2、「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか」(マタイ7:11)。
罪に対する勝利は、それを信仰によって求めるあらゆる人に約束されています。私たちはこのみ言葉に基づいて、勝利を得ることを信じることが出来ます。なぜなら、神様は真実な方であり、決して嘘をつかれるお方ではないからです。ですから、罪への勝利を願い求めて祈ったならば、約束が必ず成就すると信じて感謝し、あたかもそれが実現したかのように行動していくことが出来るのです。私たちの祈りの応答として、何かの感じや感情が起きることを期待する必要はありません。私たちは、神様が語られたゆえに、勝利するのです。約束の中にある能力が、私たちの勝利の秘訣です。
3、「このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである」(ローマ6:11)。
「認むべきである」という言葉は、「信じること、または成し遂げられたこととして考えること」を意味します。つまり、自分自身を罪について「死んだ者」として見なされなければならないと言う意味です。死んだ者は怒りません。死んだ者は利己的なむさぼりを持ちません。
かりに皆さんが、罪に対して勝利を得たいと思うのであれば、皆さん自身を罪に対して死んだ者と見なさなければなりません!現在皆さんが抱えておられる、勝利できない問題は何でしょうか。皆さんは喫煙の習慣や、執拗につきまとう罪を克服したいと本当に望みますか?今キリストは語られます。「私はあなたに勝利を与えよう」。皆さんがこの約束を信じる限り、神様は勝利を与えて下さるのです。そしてこれから皆さんは、罪に対しては死んだ者として行動してください。勝利のための力を求める祈りをしてください。皆さんが勝利を求めた瞬間、勝利の力は天の補給所から皆さんの生活の中に、即座に下ることになるのです。たとえそれを感じることができなくても、それは間違いなく皆さんの生活の中に表れるようになります。皆さんがそれを信仰で受け入れる限り、いつもそこにあるでしょう。
ある人々は、この勝利を劇的に経験し、今まで好きだった罪を嫌悪するようになり、罪はその味を失ってしまいます。喫煙中毒だった人が、喫煙の要求から完全に解放されることがあります。けれども、このような方法は、神様が一般的にとられる方法ではありません。多くの人の場合、勝利の経験は与えられますが、心には罪の欲求と欲望が残っていて、機会をとらえて人を誘惑してきます。しかし、誘惑の瞬間ごとに、それを克服できる力が天から私たちの心に伝わってきて、力強く私たちを支配するようになります。
私たちの肉体と感覚が、私たちに罪を行うように激烈に要求したとしても、私たちの良心の中で語られる聖霊の静かな訴えが耳に響いて、私たちは自分自身をすでにキリストにあって死んだ者と見なして、聖霊のみ声に屈服するようになります。このような経験を通して、私たちの信仰は天に向かってぐんぐん成長していきます。