◆大川隆法総裁 大講演会「信じられる世界へ」 神の実在を語る
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10618
「正義の法を今、説くのは、『信じられる世界』を建設するためなんです。私たちは、もっともっと信ずることができる世界を生きる権利があります」。
大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は15日夜、千葉・幕張メッセの大講演会で、そう語った。
この講演会は、同グループの2大祭典の1つである「エル・カンターレ祭」。「信じられる世界へ(英題:To the World We Can Believe in)」と題された講演の様子は、同グループの中継網を通じて、全国・全世界3500カ所に同時中継された。
大川総裁は冒頭で、2015年の年初に起きた、国家と宗教の問題について触れ、また、来年2016年がどのような意味を持つ年であるかについて言及した。
その後、今月14日に発刊され、自身の2000書目となる最新刊『正義の法』について、「この法は、来年の、この国への羅針盤となり、この国を導く力となると思います」と語った。
大川総裁は、1981年3月に大悟(悟りを開いて、霊界と同通すること)し、同年7月に、自らが全人類を幸福へと導く使命を持つ、「エル・カンターレ」であることを自覚。86年7月に、大手総合商社を退社・独立し、同年10月に、「幸福の科学」を設立した。
その後、全国・全世界で2400回を超える法話・講演を行い、その内容の多くが、そのまま書籍として発刊され、『正義の法』で2000書を突破。書籍は、英語をはじめ、フランス語、ドイツ語、スペイン語など27言語に翻訳され、世界中の人々の心の指針や、指導者層の羅針盤となっている。
この講演では、他にも、以下のような論点への言及があった。
・ 学問や科学、ジャーナリズムの正しさについて。
・「イスラム国」に対する、先進国の空爆について。
・ 既存の世界宗教では、未来が開けない理由。
・ ホーキング博士やリチャード・ドーキンスの間違いとは。
・ 宗教と学問の関係について。
・「神は死んだのか」について。
・ 真理を伝えることの意味とは。
なお、この講演は、全国・全世界にある幸福の科学の支部、精舎、拠点において、拝聴できる。支部や精舎への問い合わせは、以下の連絡先まで。
・幸福の科学サービスセンター:03-5793-1727(火〜金10〜20時、土日10〜18時)
・同グループサイトの支部・精舎アクセス:http://map.happy-science.jp/
【関連書籍】
幸福の科学出版 『正義の法』特設サイト
http://www.irhpress.co.jp/special/the-laws-of-justice/?utm_source=IRHweb&utm_medium=TOPbanner
幸福の科学出版 メインページ
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【関連記事】
2015年11月26日付本欄 大川隆法総裁が『正義の法』 著作2000冊突破記念パーティーで登壇
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10544
http://voicee.jp/2015031310841
志望校に合格できず浪人が決まる
大学受験で、志望校「不合格」という現実に直面しました。地元の公立校では成績上位でしたが、合格ラインに届くには客観的に見てあまりに実力不足。不合格は当然の結果でした。
私は、「将来貿易の仕事に就き、世界の繁栄に貢献できる人間になりたい」という夢を実現するため、志望校を変えず、大学合格に向けてもう一度勉強をやりなおすことに決めたのです。
孤独に耐えて勉強に打ち込む
親元を離れ、予備校の寮で浪人生活を始めました。予備校のある地域は、ゲームセンターや映画館など遊ぶ場所が山のようにある大都会です。「自分で律して勉強していかないとダメだな」と感じました。
寮での共同生活は、自宅にいたとき以上に人との接点が生じます。中には、浪人したばかりだというのに積極的に友達作りに励んでいる人もいました。
しかし「親に負担をかけて勉強しにきている以上、まずは自分で勉強するペースを作らなくては」と考えました。遊びの誘いはできるだけ断り、寮の自室にこもって勉強するという日々がしばらく続きました。
正直言って、独りで勉強を続けるのはつらいところもありました。すでに楽しい大学生活を送っている同級生の存在。1年間頑張って本当に自分は合格できるのだろうかという不安感が募っていました。
心の支えになった書籍『不動心』
そんなとき、自分を支えてくれたのが仏法真理の言葉でした。「失意のときに失意の底にうち沈まず、常にたんたんと努力する姿勢を、仏神は人間に要求しています」。父が「心の支えにしなさい」と渡してくれた『不動心』を、毎日少しずつ読みながら、苦手な英語を中心に勉強を続けました。
不思議なことに自分の勉強のスタイルができてくると、東大・京大などハイクラスを目指している人たちと自然と話が合うようになったのです。目標も高く、時間のけじめの付いた彼らの存在は、私にとって大変刺激になりました。
ついに合格!精進が自信につながった
浪人時代は成績の上がり下がりもあり、精神的にそれほど余裕はありませんでした。しかし、着実に勉強を重ねてきたからでしょうか。思うように成績が伸びなくとも、「自分はまだ努力できる!」と、自分でも驚くほど前向きな気持ちを持ち続けることができました。
そして、志望校に合格することができたのです。「努力を続ければ必ず成功できる!」と、大きな自信を得ました。孤独を恐れず、勉強に打ち込んだおかげだと実感しています。
◆【南京戦証言】一兵卒が語る「大虐殺はなかった」 ネッツトヨタ愛媛元会長の玉置氏
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10397
中国が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に申請した「南京大虐殺文書」が、ユネスコ記憶遺産に登録されて約1カ月が経つ。
「南京大虐殺」の真偽については、未だに論争が絶えないものの、本誌で繰り返し述べてきたように、「大虐殺はなかった」ということが歴史の真実だ。
本欄では、その根拠の一つとして、第11師団歩兵第22連隊に所属して南京戦に参加し、戦後は、ネッツトヨタ愛媛の会長などを務めた玉置一郎(たまおき・いちろう)氏の証言を紹介する。
玉置氏は、2008年に92歳で亡くなっているが、今回紹介するのは、01年に愛媛県内で行われた講演記録の内容だ。当時の雰囲気とともに「南京大虐殺などなかった」という確信が感じられるだろう。
※引用する証言の部分では、本人が語った言葉をそのまま掲載する。
◎日本男児は入隊を誇りに思った
玉置氏が帝国陸軍に入隊したのは、昭和11(1936)年秋に「徴兵検査」の指令書が送られてきたことがきっかけだ。当時20歳になった男子は、身体検査を義務付けられており、その結果によって、兵士になるか否かが決まった。
同氏によれば、「俺は兵士になどなりたくない」と思う人は誰もおらず、みな合格するのを誇りに感じていたという。
翌年の7月7日、「日中戦争」が全面戦争に至るきっかけとなった盧溝橋事件が発生。玉置氏は軍の命令で召集され、中国大陸に派遣された。中国に向かう様子を、同氏はこう回想している。
