使徒行伝2章9~11節には、聖霊に満たされた弟子たちが証しを始めると、いろいろな外国語を語り出したとあります。ここを見ると、少なくとも彼らは16か国語を自由に語り出したのです。「すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」(使徒行伝 2:4)。驚いた聴衆は自らの耳を疑いました。「この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。そして驚き怪しんで言った、見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語(In his own native language)を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか」(使徒行伝 2:6-8)。
使徒行伝では、異言の賜物がどのようなものであるか、単純明快に描写されています。それは無我の状態で意味不明の言葉を語るのではありません。この時の異言は人々が理解できる実在する言語、外国語でした。外国語が分からない人には意味が分からず異言となりますが、外国語を知っている人にはその意味が分かりました。そのために、様々な人々が自分たちの母国語で語られる福音を聞き、真理を悟り、受け入れるようになったのです。初代教会当時、異邦人に伝道する場合、外国語を話す能力である異言の賜物は、大きな助けとなりました。世界の各地へ福音を宣べ伝えようとする時、言語の壁はとても大きいものでしたが、それを乗り越えさせてくれるこの賜物は、とても重要な助けでした。またある時は、異邦人たちが、ユダヤ人中心だったキリスト教会へ改宗するのを許可する証として、異言が与えられたこともありました(使徒行伝10:44-47)。
使徒行伝10章44~47節で、ペテロを通して初めて異邦人に福音の門戸が開かれたのを見ることが出来ます。ペテロが異邦人に福音を伝えている時、聖霊が彼らに臨んだので、ユダヤ人たちは「異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた」。ペテロは「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには」、誰も彼らにバプテスマを禁じることはできないと言いました。
ここでペテロは異邦人たちが語った異言を、ペンテコステの時に起きた異言(外国語)と同じだと言いました。彼はエルサレムの兄弟たちにそのことについて報告しました。「そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった」(使徒行伝 11:15)。これは明らかにペンテコステに起きた異言の経験と同じものであることを認めたものです。つまりこの時の異言とは、外国語である可能性が高いのです。そして、使徒行伝19章5~7節の異言についても、この時に与えられた異言の賜物が、ペンテコステの時に現れた異言の賜物と同種のものだということを疑う理由はありません。