元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

実話体験談)求め続けていた本物の真理を知って見つけた生きがい。

2016-06-11 05:00:21 | 日記

http://voicee.jp/2015012310684

求め続けていた本物の信仰との出会い

いまから30年ほど前、主人が亡くなったのをきっかけに、私は法華経系の伝統宗教の信仰を持つようになりました。

少しでも主人の供養になれば、との想いから、読経や写経、法要の手伝いなど、かなり熱心にお寺に通っていたものの、「何か物足りない」という感覚を持ち続けていました。

そんな中、大川隆法総裁先生の霊言集に出会ったのです。お寺ではなかなか聞けなかった、「心の教え」がたくさん説かれていることに本当に驚きました。

特に私にとって衝撃だったのは、東京ドームで開催された大川隆法総裁先生の御生誕祭。会場いっぱいにあふれる信者の方の多さもさることながら、初めて耳にする大川総裁先生のお話に、魂がふるえるような感激を覚えたのです。

「これは本物の教えだ!」私の驚きはやがて感動、そして確信に変わっていきました。

幸福の科学の信仰を生活の中心に

まもなく私は幸福の科学に入会し、信者の皆さんと一緒に仏法真理を学んでいくことにしました。

入信後もしばらくの間は、お寺での信仰と幸福の科学を掛け持ちで活動していましたが、仏法真理という“本物”を知ってしまうと、『法華経』は漢文の上辺だけを読んでいるようで心に入ってこなくなりました。

「もう昔の信仰とは別れる時が来たのかもしれない……」人生の晩年ではありますが、ずっと求め続けていた本物の信仰、再誕の仏陀の真実の教えに出逢ったことは、何ものにも代えられない喜びでした。

幸福の科学に帰依します、とお寺に伝え、幸福の科学の信仰を生活の中心に据えることにしたのです。

作務に仏への感謝をこめて

「Nさん、明日の研修の準備をさせていただきませんか。天上界の高級霊を礼拝室にお迎えするための、神秘的な空間を作る尊い仕事ですよ」

支部長に勧められたことをきっかけに、私は礼拝室の作務※を定期的にさせていただくようになりました。

まず礼拝室の椅子を均等に並べます。そして祭壇や床を心をこめて掃除し、きれいにします。

天上界の光が通いますように。信者の方々が気持ちよく研修を受けられますように──。

仏への感謝の気持ちをこめて一心に作務に励んでいると、普通の掃除とは全然違い、心まで清められていくようです。

本当に尊い仕事のお手伝いをしているんだなあ、という感謝の気持ちがわき上がり、充実感に満たされている私がいました。

※作務 支部や精舎の環境を整えながら、心を見つめる修行

信仰を胸に生涯現役の人生を

残された日々のなかで、なんとしても仏法真理を人々に伝えたい。伝道こそ、人生最後の仕事だ――。

そう思い、私はいま、地域のお宅やお店を一軒一軒お伺いし、幸福の科学の小冊子や経典をお渡ししています。

特に私と同年代の方には、「あの世があること」「あの世こそ本来の世界」という真実を知ってもらいたくて、心をこめて真理の話をしています。

幸福の科学の活動を通して、生涯現役で毎日元気に働けること、そして皆さんの幸福のために少しでもお役に立てること。

それが私にとって一番の生きがいです。


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実話体験談)食物アレルギーの娘――必要な栄養は親の愛だった

2016-06-11 04:59:52 | 日記

http://voicee.jp/2015090111342

食物アレルギーの長女

長女のMが生後半年の頃。それまでの母乳から、初めて粉ミルクを与えた直後のことです。

ミルクを吐き出し、私の腕の中で息も絶え絶えな愛娘の様子に、すぐさま病院に駆け込みました。

幸い大事には至らず、ほっと胸をなでおろした私は、医師の言葉に、さらにショックを受けることに――。

「娘さんは、食物アレルギーのようですね」

私達夫婦はアトピー性皮膚炎を患っていて、Mも生まれた時から肌の弱い子でした。でも、まさか食べ物にまでアレルギーが出るとは思ってもいませんでした。

しかも食物アレルギーを引き起こすと言われる、三大アレルゲン(卵・牛乳・大豆)のすべてに反応すると言うのです。

以来、我が家の食に対するスタンスはガラリと変わりました。ミルクをアレルギー疾患用に代え、離乳食の食材も成分表示を見て、慎重に選びます。それでも、一度大丈夫だった食材からもじんましんや湿疹が出てしまうことがあり、安心できません。

食事の30分前には、アレルギーを抑える薬を欠かさず飲ませなくてはなりません。食べ物に敏感なのか、偏食も多く「たった一口、二口のために、ここまでしないといけないの?」と思うほど手をかけても、吐き出してしまうことが度々あります。

主人は出張で家にいないことが多く、頼ることができませんでした。Mにとっては、口にするものすべてが命に関わるため、いつもプレッシャーが重くのしかかっていました。

食事をめぐり、毎日気の休まる時がないのです。先の見えない不安でいっぱいになりながら、一方で、他の子と同じように食べたり飲んだりするという、当たり前のことができないMが、かわいそうでなりませんでした。