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「永津佐比重(ながつ・さひじゅう)という連隊長が将となり、(昭和)12年の8月10日、(松山市の港である)三津浜まで歩いて、完全武装でございます。
もう実弾を全部身体にかける。そういったことですから大変な、身体には、重量の弾や前盒(ぜんごう)後盒(こうごう、共に弾入れのこと)にも満杯の弾が入っております。
そういったことで大変私は、暑くて重かったなという感じが致しますが、前日お酒を飲んだ方は大変で。太陽の熱で倒れる兵隊が、もう何人も何十人も、恐らく100人くらいは出たんじゃないかと思うんです」
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玉置氏は、酒が飲めなかったので、そうした酒酔いの苦労を感じずに、県民の見送りの中を堂々と行進して出陣したという。当時の息づかいが感じられる回想だ。
◎南京戦の状況
玉置氏は数日後、船に揺られて中国に上陸。多くの味方を失いながら前進をし続ける途中、同氏は、敵軍の跳弾(壁などに当たってはねた銃弾)により負傷し、治療を受けた。
だが約1カ月が経った頃、病院生活に退屈を感じ始め、部隊に戻ることを希望。その希望が聞き入れられ、玉置氏はトラックに乗り、鎮江(ちんこう)にいた部隊に合流した。
その後同氏は、敵の首都であった南京に到着する。1937年12月に始まる南京戦について、次のように語っている。
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「我々の隊が入ったのが、12月の末頃はなかったかと思うんです。(中略)
私が感じた南京はもう瓦礫(がれき)や死体や何かは全然なかったんです。そういったものは、整理されておった。(中略)
我々が警備しておった3カ月はもう全然平和そのものでした。そんなことから、30万人の虐殺はなかったでしょうと。30万はおろか、恐らく我々が入ってからは、そんなことは一遍もなかったから、激戦で向こうさんが倒れたのは、何千人か、せいぜい1万人ぐらいだろうと、このように思っておった。
だけど、毎日新聞社から発行しております『日本戦史』(日本の戦史かと思われる)というのも私見たんです。それには、酷い日本の軍隊は大変な乱暴狼藉で暴行、強姦、あるいは相当なことをやったというようなことも書いてございます。
まあ30万は絶対にないんです。ただし3万か4万は戦闘で死んだのか虐殺したのか知りませんが、そういうようなことのようでございました、毎日新聞の『日本戦史』では。
しかしそれも、今言う10万とか20万、30万とかいう数字ではありません。お互いに殺すか殺されるかですから。戦闘して、1万やそこらは少なくとも死んでおると思います。だから30万は絶対に嘘です。そのことだけは私は確信しております」
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こうした貴重な証言が数多くあるにもかかわらず、世界では「南京大虐殺があった」と誤解されている。ユネスコ記憶遺産に登録されたものの、日本政府は、英霊や国家の名誉を回復するために、登録の取り消しを目指して反論するべきだ。
なお、中国の「南京大虐殺文書」が登録に至った経緯については、今月末に発刊される弊誌12月号に詳述されている。(山本慧)
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Web限定記事 ユネスコ記憶遺産 中国の「歴史ねつ造」追及 「南京」が記憶遺産に登録 安倍談話の実害明らかに
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10291
2015年10月15日付本欄 安倍首相、中国に"遺憾外交" 「南京大虐殺はあった」と暗に認めているが…
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10312
2015年10月13日付本欄 幸福実現党が会見 「南京」記憶遺産の撤回を、水間・阿羅氏とともに求める
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10304
http://ryuho-okawa.org/2014/158
日本やドイツは国連憲章で「敵国」とされている
国防の強化や歴史観の見直しを求めだした日本。その姿勢に、中国や韓国は「戦後国際秩序への挑戦だ」と非難。
実は、その根拠の一つに国連憲章があります。そこには「敵国条項」なるものが存在しているのです。これらの条項により、かつて連合国の敵であった日本やドイツの常任理事国入りが困難になっています。
「国連そのものは(第二次世界大戦の)戦勝国の連合であって、戦勝国の筆頭の5カ国が中心になっていて、その体制をずっと変えていません。
敵国条項で『戦った相手を復活させない』ということを目的につくった部分があって、その延長線上に、それ以外の国での紛争も収めようとしている面はあります」(2014年1月9日「『現行日本国憲法』をどう考えるべきか」より)
今の国連はもはや機能不全に陥っている状態
1995年には、敵国条項を廃止するため、日本とドイツが働きかけましたが、正式決定には至りませんでした。しかし、今の国連は、シリア制裁への意見の不一致でもわかるように、もはや機能不全に陥っています。
特に中国は、先の大戦後にウイグルやチベット等を侵略。自らもアジアの平和を脅かす軍事大国でもあります。中国には、もはや常任理事国の資格はありません。
「今のようなままであれば、私は中国が国連の常任理事国を務め続けることに対しては、異議を申し立てたいと考えております。
『国連常任理事国の資格なし』と。要するに、紛争の当事者になってばかりの国に、そんな資格はないと思います」(2012年9月30日「未来への責任」より)
「戦争末期、まだ日本が戦っている時ですけれども、国連憲章ができているのですが、それに書かれている国連の常任理事国の中には、「中華民国」と「ソ連邦」が入っております。
中華民国というのは、台湾のことです。ですから、国連の常任理事国は台湾なのです。
それが、「漁夫の利」で日本軍が降参したことにより、蒋介石軍を台湾に追い出した毛沢東が、中国本土を全部取れてしまったわけで、共産党軍による統一国家というものは、国連の発足時においては、承認されているものではないのです」(2014年1月1日「『正しき心の探究』の大切さについて」より)
日本は常任理事国となって世界平和に貢献すべき
一方、アジアには、平和を愛する日本の常任理事国入りを支持する国々も確かに存在します。2014年1月の日印両首脳会談では、常任理事国・非常任理事国双方の拡大を含む国連改革実現への決意を強調。今後も、日本は、国力に応じた発言力を持つべきです。
「(日本は)客観的に言って、国連の常任理事国入りをするのは当然だと、私は思っております。それを阻んでいるものは、要するに自虐史観で、自分たちの国家を『悪なる国家だ』と思っている部分ですね。
日本が、『自分を守る』という気概を示したならば、それは一定以上の効果を上げることになるだろうと思うし、そうした日本の自主防衛の気概は、おそらく、日本が国連の常任理事国に入っていくような流れと同じようなものになっていくだろうと思います」(2012年5月13日「宗教立国の実現」より)
時代遅れの「敵国条項」を撤廃させ、常任理事国となって世界平和に貢献すること――。その出発点は「日本の誇りを取り戻す」ことにあるのです。
戦後、GHQが日本に行ったウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争責任周知徹底計画)を知っていますか?
