節目においても、『仏陀再誕』で説かれている教えは、私の生きる指針、心の支えであり続けました。
「日々の発見、感動を忘れて慢心していないか」
「欲望に流されていないか」
「向上を目指しているか」
それらの教えがあったからこそ、さまざまな出来事を乗り越える過程で、他の人に寛容になれましたし、動じない心を培うことができました。そして、自分に自信が持てるように変わってきたのです。
『仏陀再誕』を開くと、魂の親が直接語りかけ、諭し、育んでくださる感じがします。皆さんも、魂に染み入る言魂の温もりを感じてください。