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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

創造か進化か?  第10回

2016年10月26日 | 日記

5.なぜ大量の油田と石炭鉱が、地下深くに形成されたのか?

 渓谷の壁に露出している地層を見ていると、どうやってこのような地層が形成され、なぜ進化論者たちはその地層の年代を数十億年と推定するのかという、興味深い質問が心の中に浮かびます。進化論者たちは、地質学で言う“均一論(斉一説)”に基づいて地層の年代を数十億年と推定しましたが、この学説は過去に起きた全ての自然的な現象が、今日も同様に起きるという仮説の上に成り立っているもののです。つまり、地層の生成は、今現在私たちがこの世界で見ることのできるものに基づいてだけ、説明しなければならないという理論です。

 

そのため、地層の年第を計算するためには、まず最初に、現在約1フィートの地層が形成されるために、どれほど長い間、堆積作用が起きなければならないかを計算してみなればなりません。そして次に、その地層の位置に関係なく、均一な方法で深さに沿って年代を換算します。このような方法が正しい計算方でしょうか?過去にあった全ての自然現象が、現在私たちが見ているものといつも同一でしょうか?過去に起きた全ての風化作用と堆積作用を、現在の私たちの経験に合わせて測定しようと試みることが論理的な方法なのでしょうか?

 

聖書は、地球全体を襲った世界的な大洪水について述べています。クリスチャンはそれをノアの洪水と呼びます。その時、ノアの箱舟の外にいた全ての動植物は破壊されました。聖書はその大洪水について、このように説明しています。「それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、雨は四十日四十夜、地に降り注いだ」(創 7:11,12)。

 

地層の存在と化石は、聖書に記録されているノアの洪水の記録と完全に調和しています。地中深く埋没している凄まじい量の石炭や原油は、『創世記』に記録されている世界的な大洪水によってだけ説明できます。地表を覆い尽くした水が地下へ浸透しながら、強い激流によって、深く大きな渓谷ができ、岩石はその重さによって積もり、これらは死んだ動物や植物を強い圧力で圧縮し、地層を形成したのです。死んだ全ての動物と植物が、地下深くの熱と圧力によって、巨大な油田と石炭鉱となったのです。現代では、このような地層が形成されることは決してありません。地層の中に埋没している大量の油田と石炭鉱は、進化論者たちが主張する“均一論”を完全に否定し、過去に世界的な大洪水があったという事実を証明してくれます。今も世界のあちらこちらで、ノアの洪水当時にいた生命体の大量絶滅事件の影響をを確認できます。

 

Ⓐ 約8千万匹の脊椎動物の死骸で形成された南アフリカの乾燥した大地であるカルー地域

Ⓑ 約10億匹の魚の群れが陥没したカリフォルニアにある約4平方マイルのホーリン化石群

 

凄まじい規模の油田と石炭鉱が存在するためには、数百万トンの植物と動物が短い間に埋まってしまう大きな地殻変動がなければなりません。また、化石は一つの地層やいくつかの地層にかけて直立に立っている姿で発見されました。このような事実は化石化される過程が数百万年にかけてゆっくり起きたのではないという事実を証明しています。要するに、死んだ動物の周りに急激な堆積作用が起きたので、立った状態で化石化されたということです。各種の魚や海産物の化石が、高い山の上で発見されることがあるのは、数百万匹の魚が突然洪水の激流によって、地下に埋まり、後にそれが隆起したことを確実に裏付けています。地球上に世界的な大洪水があったという事実は、とうてい否定できないほどの証拠が大量にあります。そのため、均一論に従って地層の年代を計算することは最も大きな誤差を生みます。


創造か進化か?  第9回

2016年10月25日 | 日記

4.地下を深く掘っていけば、現存する生物の進化する前の姿の祖先を、発見できないだろうか?

 

地下へ深く掘り進むと、連続して成り立つ地層を発見できます。山の崖や絶壁のようなところでも、この地層の分界線を簡単に見つけることができます。地質学者たちは、このような地層に各々名前をつけています。米国のグランドキャニオンに行ってみると、地質学者たちによって命名されたミシシッピ、デボン、カンブリア地層が見られます。

 

このような地層の中で、進化論者たちを驚かせた地層があるのですが、それはカンブリア地層です。カンブリア地層は化石を含んでいる地層の中で最も下に位置し、その下にある地層には生物の化石が存在せず、細菌や単細胞の化石だけが埋まっています。しかし、最も古い地層であるカンブリア層を見てみると、脊椎動物を除外すれば、ほぼ全ての種の化石を発見できます。この事実は次のような二つの点で進化論の虚像を明かしたのです。