GHQは、あらゆるマスコミを検閲し、「日本は侵略した」「日本が悪かった」「日本軍の悪逆非道さ」を映画、ラジオ、新聞、書物などで徹底的に流し続けました。
日本人自身が日本人を全否定するよう誘導し、日本を断罪することによってアメリカの正当化を図ろうとしました。
この自虐史観の洗脳がいまだに解けないのが左翼、朝日新聞をはじめと新聞、テレビ、マスコミです。
先の大戦は自衛のためと、アジアの国々を欧米の植民地から独立させる戦いでした。
70年がたっているというのに、この洗脳が解けない愚かな左翼の人達は真実の歴史を知り、未来の我々のためにも戦ってくれた父祖達を誇りに思い、感謝すべきです。そして日本人としての誇りを取り戻すべきです。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1945_uo_giruto.html
JBpress 米国の歴史学者の一部が長年にわたり慰安婦問題で日本を糾弾してきたが、その運動を主導する米国人女性学者の韓国政府寄りの政治活動がきわめて顕著となってきた。
その学者は、慰安婦問題での事実を正す日本側の学者たちからの抗議に正面から答えないまま、安倍晋三首相を獰猛な「ミツアナグマ(蜜穴熊)」にたとえ、「戦争志向だ」と非難する投稿や「日本の竹島や尖閣諸島は日本には帰属しない」と断じる論文を米紙に寄せている。
こうした“反日・親韓”の政治的言動は、米国での慰安婦問題論議が単なる歴史や人道上の課題ではないことを改めて示しているといってよい。
■ 日本糾弾を繰り返すダデン教授
2015年3月、米国歴史学会(AHA)の機関誌『歴史展望』(Perspective on History)が、コネチカット大学のアレクシス・ダデン教授ら米国の歴史学者20人による日本外務省への非難声明を掲載した。日本外務省は、米国マグロウヒル社が作成した高校教科書の慰安婦に関する記述の間違いについて訂正を求めていた。ダデン教授らはその外務省の動きを「不当な検閲」だなどと非難したのである。
その非難に対して、今度は日本側の学者50人が同じ雑誌『歴史展望』の12月号に反論を掲載した(この一連の動きは本コラム「少しずつよい方向へ動き出した慰安婦問題」でも紹介した)。
すると、日本の英字紙『ジャパン・タイムズ』が12月11日付の記事で、日本側学者50人の反論が米国歴史学会機関誌に載ったことを伝え、そのなかでダデン教授の新たな主張を報じた。
ダデン教授は日本側の学者が否定する「慰安婦の強制連行」などには触れず、慰安婦を現代のナイジェリアのイスラム過激派テロ組織「ボコ・ハラム」の女性略奪に重ねて、日本側を改めて糾弾した。
■ 韓国では「我々の味方の米国人」
日本史を研究する米国人女性学者のダデン氏は、慰安婦問題について一貫して「日本軍が組織的に20万の女性を強制連行した」という主張を曲げず、日本を非難してきた。
昭和天皇を有罪とした東京での模擬裁判「女性国際戦犯法廷」(2000年12月)でも、米国下院の慰安婦問題での日本糾弾決議(2007年7月)でも、中心的な役割を果たした人物である。
ダデン氏は今年、米国や日本の学者、活動家ら約500人から署名を集めて、慰安婦問題について日本政府や安倍首相に謝罪を求める声明を公表した。その署名運動の提唱も推進もダデン氏が主導していた。
ところが、そのダデン氏が実は韓国の政府や民間団体と密着していることが明らかになってきた。日本を叩くのは韓国の立場を有利にするための政治的な動きだったのである。
今年夏から12月にかけて、ダデン氏は慰安婦問題と直接的には関係のない以下のような政治的活動を行ってきた。
・米国のネットメディア「ハフィントン・ポスト」に、安倍首相を人間にも猛獣にも噛みつく獰猛なミツアナグマにたとえ、どの国にも攻撃を仕掛けかねない好戦的な政治家として描き、日本の安保法制関連法に猛反対する論説を掲載した。日本の安保法制関連法には韓国が強く反対している。
・朴槿恵大統領の訪米の直前、韓国政府統一部の黄富起次官に、「オバマ政権は、韓国が慰安婦問題で日本非難を続けることに反対するようになった。よって、朴大統領はワシントンで慰安婦ではなく南北統一の話をするべきだ」と政策上の助言を与えた。
・「日本が竹島や尖閣諸島の主権を主張するのは安倍政権の膨張主義によるものだ。とくに独島(竹島の韓国名)の主権が韓国に帰属することは明白だ」とする意見を「ニューヨーク・タイムズ」への寄稿で主張した。そのほか、韓国メディアに対し、「日本は独島の領有権を主張する資格はまったくない」との見解を述べ続けている。
・朝鮮独立運動家の韓龍雲氏を記念して創設された、韓国の民間の賞「萬海大賞」の2015年平和大賞を受賞した。「安倍首相の歴史歪曲にノーを唱えた」ことが受賞理由だった。ダデン氏は受賞を受けて、「日本が極悪非道の人権犯罪を反省することが韓日関係改善の第一歩」だと述べた。
ダデン氏は以上のように韓国側の官民から「日本を糾弾する、我々の味方の米国人」とみなされ、頼りにされてきた。朴大統領も今年の「3.1独立運動」の記念式典の演説で、ダデン氏の日本非難の言葉を引用して、日本に「勇気をもって誠実に過去の過ちを認めるべきだ」と求めたほどだった。
■ 韓国当局の言論弾圧には抗議をせず
一方、ダデン氏は、慰安婦問題についての著書『帝国の慰安婦』を出した朴裕河・世宗大教授を、韓国の検察が名誉毀損の罪で起訴したことには沈黙を保ったままである。
朴教授は同書で「慰安婦たちは日本軍と同志的な関係にあった」と書いたことで、元慰安婦らの名誉を傷つけたとして起訴された。だが、人道主義的立場から慰安婦たちの悲しみや哀れみもきちんと伝えているという。
2015年11月、この韓国当局の起訴に対して、慰安婦問題で日本政府とは異なる立場をとる日米両国の学者ら54人が抗議声明を出した。米国人学者は4人が名を連ねていたが、ダデン氏の名はなかった。韓国当局のこの種の言論弾圧に対してもダデン氏は抗議をしていない。
