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ひまわりさんより(12月23日)
今日、デビット・カン先生のCDを聞いていて、すごく明確になったことがあります。それは、聖所の務めの事についてですが、聖所の働きの中で、外庭は、罪を憎んで義を愛する心になること、聖所の第一の部屋の務めは、イエス様の方法を学ぶこと、つまり、イエス様がみ言葉のパンを食べて罪に勝利されたように、私たちもイエス様の信仰を体験すること、至聖所の働きは、印されること、それは、み言葉の原則が固定されて、不動のものになることだということが、はっきりわかり、とても感謝しました。『各時代の大争闘』下巻144,145頁には、「彼らは、主の働きをよく理解し、彼が神の前に出られるのに信仰によって従っていかねばならない。この意味において、彼らは、婚宴(婚姻)のへやに入ったと言われているのである」「これらの人々は、天の聖所に関する真理と、救い主の務めの変化とを認め、信仰によって、天の聖所における彼の働きに従っていった」。イエス様の再臨を待つ人々は、信仰によって、天の聖所に入るよう招かれているのですが、この聖所に入るという経験を、カン先生は、ご自分の体験から、上のように教えておられるのだと思いました。
見失われている後の雨の備え(デビット・カン講演26)
この点を、多くのアドベンチストが見失っています。どのようにして後の雨に備えるのかということを・・・。「もう、完全にならなくちゃいけないんだ。親切にしなくちゃいけないんだ。愛をもたなくてはいけない。ああ、節制しなくてはいけない。ああ、あなた白米食べてたでしょう。罪だよ。ああ、牛乳飲んだでしょう。あ、牛乳に白砂糖入れて飲んだでしょう」。そういう態度のアドベンチストが大勢いるわけですね。
保守的な人たちの中に、そういう人たちが大勢います。完全というのは、神様の愛を心にいただいて、もう罪を犯さなくなることなんです。健康メッセージ、健康改革、たしかに大事です。私たちが完全になる手助けをしてくれます。私たちが、明晰な頭脳を持って神様の言葉を、み心を理解できるように助けてくれます。私たちの、体、思考、感情を正しく保つ手助けをしてくれます。しかし、健康メッセージを受け入れたからといって、それが、私たちを義とする功績となるわけではありません。