それでは、イエス様に知られる人とは、どのような人でしょうか。これは私たちの運命を左右する、大切な質問です。たとえどんなに大きなことをして、人からは知られていたとしても、神様に知られていなかったら、その人の人生は失敗になってしまいます。聖書の中でモーセは神様に知られていた人でした。モーセに対して神様は言われました。出エジプト記33章17節。「主はモーセに言われた、『あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう』」。
モーセの苦難の生涯の全体にわたって、神様はモーセと共におられ、神様はモーセをその名前で知っておられたのでした。
第一コリント8章3節。「しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである」。
神様を愛する人は、神様に知られている人であると言われています。そして神様を愛する人について、ヨハネによる福音書14章23節には、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、私の父はその人を愛し、また、私たちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」。
神様を愛するとは、神様の言葉を喜んで守る人です。
ヨハネ第1の手紙2章3~5節.「もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。『彼を知っている』と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである」。
神様を愛して、神様と生きた交わりを持つ時に、私たちは神様を知り、神様に知られる者となることが出来ます。旧約聖書のモーセは、神様に知られた人であり、ダニエルは、大いに主に愛される人でした(ダニエル9:23)、また、使徒ヨハネは、主に愛された弟子と言われています(ヨハネ21:20)、私たちもそのように言われるように、神様を愛しその戒めを愛していきたいと思います。