一方、韓国政府に政策助言までを与えるダデン氏の政治的な活動は、どうみても真摯な学者や研究者の軌跡とはいえない。日本側としては米国の「学者」たちからの慰安婦問題での糾弾にはこうした政治的要素がたっぷりと含まれていることを銘記すべきでもあろう。
古森 義久
CNN.co.jp北京(CNN) 中国の北京駐在の米英大使館は24日、クリスマスシーズンに伴い北京で人気があるショッピング街に出掛ける欧米諸国出身の買い物客を標的にするテロ攻撃の可能性がある情報を入手したとして自国民らに警戒強化を呼び掛けた。
CNNはこのテロ情報などに関する情報の詳細提供を両大使館に求めたが、返答は現段階でない。
外出での警戒を促したのは北京の三里屯地区。「リース」「ラコステ」など欧米のファッションブランドの店舗や欧米料理の人気店が並ぶ人気スポットになっているという。
両国大使館はクリスマスシーズンの到来に伴い、業務を停止している。
同地区では今年8月、女性が剣で武装した男に白昼、刺殺される事件が発生。フランス国籍の男性も負傷したが、北京の警察当局は動機なき犯行との見方を示していた。
http://ryuho-okawa.org/2014/183
2012年8月、当時の李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領による島根県の竹島上陸以降、急速に日韓関係は悪化しました。そして、2013年2月、朴槿惠(パク・クネ)大統領の就任後、反日活動はさらにエスカレートしています。
朴韓国大統領の本心と韓国国民との意識のズレ
朴大統領が中国にすり寄るのはなぜなのか。幸福の科学グループ創始者大川隆法総裁は2013年6月、朴大統領の守護霊を招霊し、その本心を明かしていました。
「日本がもう1回力をつけて軍国主義化を復活させるっていうことは絶対に、断固阻止しなきゃいけない。そのためだったら中国と事実上の同盟関係を結んででも北(北朝鮮)だけ要するに侵攻さえしないようにしてくれれば中国の言うことを聞く。
日本を攻撃しとけばね、(韓国の)国民に対して弾圧したって国民は黙ってるから」(朴槿惠大統領守護霊)(2013年6月29日「安重根は韓国の英雄か、それとも悪魔か」より)
しかし、その朴大統領の本心とは裏腹に、日本の安倍首相が靖国神社に参拝した後の韓国の世論調査では、「日韓関係の改善のため、大統領は積極的になるべき57.8%」と、日本との関係改善を望む声が上回ったのです。
父である朴正煕元大統領は日韓関係の改善を促している
また、大川総裁は朴槿惠大統領の父、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の霊言も公開しています。父から娘に送られたメッセージ、それは日本との関係改善を促す内容でした。
「『韓国は親日にハンドルを切ったほうがいい』というのが私の考えです
。中国は今後、大きな内部問題を抱えて、大きな“地崩れ”というかそういうものを起こすと思うので。
結局ねえ(朴槿惠大統領は)国内がうまくいってない原因を全部日本に持っていこうとしてるだけなんですよ。
まあそろそろやっぱり、自分たちの『自己責任』のことを考えるべき時が来たんじゃないかね」(朴正煕元大統領)(2013年10月26日「韓国 朴正煕元大統領の霊言」より)
アジアの平和と繁栄のためには新しい日韓関係の構築が必要
このアジアに、平和と繁栄を。そのために必要なことが、大川総裁が数々の提言で示し続ける新しい日韓関係の構築なのです。
「中国や韓国も、日本に対して『一定の折り合いをつけて関係を修復しなきゃいけない』と、あちらのほうも思っているにもかかわらず、自分らの原理・原則、反日でもって国をまとめてきたという実績からそれを変えられないでいる。
だから『反省できないのは自分たちである』ということをもうちょっとよく知ったほうがいい」(2013年10月29日「政治哲学の原点」より)
「韓国は今、大きく変質しようとしています。今の朴大統領の方針のもとついていったら埋没してしまって、国の危機を招くということがだんだんに染み渡ってきておりますので、戦いは実はもう終わっています。
あとこれが終わったことが分かるのにもうちょっと時間がかかりますが、すでに終わっているんです」(2014年1月12日「『忍耐の法』講義」より)
『一方的にGHQより押し付けられ、今でもマスコミや教育界は「自虐史観」が常識で父祖を人類史上に先例のない残虐非道な集団で、自分の国の歴史を悪魔の所業のように描きだし、自国にムチ打ちうっていますが、まったくの捏造です。
我々、日本人の父祖達は国を守ると同時に当時、ほとんどのアジアの国が欧米の植民地にされ、搾取され苦しんでいたのを独立させるために戦いました。その結果アジアで33カ国、アフリカで44カ国が独立するという奇跡が起きました。
日本の捨て身の一撃が、人種差別世界を叩きつぶしたのです。大東亜戦争(太平洋戦争)は、大航海時代以来の欧米諸国によるアジア・アフリカ収奪の歴史に、終止符を打ちました。これは、いくら評価しても評価しきれないほど、大きな事柄です。
人類史上、画期的な出来事といってよいのです。歴史学者H・G・ウェルズも述べています。
「この戦争は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石を置いた」。
その主役を果たしたのが日本でした。あの空前のスケールの戦争だった大東亜戦争の意義が、ここにあります。』
なんてすごいのでしょうか。今の日本人では決してできないことです。未来の我々のためにも戦ってくれた父祖達を誇りに思い、感謝すべきです。
もう子供達に「自虐史観」を教えるのは止めて、この真実の歴史を日本人の共通認識にすべきです。日本人として誇りを取り戻しましょう。日本は侵略していない。日本は悪い国ではなく、すばらしい国です。
ベリリュー島の戦いを率いた中川州男大佐とは? 日米最強軍が激突!
