福音の力を体験せよ 94
“わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。”(ゼカリヤ12:10)
実際私たちは、イエス様のお心を最も傷めています。それは、彼の肉体に釘を打ちつけるのと同じことです。自分たちが本当に何をしたか認めさえすれば、私たちは真の悔い改めの経験をするようになるでしょう。それは、罪を心から嘆くことです。
“われわれは、自分の悪い行為によって面白くない結果が自分自身にふりかかるために悲しむことがよくある。しかし、これは悔い改めではない。罪について本当に悲しむことは、聖霊の働きの結果である。みたまは、救い主を軽んじ悲しませた忘恩を示し、われわれを砕けた心をもって十字架のもとに行かせる。われわれが罪を犯すたびに、イエスは新たな傷を受けられる。自分が刺したイエスを仰ぎ見るとき、われわれは、イエスに苦悩を与えた罪について悲しむ。このように悲しむことによって、われわれは、罪を放棄するようになるのである。”(DA300)
主の幕屋の中へ 28 (最終回)
皆さんの聖所はどうでしょうか?本当に聖所で行なわれるキリストの働きを通して、皆さんのうちに、神様が住んでおられるでしょうか?神様が私のうちに住み、私のうちで働きを行い、神様は私たちの神になられ、私たちは神の民となっているでしょうか?地球上のすべての人々のための、聖別された神様の聖所になっているでしょうか?
「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」(出エジプト記25:8)。神様が、私たちのうちに住むと言われました。私たちは神様の聖なる宮です。それは、私たちが偉いからではなく、その中に神様がおられるからです。
「 わたしは幕屋をあなたがたのうちに建て、心にあなたがたを忌みきらわないであろう。わたしはあなたがたのうちに歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるであろう」(レビ記26:11、12)。(今回で主の幕屋の中へは最終回です。なおこの原稿ご希望の方は、sostvjapan@outlook.com までお申し込みください。無料で送らせていただきます)