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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

サムエルの経験 第1回  デイビット・カン

2016年10月04日 | 日記

主の訓練を受けて

 

今日も皆様お一人おひとりの心に、聖霊の神様がいて下さいますように。聖霊の助けなしにみ言葉を理解することは出来ません。み言葉なしに求霊の働きに携わることは出来ません。私は牧師として何年も働いてまいりました。二十代後半から私は牧師として働いて来まして、伝道者としてたくさんの経験をしてまいりました。色んな伝道セミナー、講演会にも参加してきました。神様に仕えるという働きをすればするほど、はっきりとしてくることがあります。それは、イエス様なしには何事も出来ないということです。当然頭では知っていました。しかし今では、本当に、本当の意味でこのことを理解していると思っています。色んなことに関して、さまざまな訓練を受けて来たのですが、あることについて、特に深く学ばされたことがあります。いつも、常に、神様のみ心がなされるということです。私の思い、私の計画ではなくて、神様の計画が成されていくということですね。本当に強い意志で、自分の方法、自分の計画を押し通そうとするなら、神様はたまにそれを赦されることがあります。しかし常にそういうこと、自分の意思を押し通そうとすると失敗に終わるわけですね。

神様はそうしたことを通して教訓を与えて下さいます。そういう経験を通して、さらに謙虚になるということを学んでまいりました。皆様、真の、本当の信仰とは何でしょう。神様のみ前にへりくだるとはどういうことでしょうか。今、高慢になろうと思っても出来なくなるんですね。なぜなら、へりくだるための経験をさせてもらっているからです。自分自身に栄光を帰することが出来なくなるのです。自分の手柄にすることが出来なくなります。それが不可能になります。全てが神様のみ業だということが分かってきます。常に自分の生涯について、神様のみ心が成っていくということを認めるようになるわけです。そのことを本当の意味で理解するならば、もう高慢になることは、誇り高ぶることは出来なくなるのです。私がやった俺がやったとかね。自分の計画がその通りになったとか、自分の努力が実ったとか、そういった思いにひたることが出来なくなるのです。不可能になります。過去にいろんな失敗とか、つまずいた経験を十分させてもらうならば、主の創造の力がいつも私たちには必要だということが分かってきます。

そうすると、毎朝、神様に自分自身を捧げるようになるわけです。「神様今日も、私の心と私の業全てをあなたにお献げします。どうぞあなたのみ業のためにわたしを用いてください」と言うことが出来るようになります。私たちにとって、イエス様が全てのすべてとなります。私たちのなす業、全てにおいてです。全てがもうイエス様のものとなるわけです。救霊の働きに携わることにおいても、イエス様が全てとなります。