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9269
ペリリュー島の戦いを率いた中川州男大佐とは? 日米最強軍が激突!
陸軍中佐時代の中川州男(Wikipediaより)。
戦後70年を迎える今年、天皇・皇后両陛下は4月、パラオ共和国のペリリュー島に訪問予定です。
ペリリュー島と言えば、1944年9月、中川州男(くにお)大佐(戦死後、2階級特進して中将)が指揮する守備隊1万1000人と米軍4万2000人が戦った地。日本軍は、1万22人の戦死者を出すなど、文字通りの「玉砕戦」が行われ、現在も約2600柱の遺骨が眠っているとされています。天皇陛下は同島に訪れ、亡くなった日本兵を慰霊する予定です。
では、そもそも「ペリリュー島の戦い」とは、どういうものなのでしょうか。
「小さい島の戦闘は2、3日で片付く」
1943年2月、ガダルカナル島を攻略した米軍は、フィリピンへの侵攻ルートを確保するために、日本軍の飛行場があったペリリュー島の攻略を企図しました。ガダルカナル島の戦い以来、戦局は米軍に大きく傾き、米兵内では楽観ムードが漂っていました。
それを示すように、ペリリュー島の上陸作戦を指揮したウィリアム・リュパータス海兵少将は、「こんな小さい島の戦闘は2、3日で片付く。諸君に頼みがある。私への土産に日本軍守備隊指揮官のサムライ・サーベルを持ち帰ってもらいたい」と豪語。作戦には、海兵隊が活躍するプロパガンダ映画製作のために、カメラマン18人を従軍させたほどです。
しかし、その予想は、上陸後すぐに裏切られます。
関東軍最強vs.米軍最強
日本軍は、日本本土に米軍が上陸する日を一日でも長く引き伸ばすために、関東軍最強と評された「第14師団」などを投入し、たこつぼ(1人用の壕)や洞窟などを500余りつくるなどして、島全体を要塞化。玉砕を覚悟とした突進攻撃である「万歳突撃」を禁じ、徹底的な持久戦の構えを見せました。
一方の米軍は、艦砲射撃や焼夷弾などの物量で圧倒し、米軍最強と言われた海兵隊の「第1海兵師団」などを派遣しました。つまり、ペリリュー島では、日米両軍の精鋭部隊同士が激突したと言えます。
中川大佐率いる日本軍は、火力や人員などで圧倒的劣勢の中、2カ月以上にわたって抵抗しました。その間、天皇陛下(故昭和天皇)より、11度の御嘉賞(お褒めの御言葉)が与えられたほどです。
しかし、次第に兵力や弾薬は消耗し、底をついた司令部は玉砕を決定。中川大佐は自決した後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が本土に送られ、残存兵55人が最後の突撃を行ったと言われています。同島での戦い方は、後の「硫黄島の戦い」や「沖縄戦」に影響を与えました。
日本軍の抗戦の激しさを物語るものとして、ペリリュー神社の碑には、太平洋艦隊司令長官を務めたチェスター・ニミッツ元帥の次の言葉が残されています。
「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ」
「中川大佐の霊言」
ところが、戦後、「ペリリュー島の戦い」は、生還者が少なかったためか、広く知られてきませんでした。近年になって、ようやくテレビ番組などで取り上げられるようになりましたが、NHKが昨夏に放送した「狂気の戦場 ペリリュー ~"忘れられた島"の記録~」では、戦争の悲惨さに焦点を当てるなど、中川大佐たちの活躍を伝えるものではありませんでした。
天皇陛下のパラオ訪問に先立ち、大川隆法・幸福の科学グループ総裁は24日、中川大佐の霊言を収録。現地人を疎開させた真相、中川大佐の最期、ペリリュー島を守備した日本兵は今どうなっているのか、など、当事者にしか分からない内容が語られました。
戦後70年に当たり、文字通り「盾」となって日本を守り抜こうとした霊人の声を聞き、先の大戦における日本の評価を見直してはいかがでしょうか。(山本慧)
【関連記事】
2012年9月号記事 太平洋戦争で日本は勝てた―「戦わずして勝つ」編
http://the-liberty.com/article.php?item_id=4623
2012年10月号記事 太平洋戦争で日本は勝てた―「戦っても勝てた」編
http://the-liberty.com/article.php?item_id=4763
2015年3月号記事 日中戦争では残虐だったのか?―日本軍は世界一人道的だった―「永遠の0」も描かなかった真実
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9098
2015年3月号記事「世界宗教」としての日本神道(Webバージョン) ―編集長コラム
http://voicee.jp/2015052211090
七転八倒の苦しみ
今から20年以上前のこと。私は離婚して、郷里の沖縄に帰ってきていました。離婚の原因は、夫の浮気です。「捨てられた」という思いから、生きる気力をなくし、自分がその日ご飯を食べたかどうかさえ分からなくなるほど虚ろな日々を送っていました。
体は常に重く、頭痛は毎日のように襲ってきます。さらには、耳元で「死ね」という不気味なささやきが聞こえてくるようになりました。