 

まず一つ目に、進化論者たちの主張によると、生物の進化は数十億年かけてゆっくりと行われなければならないのに、化石が発掘できる最も古い地層の中で、すでに今日存在するほぼすべての種の化石が一度に発見できるという点です。ここに進化論の大きな問題があるのです。最も下の地層から高等生物が発見されたなら、その高等生物が生成されるまで、進化の過程をたどってきた先祖はどこにいるのでしょうか?進化論が事実だとしたら、カンブリア以前の地層の中には、高等生物に変化していく原始的下等生物の化石でいっぱいのはずです。しかし、カンブリア以前の地層の中にそのような化石は全く見つかりません。これは各々の生物が一度に創造されたという聖書の記録の裏付けをしてくれるのです。

 

二つ目に、カンブリア層で発掘された化石の構造を見てみると、今日存在する生物の構造との差異を見つけられないという事実です。これこそ、下等生物から高等生物へゆっくりと発展したと主張する進化論者たちの立場を最も苦境に陥れる証拠ですが、これもまた進化論を全面的に否認する聖書の記録を支持しています。

 

ダーウィンは、彼の著書「種の起源」309ページでこう述べています。「カンブリア地層以前の地層にも化石が存在すると予想したが、なぜ私たちはそこでたくさんの化石を発見できないのかという質問について、私は満足のいく返答ができない・・・。現在ではその問題を不可思議なものとして残して置くしかない。まさにこの点が、進化論の見解に反対できる正当な論点と言えるのだ」。なんとも驚きの表現ではないでしょうか?ダーウィンは、この問題について特別な解答を提示できないと告白しましたが、自身の理論を撤回することはしませんでした。ダーウィン以外にも、多くの進化論者がカンブリア層の化石について、似たような失望と挫折感を表現しました。

 

カリフォルニア大学のダニエル・アクセルロッド博士。「これは地質学と進化論が持っている最も重要な未決事項の一つだ」。

 

米国立博物館のアスティン・クラーク博士。「おかしな話かもしれないが…そこに埋まっている軟体動物は、今日存在する軟体動物と何ら変わらないものだった」(The New evolution: Zoogenesis, p.101)

 

コロンビア大学のマーシャル・ケイ博士とエドウィン・コーボルト博士。「どのようにすれば、こんなに複雑な生命体が、6億年前に生成された岩石の中に存在でき、それ以前の20億年の間に形成された地層の中にはなんの証拠もないのか?もし、生命体の進化が真実だとしたら、カンブリア地層よりもっと古い地層の中に、必ずなければならないはずだが、その化石がないということはまさに謎だ」(Stratigraphy and Life history, p.102)

 

進化論の王子と呼ばれるG.G.シンプソン博士。「生命体の突然の出現は、化石に出ている最も難しい謎だけでなく、進化論の証拠としても最も不十分なものだ」(The Evolution of Life, p.144)

 

進化論は正直な学者たちの発言によって、疑問の余地なく崩れ落ちました。その理由は進化論が真実でないからです。カンブリア以前の地層で何の化石も発見できないという事実は、地上に存在する全ての生物が、神様の創造によって、ほぼ同時に存在したという事実を明確に立証してくれます。創造論は非科学的だと嘲笑った進化論者たちのその表情が、カンブリア層で発掘された化石と、それ以前の地層から発掘できない化石によって、沈黙へと変わったのです。


創造か進化か?  第8回

2016年10月24日 | 日記

3.進化論の核心理論である突然変異現象を通して、サルが人へと進化できるのか?

 

進化論の主軸となっている理論の一つが、突然変異によって生物が進化したという理論です。突然変異とは、遺伝子の染色体が化学的に非正常的に変化する現象を言いますが、進化論者たちがこの突然変異理論を重要視する理由は、人がアメーバから進化したという仮説を立証するためには、ある突発的な変化が必要だからです。

 

生物ごとに遺伝因子の中には固有の染色体数がありますが、人の場合は約10万個の遺伝子を持っています。遺伝子はそれぞれの人の個性を特徴づける決定的な因子ですが、このような遺伝子が、特異な対を成したり、化学的な損傷を受けたり、他の影響を経て変質した場合、次世代の中で正常ではない変化が起きます。進化論者たちは、このような突然変異理論を根拠にし、数十億年という長い期間を経て、アメーバが無脊椎動物となり、その次は両生動物、その次は爬虫類、その次は哺乳類、その次は類人猿、そして人間と言う順序で進化してきたと主張しています。

 

