conscience

my diary

ダメ人間でも希望が持てる社会であって欲しい。

2023年04月22日 | 日記
 近年の過度な競争社会においては多くの落ちこぼれ者が生じている。障害を持つ者、人間関係がうまくいかない者、受験競争や出世競争から落ちこぼれた者、失業した者、失恋した者、離婚した者、犯罪の加害者・被害者となってしまった者、ひきこもりとなった者、病気を抱えている者、介護すべき親族を抱えている者、生活苦にある者、孤独な高齢者など、様々な状況の下で我が身の不遇を感じている人々がいる。仕事や生活で忙しくしているときには、そんなことになるとは思いもしない。一般的に言って、落ちこぼれた者が再び元に戻ることは困難である。人々は、便利さや刺激を求めて都市に移り住む傾向があるが、都市砂漠という言葉があるように、お金や仕事に恵まれている人はともかく、それから落ちこぼれてしまった者にとっては住みにくいのが都会でもある。しかし、人口が減り、病院や学校、警察署などが統廃合されつつある地方からは、都会への転出は止まらない。稀に都会から田舎暮らしに憧れて地方へと移住してくる人もいるが、とかく人間関係が濃密で、一種の監視社会でもある田舎暮らしに窮屈さを感じて去ってしまう人もいる。
 でも、そんなに完璧な人間はいない。例えば、皇室であっても家庭内でのトラブルの種はあるし、ダメ人間がいてもおかしくはない。それが普通ではないのか。キャリア官僚でもセクハラをする人もいるし、犯罪行為に手を出す人もいる。まして、俳優や歌手、専門家などとしてマスコミに出ている人達などほど、不倫などのスキャンダルが暴かれるケースが多い。人である以上、誰しも欠点はあるし、他人には言えないことの一つや二つはあるだろう。それなのに、今の我が国は、落ちこぼれ者に不寛容な社会である。
 落ちこぼれ者でも復活することが出来る、少なくとも生活の楽しみと、将来への希望が持てる社会になって欲しいと願っている。

 話は変わるが、市議会議員候補といっても聞いたことのない人ばかりであったが、投票しないのも無責任のような気がしたので、選挙広報を読み返して、議員定数の削減等を主張している党の候補者に投票することに決めて、事前投票に行ってきた。市議会議員だけの選挙なので投票率も高くないだろうと思っていたが、案外、事前投票所に投票に来ている人が多かったのが意外であった。他の人は、何を根拠に投票する人を選んでいるのだろうか。私は、立派なデザインの音楽ホールなどは、今の時代に不必要だと思うし、まして、既存の駅から、それほどの距離もないのに新駅などは不要だと思う。埋立地に整備予定のゴミ処理場の問題も、津波が来て施設が使えなくなったらということを考えているのだろうかと疑問だし、近隣の市町村との協議を打ち切ってまで市単独で建設すべきものだろうかとも思う。徳島市でも高齢化や単身化が進んでいるのに、市議会では、そんな問題は議論されているのだろうかと疑問が多い。これを機会に、今後は、議会だよりでも読んでみようかと思っている。
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