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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

異言とは何か? 第19回

2016年06月10日 | 日記

そして現代では、世界の多くの人がキリスト教の教派の壁を超える聖霊カリスマ運動に対して、大きな関心を示しています。カトリック信者やプロテスタント信者の区別なく、聖霊の働きによって一致しようとしています。彼らは教理の違いを乗り越えて、ただ聖霊が自分たちに臨み、異言という霊の言葉を話すようになり、病を癒したり、悪霊を追い出したりすることで、同じ聖霊を受けたのだから一致することが出来ると信じています。このような場合、私たちは真の聖霊の賜物と偽の賜物をどうやって区別できるでしょうか?どうやって私たちは、ある奇跡が神様の力によって起きているのではないと言えるのでしょうか?

 

偽物を識別する唯一の方法は、神様のすべての言葉に従うか、従わないかにかかっています。イエス様は最後の時代に、偽りの預言者が行う「大いなるしるしと奇跡」があまりにも本物そっくりであるため、「選民」までもその奇跡によって、惑わされるだろうと警告されました(マタイ 24:24)。またヨハネは「悪霊の霊」が「全世界の王たちのところに行き、彼らを召集」するのを見ました(黙示録 16:14)。このような悪霊の活動に惑わされないように心しておかなければなりません。最後の時代に、偽りの霊たちはまるで真理の使者、キリストの僕のような格好をして教会にやって来るでしょう。パウロは、実際に「サタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装」すると注意しました(Ⅱコリント 11:15)。テサロニケの教会に手紙を書いた時も、彼は「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わし」が起きることを警告しました(Ⅱテサロニケ 2:9,10)。

 

サタンの働きと聖霊の力の表れが区別できないほどよく似ているため、今日ほとんどのキリスト教会がこのサタンの欺瞞に陥っているようなかんじがあります。聖書には、愛によって神様のすべての戒めに従う者たちだけがこのような欺瞞から守られると教えられています。しかし悲しいことに、現代の社会には、あらゆる種類の不思議や奇跡を行う偽物が満ちています。そのために、多くの人が病の癒しや、奇跡的な力を求めて、そのような所へ出かけ、そこで異言や神秘的な経験をすることによって、偽物のとりことされてしまうのです。多くの人は、それがほんとうに神様から来たものであるかどうかを深く調べようともしないで、ただイエス様の名前で熱心に祈ったり、説教する人たちの真剣な態度に感動して、それが神様から来たものだと思い込んでしまいます。彼らは奇跡を聖書で試す事よりも、自分自身の感情や感覚を優先させるのです。

 

私が聖書研究をしたその人たちとの対話を通して、私は先ほど紹介した、サタンが宗教界を自身の陣営へと引き入れるのに必要な4つの基本条件が、彼らにもそのまま当てはまっていることを発見しました。

 

❶ 律法を犯しながらも、自分たちは神様に直接導かれているから安心だと思う。

 

❷ 真理と誤りを見分ける唯一のものである聖書の言葉より自分自身の経験を優先する。

 

❸ 聖書の代わりに、自分たちの感情や奇跡などの体験を基準にする。

 

❹ 各教派間の違いをもたらしている教理や標準の違いは無視されるような雰囲気を作り出す

  

彼らは聖書から学んだ大切な教訓や預言の教えなどよりも、自分たちの霊的経験を重んじ、最終的には神様の律法の重要性、特に安息日を守ることの必要性、死者の霊との交流は聖書で禁じられていること、罪に勝利しなければ永遠の命を受けられないこと、などを否定しました。このように明白な聖書の教えを否定する霊とはいったいなんでしょうか。それは神様からの霊ではないということではないでしょうか。聖霊はただ、「神がご自身に従う者に」(使徒行伝 5:32)与えられるのです。