もともと私は、高校生の頃から「霊」が時々見えていました。しかし、この時ばかりは、四六時中ほかの誰かに支配されているような七転八倒の苦しみを味わっていたのです。
募る不安を抱えながら病院に行きましたが、検査の結果は全くの異常なし。思い悩んだ末、沖縄の伝統的なユタ信仰の祈祷師のもとを訪れ、「うーとーとー(祈祷)」をしてもらうようになりました。
祈祷して邪霊をとってもらうと、確かに体は軽くなりますが、すぐに発狂しそうなほど苦しい状態に戻ってしまいます。なんとか自分で治せないものかと思いましたが、他に成すすべもなく、しばらく祈祷に頼って生活する状態が続きました。
理解者が欲しかった
霊障状態がひどくなってきてからは、孤独感が一層増し、誰かに理解して欲しいという思いが募りました。
ある日、思い余った私は、幼い頃から、仲の良かった従姉妹を頼って、彼女の経営する花屋に駆け込みました。
「私は、霊の声が聞こえてしまうの。あなただけは信じてくれるよね?」
すると思いがけず、店にいたお客さんが「Sさんて人が幸福の科学やってるから、聞いてみたら」と声をかけてくれたのです。
近くに住むSさんは同級生だったこともあり、あの方だったらと、早速Sさんのお宅を訪れ、これまでの苦しい胸の内を打ち明けました。
熱心に聞いてくれるSさんご夫妻の溢れるような優しさと愛にふれ、私の心は久しぶりに安らぎを取り戻していきました。その時、自分もこのご夫婦のようになりたいと、心から思ったのでした。
ほどなくして、私は幸福の科学に入会し、信仰の道に入りました。
「波長同通の法則」を知り反省を始めた
教えを学び始めてすぐ「波長同通の法則」を知った私は、悪霊が憑いているのは、自分の心が原因だと分かり、ショックを受けました。そこで、毎日の学びと反省を徹底し、悪霊を呼び込む地獄的な心と決別しようと決意したのです。
ところが、いざ経典を開くと、とたんに猛烈な睡魔に襲われてしまいます。それでもようやく『太陽の法』を読んだ私は、素晴らしい心の教えがたくさん説かれていることに只事ではない感じを受けました。もっと勉強したいという気持ちは湧いてくるものの、法話のテープを聞こうとスイッチを入れたとたん眠り込んでしまいます。大川総裁の講演を聞きに衛生中継会場へ行こうにも、体が重く、起き上がることすらできません。
どうしてこんなに自分をコントロールできないのかと、歯がゆさで、悔し涙に暮れました。なぜなら私は、離婚騒ぎで苦労をかけた子どもたちに、何としても、最も尊い「信仰」と、「正しい人生観」を伝えたいという願いを抱くようになっていたからです。自分を立て直さなければと、とにかく学びと反省を毎日続けていきました。
母に愛されていないと感じていた自分に気づいた
経典を読み込むうち、『太陽の法』の「愛の本質とは、まず、与えることなのです」という一節に、はっとしました。私は、愛が欲しくて仕方がなかったのです。
そんな自分を変えたいと思い、深く自分の心を見つめてみました。そうするうちに、母との葛藤に思い至ったのです。
私は小さな頃から、母に愛されていないと感じていました。4人きょうだいのうち、他の3人にはいつも優しく接する母でしたが、私に対しては、愚痴や不満などを、まるで「ゴミ箱」のように次々と吐き出してくるのです。また、常に優秀な兄と比べられ、「あんたは駄目な子だ」と言われ続けていました。自分でも知らず知らずの間に、「私は必要のない子だ」と思い、卑屈になっていたのです。
そうした劣等感を隠すかのように、人より先に意見を言うなど、いつしか自分の優秀性を誇示するような傾向が身についていました。自分を肯定してほしいという思いから、前夫に対しても自分の考えを押し付けてばかりいたのです。
「両親に対する反省と感謝」研修に参加
悪霊憑依の原因は、劣等感からくる奪う愛だったと分かり、私は母との葛藤を何とか解決しようと、総本山・正心館の「両親に対する反省と感謝」研修に参加しました。
自分と似た性格だった父親への感謝はたくさん出てくるものの、母親には憎しみの気持ちばかりが出てきてしまいます。
研修後、私は母の良いところを探して、ノートに書いてみようと思いました。次第に見えてきたのは、母が女手ひとつで4人きょうだいを育ててくれた姿でした。
父の女性問題が原因で別居してからというもの、母は必死で働いて私たちきょうだいを養ってくれました。辛いこと、苦しいことがいっぱいあったに違いありません。
しかし、ある頃からスナックを始めた母を許すことができず、「そんな商売やめてよね」と、ずっと責め続けていた私。それでも母は、何も言わずにじっと耐えていました。
そして、経済的理由から高校には行かないという私に、「私があなたに残してあげられる財産は、教育しかないから」と苦しい家計をやり繰りして、高校を卒業させてくれたのです。
そこまで思い返した時、私は気づいたのです。母が私に愚痴をこぼしていたのは、きょうだいの中でもしっかりしていた私を信頼してくれていたからだということに。
自分は、こんなにも愛されていたんだ――。ポロポロとこぼれ続ける涙に洗われ、心の中に、感謝の気持ちが満ちてくるのを感じました。すると、バリッという感覚と共に、体の重さや頭痛が嘘のように消えていったのです。