突然変異について、明確に知っておかなければならないことがあります。一つ目に突然変異現象は非常に珍しく貴重な現象であり、二つ目にそれは生物体に致命的で有害な影響を与えるということです。実際的に、突然変異によって出てきた生物は、さらに発展し強力な姿へ進化するのではなく、むしろ退化し劣等になり結局は絶滅します。そしてホックスリーは、突然変異について次のように言いました。「突然変異が起きる確率は10万分の1であり、大多数の突然変異の遺伝因子は生命体に損傷を及ぼす。」(Animal Species and Evolution, p.39)

 

進化論の創始者であるダーウィンをはじめ、全ての科学者は大多数の突然変異遺伝因子が、劣性形質であるか退化するという事実に同意しています。実際、突然変異によって変質した遺伝因子を持った生物は、さらに上の段階へ発展するのではなく、むしろ退化し、適者生存の法則によって絶滅するのです。現代進化論者たちの代弁人であるG・G・シンプソン教授は、1億人の人々が毎日1人の子供を出産する時、突然変異によって進化し、有用性のある、さらに発展した生命体を得られる数学的な確率は、2740億年に1度と言い、次のような結論を下しました。「確かに…そのような過程(突然変異)は、進化過程において何の役割も果たすことはなかった。」(The Major Feature of Evolution, p.96)

 

少しおかしな話ではないでしょうか?突然変異を理論の中心においている進化論者たちが、発展的進化のための突然変異の数学的確率について述べながら、決してそのようなことは起きないという結論を下したこの出来事をどう受けとめればよいのでしょうか?まさにこれが進化論者たちのまた別のジレンマです。彼らの古い推測を支えるために、突然変異という理論を抱きかかえてきましたが、それもまた発展的な進化を説明するには役不足で、非科学的です。ある生物の種の中で突然変異が起きることは事実ですが、突然変異で全く新しい種の生物ができることはありません!突然変異を通して、生物界にあらわれるいくつかの変質的な種については説明できますが、全く新しい種類の生物の生成を説明することはできません。アメーバのような単細胞生物が数十億年の間、突然変異を繰り返しながら、人間となったという理論をあなたは受け入れられますか?


創造か進化か?  第7回

2016年10月23日 | 日記

2.たとえ進化論が仮説から始まった理論だとしても、それが実際に起きた可能性は排除できないのではないか?

 

最も単純な生命体であっても、これまで人類が作り出したどのようなものより、もっと複雑な構造を持っているという事実を理解しなければなりません。地球で最も複雑な都市と言われるニューヨーク市全体の複雑さも、単純な細胞一つの構造に比べると何でもありません。これほど複雑で精巧な細胞が偶然できたとは、あまりにも滑稽な考えではないでしょうか?現代科学が発達するにつれ、細胞の複雑さと精巧さに対する科学者たちの賛嘆の声が、どんどん高くなっています。無秩序な分子が、長い時間の経過と共に秩序をもってアミノ酸となり、それが生命体の精巧な構造を持つようになるという可能性は全くないというのが数学者たちの見解です。

 

科学専門誌であるScientific American誌は、次のように発表しました。「確率的な面でみると、現在の与えられた環境で、生命体の誕生のために、1つのアミノ酸分子が作られるということさえ、地球が持っている全ての物質と時間をかけても、絶対に不可能なことだ」。スイスの数学者であるチャールズ・ユジンは、地球上に生命体が偶然生成される可能性は、1×10 -160と計算しました。これほどありえない可能性を信じるよりも、宇宙の中心におられる神様が、生命体を創造されたという事実を信じる方が、はるかに論理的で合理的ではないでしょう?地球に生命体が誕生する可能性について、他の科学者はこのように表現しました。「物質が互いに混ざり揺れているとして、そこから偶然に1つのタンパク質分子が形づくられるためには、現在の宇宙全体の中にある物質の百万倍以上に該当する量が存在しなければならない。さらに、そのようなたった1つのタンパク質の形成がこの地球上に起こるためには、確率的にほぼ終わりなき数十億年という時間が必要だ」(The Evidence of God in an Expending Universe, p.23)

 

神様の創造を、自然淘汰説という進化論で説明するために、進化論者たちは自然淘汰が長い時間をかけて偶然に成り立つ数学的確率を計算しました。進化論者ホックスリー博士は、その確率についてこのように説明しました。「その確率は、小数点以下に0が300万個つく数字である。この数字を記録するためには500ページほどの厚さの本が3冊も必要になる。・・・おそらく誰もこのような、実現可能性がないことに、勝算をかけないはずだ。しかしそれが起きたのだ!」(Evolution in Action, p. 46)

 

まさにこれが進化論たちの信仰です。とうてい不可能だという事実を知っていながら、驚くほどの確信をもって信じる進化論者たちの信仰心をどう理解すればいいのか全く分かりません。ホックスリー博士が表現したこのような確率は、数学的な角度から見れば実際に0と扱われます。過去に発生した証拠もなく、今現在実験室でさえ再現できない進化論をどうやって科学と呼べるのでしょうか?

