年明けから実施されるマイナンバー(社会保障・税番号制度)について、個人番号が記載された通知カードの誤配達や詐欺などが起きているといった報道を目にする。そうしたなか、実際にマイナンバー実務を行う企業現場は、どんな対応を進めているのだろうか。
今回、筆者はビジネス誌「プレジデント」(プレジデント社)のマイナンバー特集に一部かかわった。担当記事のひとつは、東京証券取引所上場企業の9割が購読するという人事系専門誌「労政時報」(労務行政)が実施したマイナンバーに関する企業アンケート結果の分析だ。
アンケートは11月11日~18日、定期購読者向けサイト「WEB労政時報」の登録者のうち、企業規模を問わず本社に勤務する人事労務・総務担当者を対象に行われた。水産・食品からサービス業まで有効回答数は417社で、回答者の6割近くが対応責任者である役員や部長・次長・課長クラスだった。
この調査では、意外な結果もいくつかあった。それらを紹介しつつ、企業現場の実情を中心に同制度を考えてみたい。
●マイナンバー実務に必死に取り組む総務部・人事部
調査で浮き彫りとなったのは、マイナンバー実務に取り組む総務部や人事部の真摯な姿だ。たとえば11月時点で、個人番号の収集事務を進めている企業は98.8%に上った。マイナンバー法で定められた「事務取扱担当者」への教育・研修を行う企業もほぼ9割(89.2%)あり、一般従業員への教育・研修も6割以上の企業が行うと回答した。
「今回のマイナンバー制度は、告知から本格導入までの準備期間が短いなか、11月半ばで99%の企業が収集事務に取り組むのは予想以上でした。社内への教育では、従業員を集めて内閣府の動画を視聴する例も目立ちました。思ったより対応が進んでいることに役所側は安堵したそうです」(「労政時報」編集長・荻野敏成氏)
これから本格化する個人番号の収集に対して、総務や人事が懸念するのは、社内・社外の個別ケースにおける困難さだ。同法では個人番号の提供とともに、身分証明書などによる身元(実在)確認をすることが定められている。
まず社内では「意思を持って提供しない」従業員への対応がある。実は、マイナンバー法には個人番号を提供する義務がない。ただし、役所などに提出する義務はある。そうなると、なんらかの信条で番号提供をしない従業員も考えられるが、特に大企業や上場企業では社会的責任も意識して可能な限りきちんと集めたい。「外国籍の従業員から問い合わせがあった場合、相手が納得する説明がその国の言語でできるか」を心配する声もあった。
社外からの収集は、さらに多岐にわたる。たとえば「借り上げ社宅の大家さんには高齢者が多く、制度をどこまで理解していただけるか」「退職者への通知や、社外の人への報酬支払いに際して、個人番号収集が問題なくできるかが心配」といった声が上がった。
マイナンバー制度に精通する影島広泰弁護士によれば、外部からの収集が最も難しいのは、建設業界の担当者だという。労働者を雇用しないで自分1人で営む「一人親方」もいれば、各現場の作業を担う「日雇い労働者」もいる。頻繁に作業現場が変わる日雇い労働者が、毎回個人番号を提示し、身元確認をさせてくれるのか。一日限りで働く外部労働者に対するガイドラインは、本稿執筆の12月18日段階でまだ示されていない。
●直前に方針が変わることもあり、専門家への問い合わせが続く
今回の調査では、マイナンバー対応に要した初期費用も聞いたが、半数近い企業が「50万円未満」だった。回答者には大企業も多いが意外と定額に収まっている印象だ。この初期費用には、新たに人材を採用したような人的費用は含まれないが、93.5%の企業は事務取扱部門の人員を増やしていない。新たな業務が増えるなか、費用を抑えて現有戦力で対応するようだ。
その大きな理由としては、情報漏洩に関する罰則規定が厳しく、故意ではなく不注意による漏洩でもレピュテーション・リスク(企業評判の低下)につながるなど、取り扱いに関するデリケートな一面が挙げられる。企業現場をさらに悩ますのは、当初の通達によって進めてきた対応が直前になって変更されることだ。
たとえば大半の企業で、従業員に12月の給与明細書に同封される源泉徴収票には、当初は個人番号の記載義務があったが、10月2日に所得税法施行規則が再改正されて、その記載義務がなくなった。事務作業に追われる現場にとっては朗報だが、「簡素化する方向転換は歓迎するが、元々無理があるルールについては方向転換を早く決定すべき」(大手製造業の部長)という現場の苛立ちもある。「企業の対応疲れ」も気になる点だ。
このような方針変更も目立ち、「導入直前のこの時期になっても、専門家のもとには企業の担当者からひっきりなしに問い合わせが入っています。個別の取り扱いを役所に聞いても明確な答えが返ってこず、なかには厚生労働省と国税庁で見解が異なる回答もあるからです」(『プレジデント』編集部の面澤淳市氏)。
国は企業に対して厳格な取り扱いを指導しており、なかには「情報漏洩のリスクを考え、インターネットにつながないマイナンバー専用パソコンを購入した」企業もあるが、企業現場からは逆に「行政のセキュリティー対策が心配」と指摘する声も目立った。
面澤氏が取材したなかには「可能性は小さいと思うが」と前置きしたうえで、「もし今後、マイナンバー関連の汚職や情報漏洩事件が続いて、国民の間にマイナンバーへのネガティブイメージが定着すると、運用面でどんどん規制が強まり、まるで使えない制度になってしまう恐れがないわけではない」と懸念する専門家もいた。
●スタートしてからの問題はあるが、様子見しながら対応
そうした問題点だけではなく、企業の冷静な姿勢も伝えておこう。
Business Journalこの10年で考えると、2005年に全面施行された「個人情報保護法」や06年の「内部統制」(大会社及び関連会社に義務づけ)への対応で学んだ企業ほど、マイナンバーと冷静に向き合っているようだ。「現時点では業務の負荷が増えているが、具体的な影響は実際にスタートしないと判断できない」(大手サービス業の課長)という声もあった。
メディアに対して次の意見があったことも、報道に関わる1人として自戒したい。
「情報漏洩に対する不安を煽る報道が多く、ちょっとしたミスで責任を負わされるのではないかと、社員がマイナンバーに触るのを極端に怖がってしまっています。マスコミの冷静な報道が望まれます」(大手サービス業の役員)
16年1月から制度がスタートすれば、総務部や人事部以外の人も無関係ではいられない。営業担当者や店舗スタッフが取引相手から個人番号を入手する役割を担うこともあるだろう。企業負担が大きい制度なので、取りまとめる部署以外の従業員の協力も欠かせない。
最後に、「マイナンバーによって副業が発覚する」という報道も多いが、それに関する企業の対応を紹介しておこう。調査で「就業規則に副業禁止の規定がある」と答えた企業は83.5%に上った。にもかかわらず、副業が発覚した場合、「厳格に対処する」企業(32.2%)を、「極端な事案にだけ対処する」(35.3%)と「不問にする」(0.9%)を合わせた企業が上回った。杓子定規ではなく柔軟に対応する企業が多いのだ。
大企業の人事部門を取材すると、「将来、ロボットやITに取って代わられない本当の専門性を身につけるよう教育していく」と語る幹部も増えた。そうなると、自立した社員を育成したい企業では、今後「週末起業」のような自己啓発的な副業は黙認されていきそうだ。もちろん信頼できる上司に伝えておくなど、個人としてのリスク管理はしておきたい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)