感謝からの再出発
その後、憑依状態は完全に直ったわけではなく、半年間は自分との闘いでした。
ふとしたことで悲観的になると、また体が重くなって頭痛が始まってしまいます。それでも経典を読み、反省をしていくと、しばらくして心が明るくなり、ポカポカしてきます。そしてバリッ、と悪霊が離れた感覚があり、また憑依されてたんだとガクッとくることもしばしばでした。それでも、めげずにコツコツと仏法真理の勉強やお祈りを続けていきました。
そんな日々の中で、大川総裁の書籍にあった「男女調和の道、家庭調和の道、家庭ユートピアの道から始まっていくものこそ、ほんとうに世界を救っていく力となるのです」という教えが心に留まりました。一度は結婚に失敗した私ですが、再婚し、多くの方々に光を手向けられるような家庭を築きたい、と心から思ったのです。
その後、同じ信仰を持つ主人と出会い、再婚することができました。今は、主人や子供たちと「おはよう」「ありがとうね」などと、顔を合わせる度に笑顔で言葉を交わす、楽しい家庭を営んでいます。
信仰に出会い、私は本当に強くなれたと思います。それは、自らが仏の子であることを確信し、同じ仏の子である他の人々の幸福のために生きる人生に変わったからです。
感謝に満ちた心こそ、悪霊憑依から立ち直る道――。この教訓を胸に、正しき心を探究しながら生きていくことの大切さを多くの方にお伝えしていきたいです
原爆投下に対するアメリカ人の反省——アメリカ・ラジオ出演報告【2】[HRPニュースファイル1465]
http://hrp-newsfile.jp/2015/2365/
◆アメリカでは「原爆は多くの命を救った」と教える
アメリカ人は子供の頃から学校で、「原爆投下は日本との戦争を終わらせて、アメリカ人の兵士と日本人がこれ以上犠牲にならないようにした。原爆は多くの人の命を救ったんだ」と教えられます。
私が過去に原爆投下について議論したアメリカ人は全員、同じことを言っていました。
「原爆は多くの人の命を救った。」
先週、私は全米のラジオ12局の番組に国際政治コメンテーターとして出演し、と原爆投下について番組で議論をしました。
数年前までなら、原爆の話はタブー、公のラジオ番組で話せる話題ではありませんでした。
しかし、戦後70年目になって、このテーマについて日本人の見方を話してほしいという出演オファーがたくさんきたことに、私は驚きました。
アメリカ人に何か変化が起きているのです。冷静に歴史を振り返ろうとしているのがわかりました。
◆日本人は原爆投下の理由に疑問を持っている
番組の司会者は私に「戦後70年、日本人は今、原爆投下についてどういう見方をしているんですか?」と聞いてきました。
私の答えは、「日本は間違った戦争をして、多くのアジア人に苦痛を与え、パールハーバーに宣戦布告せずに卑怯な奇襲攻撃をした。原爆は日本が戦争をした結果であり、戦争したこと自体が罪。日本人はそう信じてきました。」
「しかし、70年が過ぎて、『原爆投下は戦争を終わらせるために本当に必要だったのか?』という疑問を多くの日本人が持つようになりました。なぜなら、歴史の新たな証拠が明らかになってきたからです。」
「たとえば、アイゼンハワーは、原爆投下前、『日本はすでに無条件降伏の覚悟をしている。原爆投下の必要はない」とトルーマン大統領に報告していますね。トルーマン政権はこの事実を知っていながら、別の理由で原爆を使ったのではないですか。」
私はその「別の理由」までは語りませんでした。番組司会者とその向こうにいるリスナーたちの苦しい息遣いが聞こえる感じがしたからです。
◆アメリカは必ず原爆投下を反省する
しかし、ハッキリ申し上げたのは、「20万人の民間人を殺したのは、戦争犯罪であり、国際法違反以外の何物でもない。『じゃあ、パールハーバーの襲撃はどうなんだ?』と言われるかもしれないが、日本軍は軍艦と軍事施設を攻撃したのであって、民間人を襲ってはいない」。
番組司会者が反発してくることを想定していましたが、短い反応から、これは彼らが初めて教えられる話だとわかりました。
「戦後70年の今こそ、お互いに感情的な議論はやめて、歴史の事実を冷静に見つめませんか。」「お互いを批判しあうためではない。日米が二度と同じ歴史を繰り返さないためだ。」
すると、ある番組司会者が、「私は心からあなたの意見に賛同する。」
その瞬間、アメリカ人は罪を反省していると感じました。
「私の政党、幸福実現党は日本で『原爆投下は人類への罪か?』という書籍を発刊しています。実は、この本の英語版をアメリカで出しました。この番組をお聞きのみなさん、是非読んでほしい。」
司会者は、この本の紹介を繰り返して、リスナーに読むように呼びかけていました。
私は、今回のラジオ出演を通して、ある確信を得ました。「アメリカが原爆投下を反省する時が必ずくる」ということです。
参考
『原爆投下は人類への罪か?——公開霊言トルーマン&F・ルーズベルトの新証言』
大川隆法著/幸福の科学出版
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=969
原爆投下の真相が、ついに明らかになる!
終戦間際の戦意なき日本に、
なぜアメリカは2発の原爆を投下したのか!?
