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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いの全行程を示す聖なる幕屋 第3回

2016年06月19日 | 日記

神様の選択と計画

 

神様がエデンの園で定められた「善悪を知る木の実だけは食べないように」という言いつけは、目に見える形の戒めでした。創造者である神様を完全に信頼し、神様の支配に従順である時にだけ、安定と平和と幸福があったのです。しかし、人類の始祖はその戒めを破って、サタンのそそのかしの方をより信頼しました。サタンは神様を利己的で不公平な方であるとほのめかしました。この果実を食べれば、神様自身のように目が開かれるので、食べないようにと言われたのだ、また神様の戒めを破っても、決して死なないから心配しないようにと誘惑しました。人類の始祖は、サタンの言葉を神様の言葉よりも信頼して、全宇宙を支配しておられる、神様の政府の基礎的な戒めを破り、反逆することを選択したのです。

 人間の堕落は、神様のお心にあまりにも大きな悲しみと苦しみをもたらしました。その時愛の神様は選択をせまられたのです。罪を犯した人間を、ただちょっとした取るに足りない過ちだからと言って許してしまうなら、全宇宙に住む被造物が、神様の律法を軽視するようになるでしょう。その結果、膨大な反逆と破壊が宇宙を包むようになるでしょう。そのようなことを神様はお許しになることはできませんでした。だからといって、人類がこのまま永遠に望みもなく死んで行くのを、放っておかれることも到底できないことでした。このような相反する立場の中で、愛の神様は人類の罪の負債を代わりに支払い、第二の恵みの期間をもたらすことで、再び人類に生きる機会を与えることを選ばれたのです。

 

神様は人間を、自由意志と自由な選択権を持つ存在として創造されました。自由意志と選択がない人間は、命じられるロボットのように動くことしかできません。また、自由意志と選択がなければ、人格の発達はあり得ないのです。しかし同時に、人間に自由意志と選択を下さったということは、人間が反逆と不従順を選ぶ危険を冒すことでもありました。

従って、神様の創造の計画の中には、人類の堕落の可能性と、その事後対策の計画がすでにありました。それは他でもない神の御子イエス・キリストが、罪を犯した人間のために人間になってこの地上に来られることでした。御子は人間の罪の身代わりに死に、また、彼らに義の生活の模範を示されるのでした。それはひどい苦痛を伴うことであり、神様の命の代価を払うという、ものすごい値を支払わなければならないものでした。

 人間が堕落した後に、神様はその愛の選択されました。神様はあなたに生命を捧げることを選択されたのです。それは決してショー(Show)ではありませんでした。聖所制度の罪祭について学ぶとはっきりしてきますが、イエス·キリストの犠牲は、私たちの頭では到底理解できないほどの、驚くべき愛でした。

様のみ子イエス·キリストの犠牲を通して、人類は第二のチャンスを得ました。神様はアダムを通して生まれてくるはずの多くの子孫を見て、人間がただ生まれては死んでいくだけで終わることをそのままにしておくことができませんでした。

今この記事を読んでおられる読者の皆さんを、神様はご覧になり、救いを与えようとしておられます。私たちが神様の救いを受けて永遠に生きるならば、現在の私たちが持って生まれたこの限りある生命では成就できないほど、無限の価値があることになります。私たちの知識と人格が、継続的に永遠に発展していくことになるからです。それで神様は、これから生まれてくるアダムの子孫たちの中で、救いを選択する人の、その適切な数が満ちるまで、また、罪の歴史を容認することができる期間まで、この地に人が増えることを許可されたのです。

 しかし、人類に二度目のチャンスを与えると同時に、神様はこの地球の歴史に、罪の結果の恐ろしさがそのまま現されるようになることを許可されました。それは天におけるサタンとの戦いが公平で、その処置が正当なものであること、神様の正義が全宇宙に明らかにされる必要があったからです。

従って、人間はこの世に、ほんのしばらく生きては死に、また、罪の結果である悲しみと病と老いの影響の中で生きなければならないのです。ですから、人間がこの世に生まれてくる唯一の理由と目的は、生きている間に、真理と神様を見出し、救われて永遠の命を得ることなのです(使徒17:25-28を参照)。私たちが持つこの生命はどれほど尊いのかわかりません。私たちが神様を発見し、救いの贈り物を受け取るとき、私たちは永遠の命を得ることになるのです。そこで私たちは、現在の私たちの環境がどうであろうが、これからどんな困難や試練を受けるようになるかに関わらず、神様から与えられたこの素晴らしい機会について、永遠に感謝と賛美を捧げるべきです。なぜなら、私たちが今持っている恵みの機会は、驚くべきものだからです。 


救いの全行程を示す聖なる幕屋 第2回

2016年06月19日 | 日記

1、聖所制度が与えられた理由

 

人類の堕落

 

人類の救いの計画である聖所制度は、人間の堕落に由来しました。もし人が罪を犯さなかったなら、永遠に、エデンの園で神様と一緒に住むことが出来ました。死、病気、悲しみ、痛み、老いといった罪の結果も、もちろんこの地球上にはありませんでした。そこには愛と平和と幸福と、永遠に続く喜びと発展だけが存在していたのです。しかし、人類の始祖であるアダムとエバが罪を犯した時から、そのすべての調和は破られ、この世界に取り返しのつかない闇と、災害の影を落とし始めました。「罪の支払う報酬は死」だからです(ローマ6:23)。

 

ところが、聖書は人類の祖先アダムだけでなく、すべての人間が罪を犯したと宣告しています。 「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」と使徒パウロは言いました(ローマ3:23)。もちろん、罪を犯して、その結果として罪に弱くなった本性を遺伝させてしまった総体的な責任は、アダムとエバにあります、ですが彼らのすべての子孫も同様に、自分たちの選びによって、罪を犯すようになり、こうして死がすべての人に同じように入り込んだのです。

 

では、なぜ人間は堕落したのでしょうか?その理由は明白です。人が神様の戒めにそむいて罪を犯したからです。その後、罪はどのように成立しているのでしょうか?聖書は、罪を次のように定義しています。 「すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。」(Ⅰヨハネ3:4)。つまり、罪とは、神様の律法である戒めを犯すことです。この宇宙には法則があります。神様によって創られたものが存在するためには、一定の法則があります。星が回転する軌道があり、生物が呼吸する生体原理があるのです。この法則が破られてしまうと、秩序と平和と幸福が、いやさらにその生命の存在自体が破壊されてしまうことになるでしょう。

 

自然界と同様に、道徳的そして霊的な世界にも法則が存在します。その法則は、あらゆる面で自然界の法則よりも重要です。道徳的、精神的な法則が、自然界の法則を支配するからです。たとえば、人間が間違った道徳的な法則を立て、原子爆弾を作成すると、自然界に多大な破滅を招くことになります。また、その道徳的な法則を破って人殺しや戦争が起きたら、家族、近所の人たちだけでなく、全世界の人々、さらには、全宇宙に大きな悲しみと苦しみをもたらすことになります。私たちは、この世界で、神様の戒めを破ることである詐欺、窃盗、強姦、殺人、親不孝、憎しみ、嫉妬などがもたらした恐ろしい結果を目の当たりにしているのではないでしょうか!人は神様の政府の基礎である律法、つまり宇宙を支配している神様の憲法を破る罪を犯したので、堕落し、その結果として恐ろしい死に至ったのです。