 

マーシャルとサンドラ・ホール夫婦は、ホックスリー博士が計算した確率について、次のように応答しました。「ホックスリー博士が計算した確率は、馬の進化を数学的に計算した数字です。馬よりはるかに複雑で精巧に創造された人間を進化論でつくり出すためには、どれほど多くの“0”がつかなければならないか!そして、1頭の馬と1人の人間の生命を維持させるために、存在しなければならない植物や動物の進化の可能性を計算すると、どのような数字が出るのか?おそらく、その数字を記録するためには数千冊の本が必要となるはずです。…そして、さらには太陽と月と星が進化論に基づいて生成される可能性を計算してみると、どのような天文学的数字が出てくるのでしょうか?そしてこの全ての確率を掛けて、現在と同様の生物と宇宙が存在する確率はまたどうでしょう?進化論は科学でもなく、知性的な学問でもありません。それは、一つの虚しい空想に過ぎません。それにも関わらず、今も多くの進化論者は、それがそうでなければならないと主張しているのです。彼らが主張してきた理論が科学によって一つずつ崩れていくたびに、また新しい学説と仮説を立て、また自分たちの新学説が実現する可能性を数学的に計算するために、驚くほど多くの時間を消耗しています。進化論は決して科学の1つの分野として扱うことはできません。今、この全てのナンセンスな作業を中断する時が来たのです。進化論に関する本は図書館で科学本ではなく、空想小説として分類され保管されなければならないのです。」(The truth, God or Evolution, p.39)


創造か進化か?  第6回

2016年10月22日 | 日記

第2部:進化論に関する6つの質問

 1.進化論は実際に存在する証拠を根拠に立てられた理論なのか?それとも、仮説が先に立てられ、それを立証するために証拠を探し出す学問なのか?

 進化論とは、仮説が先に立てられ、それを立証するために証拠を探し出し、確率を計算する学問です。進化論者たちが、とても重要視している理論の中に、適者生存があります。適者生存とは、各世代を通して、強い生物は生き残り、弱いものや変化する環境に適応できない生物は自然に絶滅するという理論です。これを自然淘汰とも言います。進化論者たちは、適者生存という仮説を進化論の重要な骨組みの中の一つとしています。そして彼らは、生物が次世代へと進む過程で、強い者だけが生存することになるため、生物はさらに発展し向上する方向に進化すると信じています。ダーウィンは、この自然淘汰こそ、自身の理論を確立させるのに最も重要な要素と考えました。彼はこのような自然淘汰説を使用し、人間と全ての生物の進化の痕跡を探し出そうと努力しました。

 自然淘汰説は、現代の進化論者たちから全体的な支持を受けられずにいます。その理由は自然淘汰という仮説を通して、アメーバが人へと変容して行く過程を説明できず、それを再現することもできないからです。また、進化の過程の途中にある確実な中間形態も発見できなかったためです。強い者のみ生き残り、弱い者は消えてなくなってしまうという仮説によって、ある種の生物がまったく異なる種に変化するということを、科学的に立証できなかったため、自然淘汰説は一部の進化論者たちの間で無視されています。そして、進化論者であるG・G・シンプソン博士は、自然淘汰説について次のように言っています。「その理論は、まだ完全に立証されておらず、ただの推測で成り立っている仮説に過ぎない。」(Major Features, p.118)

 進化論は、確実な証拠もなしに推測によって立てられた仮説です。ダーウィンはアメーバが人に進化するという実際的な証拠を一つも発見できなかったにも関わらず、自然淘汰(適者生存)という仮説を土台に、アメーバが人へと進化したという理論を述べたのです。最初は彼の理論がもっともなように聞こえ、人々の視線を集めましたが、自然淘汰説によってある種がほかの種に変化する実例がないため、今日自然淘汰説の信頼度は低くなってしまいました。要するに、自然淘汰説は、ある生物が実際的にある種から他のある種へと転移した事実を土台に立てられた法則ではなく、人間がアメーバから進化したという、進化論者たちの憶測を合理化するため考案された抽象的な理論なのです。