お墓参りに行ってきました。
いつもは、父のところ(墓)だけだけど。
同じ市内にあるおじさんのところと
義理のおじさんのところもおまいり。
「母も逝きましたから、よろしくお願いします。」
と、お願いしてきました。
おじさんたち「もう、来たのか!!」と
驚いていると思います。
なんかね、
やっぱり、お骨になってしまうと
悲しくて、
そして、お墓にはいってしまうと寂しいものですね。
で、
過去にもどって
お葬式の話しを書きたいと思います。
それは、それは、にぎやかで楽しいお葬式でした。
本人は、生前「死んだら、お香典集めみたいなことは、したくないから、
自分は、家にもどさないで病院から葬儀場につれていっちゃって、家族だけで葬式をやって。」
と、申しておりましたが、
実際は、たおれて病院にいき、家で急になくなったので警察で監察医の診断を受けねばならなくて、
なんか、そのまま、葬儀場につれていくのは、しのびなくて
家につれてもどりました。
で、どうする?
親戚も少なくなったので、家でやろうか?と同居していた妹が、言ってくれたので、
「そうしよ!」
ひとが集まるってちょっと大変なのですが、
たまたま、ほんとに近所に大きな公園があり、駐車スペースもかなりある。(すみません、お借りしました。)
父のときも家でやったので、
そのときは、とても大変だったのですが、7年もたっていますので、
まぁ、今度は、もっと来る人も少ないだろうし、
忌中払いの食事もケータリングすれば、OKだし~。
家でやろう、
故人の遺志を尊重して、お香典はいただかないとの由を玄関内に貼紙しました。
友引をはさんだので、金曜日になくなって、土日があり、月曜日にお通夜、火曜日に葬式と
お通夜まで2日あるから、どうなんだろうと思ったのですが、
結果的に
家は、良い。
たぶん、会場を借りていたら、そこにいって疲れていただろうけれど、
母に生前気にっていたミッソーニのバスタオイルをかけて
周りにお花をいっぱいにして、
自動演奏してくれるピアノだったので、母の好きだった石原裕次郎の『粋な別れ』などかけて、
昔からの友人や近所のお友達が、たくさん来てくれて、
あれ?楽しくなってきた?
家に(母が)いると
いろいろしてあげたいことが、できるのは、良かったです。
次の日は、自分のメイクどうぐをもってきて
ちょっと目元のクマをコンシーラーで消して、眉を描いて、ラメ入りの頬紅にメイクしてあげました。
妹が、母の持っている『美空ひばりカラーの口紅』を出してきてくれたので、それをぬってあげて、
メイクは、完璧!!
娘の私がいうのもなんですが、「きれい!」
ご友人方「きれい!生きてるみたい!」
そうね、ラメ入りの頬紅が、ポイントよね♪
母が、うちに泊まったときには、毎晩、おふろあがりにパックしてあげたりしてたな~と懐かしい思い出が、蘇りました(泣)
うちの娘「きれい!このまま、ここに寝かしておきたい。」
ほんと、そうね。
こんなに友達が、きて、にぎやかに昔ばなしをして、お茶など飲んで楽しい会場。
本人が、死んでいるのが、もったいないくらいでした。おかしな話だけど。
近所のおじさんは、「〇〇さん(母)、粋な人でした!」
ありがとう!
そう、ちょっと何年か前までは、
竹をわったような性格で、めんどうみの良い母でした。
近所のおばさん「〇〇さんは、『ボーナスはいったから、おごるよ!ついておいで』と毎回、誘われて、一緒にでかけて、ちょっとしたブラウス買ってもらってごちそうになったのよ。」
そうだったねぇ~私もきいてました。
昔からの友達が、『〇〇さん、天晴れな生き方でした。あの世で、また、カラオケできる日まで待っててね!』
ありがとう!ありがとう!みなさん!!
すごく良い方々に囲まれて、幸せな人だったんだなと改めて思いました。
いろんなことがあったけど、
今は、ただただ、感謝のみ!
私もがんばるね!
カフェのみんな、ありがとう。
変な話だけれど、
とても、実感が解るし、
とても参考になった。
くちこは、去年の手術以来、葬式についても結構、いろいろ具体的に決めておこうと思うようになりました。
くちこも、香典は辞退するつもりですよ。
良いお別れができたんだね。
逝った人の人徳、残った人の人徳。
良いお母さんだったんじゃん!
女帝!!!!!
書いていて、また、泣けてきた。
ありがとう。
女帝って、私がつけた時は、良い意味ではなかったのは、ご存知のとおり。だけど、亡くなってから
ほんとに女帝だったな~と今度は良い意味の!と思いました。
私は、
あんな感じで生前葬がいいな。懐かしいひとたちと思い出を語り合う楽しい時間を自分もあじわいたいから。
そしてお帰りなさいませ~。
お母さん亡くなられた日記を読んでもちろんびっくりもしましたが、
姉妹の意見も合ってご自宅での弔い、お母さんもきっと喜んでる
と思います。
人の明日はわからないものとは言いますがお互いに今を大切に
しながら過ごしていけたらと改めて感じます。
2月から我が家も色々とあったんですよ~
でもね、悲観してても始まらないように感じます。
流れや現実を受け止めながら、ちやさん家族がまたまた強く結ば
れることを願っています。
結果オーライですよ。
うちの母の時もそうでしたがー
周囲の人の見方って、意外とポジティブなんですよね(笑)。
娘の私からすれば、「また、あんな言い方して!」とハラハラしたものなんだけど、亡くなってしばらくして
近隣の方や出入りの業者さんと話していたら、こちらが心配していた程気にしてなかったりして。
思ったよりたくさんいい所を、覚えていてくださって、ありがたかったです。
裕次郎の「粋な別れ」、シブいですよね。
そんなBGMが似合うお母様、素敵な方だったのだなぁと思います。
久しぶりに「ちやさんどうしてるかな~」って、覗いてみたら
お母さんのことから始まってて・・・
日付も見ずに読み進めて行ったら・・・( ゜Д゜)驚きました。
実の親子だから、喧嘩もするけど、仲直りも早い。
嫁に行くと、同居してるのとはまた違う親への思いがある。
「離れちゃったついで」「しばらく顔見てないついで」で、
面倒なことはまぁいいっか!ってなっちゃうことも度々。
ちやさんが、
「あの時(妹さん不在事件?)かけつけといてあげたら・・・」って
後悔してるんじゃないかなって思ったんですけど
大丈夫でしたか?つらかっただろうと思います。
♪粋な別れをしよう~ぜェ~
きっと母上も雲の上で微笑まれているように思います。
天狗のオフクロも
「葬儀は家族だけでやっておくれ」と言っています。
でも実際は、ちやさんのようにするかもしれません。
別れの挨拶をしたい方もいらっしゃるんですよね。
ともかく・・・・
素敵なお別れの催しだったと感じました。
大好きな歌に送られて、きらきらのお化粧して、お母さんはきっと
喜ばれたことでしょうね
年をとればとるほどに、体も見かけも年老いてしまいますから
綺麗なままで旅立たれた、お母様を
クマは、とてもうらやましいと思います
今回帰京は、母の検査入院でした
その日は、母の86歳のお誕生日でしたが、帰京のたびに
おばあさんになって、小さくなってしまい
昔の美人さんの^^;;面影はないです^^;;
そうね、
日々大切に生きていこうとおもいます。
そうなんだね、
いいかたがたにめぐまれて、
母も幸せだったんだなとあらためて思いました。
うん、
ちょっとね。
でも、なんとか、がんばります。
ありがとう~。