当時の驚くべき真相を、2人の米大統領が語る
文/幸福実現党・外務局長及川幸久
今上天皇、82歳の誕生日 民間船への攻撃はアメリカの戦争犯罪
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10681
天皇陛下が、12月23日に82歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち、陛下は記者会見に臨まれた。今年は戦後70年という節目の年だったとした上で、「さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います」と振り返り、「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と話された。
陛下は、会見時間の多くを戦争と平和への思いに費やされた。その中でも、先の大戦で日本軍に徴用された民間船が、米軍の攻撃で犠牲になった例に触れ、言葉を詰まらせながら次のように語られた。
「私も小さい時、船の絵はがきを見て楽しんだことがありますが、それらの船は、病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」
◎民間船攻撃は国際法違反
陛下が、米軍の民間船攻撃に触れられた点には意義がある。当時の米軍は、南方に展開する日本軍の兵站を断つため、非武装である日本の民間船を無差別に沈めた。その中には病院船も含まれていたが、これは明らかな国際法違反だ。
米軍は、戦争に勝つためには手段を選ばない戦闘行為を犯し続けた。広島・長崎への原爆投下の例を出すまでもないだろう。一方、武士道精神を抱く日本は、「軍人対軍人」の決戦思想を持ち、民間人への攻撃を潔しとはしなかった。アメリカが批判する、真珠湾攻撃も、民間人を標的にしたものではない。
◎A級戦犯が処刑された日
また、12月23日は、A級戦犯とされた東條英機・元首相ら7人が死刑になった日でもある。
死刑判決を下した極東国際軍事裁判(東京裁判)は、米英などの連合国が、「いかに日本は悪者であったのか」という結論ありきで行ったものである。その不当性を示す根拠は挙げればきりがないほどで、処刑された東條は、今も「戦犯」という汚名を着せられている。
A級戦犯が起訴された日は、昭和天皇の誕生日である4月28日。そして、死刑になったのは、今上天皇の誕生日である12月23日。アメリカは、皇室にまつわる日を政治利用し、日本の誇りを傷つけたのだ。
来年は、東京裁判開廷70年を迎える節目の年。東京裁判を取り上げるニュースも今後増えるだろう。日本が掲げた「アジアの植民地解放と自衛戦争」という大義を語り継がなければならない。(山本慧)
【関連記事】
2015年12月22日付本欄 「東京裁判は復讐劇だった」 H・ストークス氏が講演
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2015年12月16日付本欄 オバマ大統領が日系人強制収容を例にイスラム教徒差別反対 戦勝国史観も反省を
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10622
2015年12月11日付本欄 人種差別主義のウィルソン元米大統領 プリンストン大学の黒人学生が抗議
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10603
2015年12月10日付本欄 トランプ氏「イスラム教徒排斥」発言が批判されるなら、「日本人排斥」の歴史も見直すべき
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10600
右脳の大きさが幸福感を決める!? 脳科学の発展には霊的視点が必要
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10679
右脳の特定部位が大きいほど幸福感が強いという研究結果がこのほど、英「サイエンティフリックリポーツ(Scientific Reports)」に発表された。
研究を行ったのは京都大学医学研究科の佐藤弥准教授ら。平均年齢22.5歳の男女51人を対象に、磁気共鳴画像装置(MRI)を使って、脳を検査した。
その後、「生きる上で目標や計画はあるか」など、約50項目から成る幸福感を尋ねるアンケートを実施し、回答結果を数値化。その結果、幸福感が強い人ほど、右脳の内側にある「楔前部(けつぜんぶ)」の体積が大きいことが分かったという。
佐藤准教授は、「アリストテレスなどの学者が取り組んできた『幸福とは何か』という問題に、自分なりの科学的解答が出せて幸福」と、研究結果について語っている。また、今後研究が進めば、幸福という主観的なものを、客観的・科学的に調べることができるようになるかもしれないとしている。
脳の構造には未知なる部分が多い。今回の研究は、その一端を解明する手掛かりになるものと言えるだろう。同時に、「人間とはどういう存在か」について、ますます知る必要がある。
◎霊的視点を踏まえた人生観は幸福を論じる前提
霊的な視点から見ると、人間とは霊を本質とし、この世とあの世を転生輪廻し、魂を磨いている存在だ。魂の乗り物である肉体だけを見ていては、人間の本質である魂にアプローチすることはできない。心は脳がつくり出しているとする唯脳論には限界がある。
霊的視点を踏まえた人生観や死生観を持つことは、「幸福とは何か」を論じる上での前提だ。
◎脳はコンピューターの回路
一方で、宗教的な立場から、人間の脳の役割を探究することも必要だ。大川総裁は、著書『新・心の探究』で、脳と心の関係について、次のように語っている。
「まず心が脳か、脳が心か、という問題になると思います。結論から先にいえば、これは違うということになります。脳というのは結局、心との連絡作用の場所であり、連絡回路だからです。いわば、これはコンピューターでいう回路なんです」
幸福についても、まず心が幸福を感じ取り、その感情が脳に伝えられることで、脳の機能に影響が出ているとも考えられる。脳の一部が大きいから幸福であるという見方であれば、因果が逆だろう。幸福であるかどうかは、本来、自分自身で決めていけるもので、脳の大きさとは関係ない。
脳科学の発展は、人間の心や魂といった宗教的価値観と密接な関係がありそうだ。学問と宗教の融合こそが今後、カギとなるだろう。(冨野勝寛)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『幸福の科学大学創立者の精神を学ぶII(概論)』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1229
幸福の科学出版 『本当に心は脳の作用か?』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1299
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2013年2月号記事 唯物論、唯脳論はもう古い - 最新医学が明かす「死後の世界」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=5364
2009年2月号記事 「病は気から」を科学する1
http://the-liberty.com/article.php?item_id=958
2015年6月19日付本欄 ヒト型ロボット「ペッパー」一般販売へ 唯物的な脳科学で心はつくれない
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9772
朝日新聞デジタル 国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は22日、日本のフリージャーナリスト安田純平さん(41)が、中東シリアで武装勢力に拉致されて身代金を要求されている、と伝えた。ホームページ上に出した声明で、日本政府に対して救出に全力をつくすよう求めた。
同記者団によると、安田さんは7月初めにシリアに入った直後に拉致された。米国がテロ組織に指定するアルカイダ系武装組織「ヌスラ戦線」が支配している地域だという。同記者団が21日に入手した情報では、武装勢力は身代金を要求している。
実行されない場合は、安田さんを殺害するか他のテロ組織に身柄を売り渡すと脅しているとしており、詳細は明らかでないが、身代金支払いの期限も設定されているという。
同記者団アジア・太平洋地区担当、ベンジャマン・イスマイール氏は「日本政府がジャーナリストの救出に必要な措置をとるよう求める」とコメントしている。
一方、日本政府関係者によると、同記者団が入手した情報に、政府は接していないという。安田さんと親しいフリージャーナリストの常岡浩介さん(46)は「声明では身代金の要求に触れているが、安田さんの奥さんら家族にそのような要求はされていない。情報の出所も不明で信憑(しんぴょう)性がない」と話した。常岡さんは行方不明の安田さんの妻と連絡を取り合っているという。(パリ=青田秀樹)