「だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」(マタイ 12:31,32)。
人がしてしまう最も致命的な失敗は、聖霊が神様の御言葉に従うように導こうとされる時、聖霊の指導と叱責を拒絶する道を選ぶことです。ルカはそのことを次のように記録しました。「わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」(使徒行伝 5:32)。
以上のようなことから、奇跡を行った者たちをイエス様がなぜ「不法を働く者ども」として排斥されたのかよく理解されたことと思います。彼らは天の能力を要求しましたが、天の父の御旨とその教えを拒否する人生を歩んだため、聖霊の能力を受けることが出来なかったのです。彼らが祈ったまさにその時、サタンが割り込み、聖霊が行う奇跡のように見える偽りの奇跡を行う能力を彼らに提供したのです。クリスチャンを気取った彼らは、彼らの不服従を叱責する聖霊を悲しませることによって、結局自己欺瞞に陥り、神様の教えを犯すことに対する罪意識を失ってしまいました。サタンの霊が彼らの感情を刺激し、これによって彼らは神様の言葉に従う代わりに、自分たちの感情にもとづいて、偽りの宗教的能力を表したのです。
マタイによる福音書7章22節には、最後の時代には多くのクリスチャンが、自分たちの行う奇跡を聖霊の力によるものだと主張する現象が起きるけれども、実際には、彼らはサタンに利用された人たちであるという事実が警告されています。