アレルギーが治った後も偏食が続いた

Mが3歳になると、ようやく医師から「もういいですよ」と、食材の制約が取れました。

私は嬉しくてたまりませんでした。

ちょっと遅れたけど、これからMには、心身共に健康になって、人の役に立って欲しい!と思いました。

そんな期待に反し、食卓に初めて出す料理にMは手をつけようともしませんでした。食も細く、幼稚園の小さなお弁当も、いつも残してきます。

この頃は、生まれたばかりの妹のKの面倒をみながら、Mの食事にも気を遣い、正直、数倍手間も時間もかかりました。

「Mちゃん、残さないで食べなさい!」

食卓はいつも叱咤激励の場。

どんなに一生懸命時間をかけて食べやすいように工夫しても、食べてくれないMを見ていると、ただのワガママに思えてくるのです。

「お姉ちゃんなんだから、しっかりしてよ。もうアレルギーを気にしないで、何でも食べられるはずなのに、何で食べないのよ!」

「病気しないだけでもありがたいわよね」

Kが幼稚園に上がり、時間ができた私は、以前から信仰していた幸福の科学の支部に顔を出すようになりました。

ある日、幸福の科学の友人にMのことを話してみました。

「うちの子、食物アレルギーは大丈夫だと言われたのに、偏食で、いつも同じものしか食べないのよ」

「それは心配ね。Mちゃんは体が弱いの?」

「ううん。普通に元気かな」

「あら、それは良かったじゃない!元気だったら、少しくらい食べなくても、病気しないだけでもありがたいわよね」

ドキッとしました。とても大事なことを言われた気がしたのです。

食べないのはワガママだと思っていた

それからは、お祈りや買い物、食事の用意をしながらも、事あるごとにMのことを考えました。

「Mはもう何を食べても平気なはずなのに、どうして食べようとしないの?食べたことがない料理だからではなく何か他の理由があるの?」と考え続けていると、ある時、こんな光景を思い出しました。

いつものようにお弁当を残してきたことで注意をしたら、「ママは、Kちゃんばっかり!」と、目を真っ赤にして、部屋を飛び出していったMの姿でした。

この時、Mの「寂しい!」という気持ちが私の胸にダイレクトに伝わってきたのです。そういえばこれまでにも「もしかして、Mは寂しいのかな?」と思う瞬間がありました。

「お料理に手をつけなかったのも、Mなりのサインだったのかもしれない。やっぱり寂しかったんだ……」

食べないのはMのワガママだと思っていました。けれど、本当は愛して欲しいことを上手に表せなかったために、私に気持ちを向けて欲しいというサインとして、症状が出ていたのかもしれません。

そして、もう一つ気づいたことがありました。

私は、医師からOKが出たとたんに、遅れた分を取り戻そうと「あれも食べなさい」「これも食べなさい」と急かせていました。それが子どもへの愛だと思っていたのです。

私はアレルギー反応を出さない料理を用意することに必死で、Mがどう感じているのか、考えてもいませんでした。無理をさせてまで思い通りにしようとするのは、親のエゴでしかなかったのです。

「Mの中ではまだOKではなかったんだ。Mは、私が手間ひまかけて料理に気を遣うより、側にいて抱きしめて欲しかったんだ。もっともっと愛して欲しかったんだね……」

Mの気持ちが伝わってきて、申し訳ない気持ちがあふれてきました。

愛は栄養源

私は、Mにきちんと向き合い、愛していることをしっかり表現していこうと思いました。

「Mちゃん、すごいね。今日はいつもより多く食べたのね。がんばったね」

そう口に出して褒めてあげるようにすると、「ママ見て!」と嬉しそうに空のお皿を見せにきてくれるようになりました。

スキンシップを多くすると、Mの表情がハツラツとしてきて、短期間のうちに、みるみる変化が現れてきたのです。

それからは食欲も出てきて、1年生の1学期は給食を残すことも多かったMが、3学期にはほとんど全部食べられるようになったのです。

ある晩、主人が言いました。

「最近、Mの肌のカサカサ、なくなってきたんじゃないか?」

「あっ、本当だ。そういえば、この冬は全然皮膚科にお世話になっていなかったわ」

皮膚症状もどんどん良くなり、時々、唇が腫れることはありますが、激しい症状が現れることはなくなりました。

心をこめてMを愛そうと決意しただけなのにこの変化。親の影響力はすごいものだとつくづく感じます。

幸福の科学には「生きていくための大きな力。それを励ましとして、自分自身が内なるエネルギーをつくって前進していけるもの。それが愛ではないでしょうか。」という教えがあります。

Mを見ていると、「子どもは親の愛情をエネルギーとして生きているんだ」と本当に思います。

私は、時間をかけ食事に配慮することで、一生懸命に愛を与えていたつもりでしたが、子どもの気持ちを受け止め思いやってあげてこそ、本当の愛なのだとわかりました。

子どもたちには、深い関心と細やかさを忘れないで、これからも、心をこめてたっぷりと愛を与えていきたいと思います。


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