ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

げってん(その16)-みちのくから来た絵かき-

2007年06月19日 | 随筆
 ・津軽を渡ってエキゾチックな函館の街へ、そして、又北へ。酒の量が増えます。オホーツクの流氷を眺めていると自分の今の有様がはっきりと感じ取れて、はらはらと涙します。
 ・再び津軽海峡を渡り山形へ。寒河江市十部一峠の道路工事現場で働きます。しかし、ここでも又、虫垂炎の手遅れで3時間の手術と2ケ月の入院です。豪雪の季節が来て飯場を離れます。
 ・三度、東京銀座へ。磯谷画廊で「エルンスト展」を見てショックを受けます。「世界にはすごいやつがいる」「あいつは絵かきの敵だ」と酒をあび、叫びながら銀座四丁目で倒れます。健治の酒はどうやら笑い上戸でも泣き上戸でもなく、酒に挑む玉砕型の呈を帯びてきました。
 ・健治は血を売り、酒を飲んで、路傍で絵を描いています。経済の急速な発展は健治のみならず急進派の人々が健治を巻き込みます。「なぜキャンバスに描かなければならないのか」「なぜ絵具で描かなければいけないのか」「なぜ個展は画廊なのか」、ヒッピーたちは地下道路や人の肌に絵を描いています。しかし、やがて孤立し、一人二人と姿を消していきました。1969年、健治は33歳になっていました。
 ・釜石を出てから10年、健治は新潟の護岸工事の現場にいました。ここでも相棒の事故死に遭遇します。どこに行ってもハプニングです。このあと大阪に下った頃は、一度飲み始めると止まらない酒になっていました。朝から晩まで昼も夜も、幾日も。浅い眠りから覚めるとまた飲みます。食事をしないので体力をなくし、体が酒を受けつけなくなるまで飲み続けます。渇酒症というアルコール中毒です。この病気は、甘えん坊で自己中心、身勝手な寂しがりや、一人っ子や末っ子に多いとある。社交性もあり、子供っぽく陽気にはしゃぎ、自分の長所にうぬぼれるほどの自信を持っている。しばしば特殊な芸術的才能を示したりするが、人格は未成熟とまで言われても否定できない健治です。
 ・さらに広島の福山へ下り、次に九州へ向かいます。浅間山荘事件(1972年)のニュースを久留米まで行くという長距離トラックに便乗した助手席で聞いていました。小倉の横市組の作業員宿舎へ向かいます。公共事業の下請けでトビ職の手元として働きます。そのうちこの宿舎で大阪時代の友に思いがけなく再会します。修羅場をくぐった仲間なので当然のように酒盛りです。友とはいつのまにか別れ健治は酒の魔性に捉われ、若松競艇場で保護され、若松警察署の留置場で目が覚めます。このまま帰しても自傷他害の恐れありと精神病院へ送られます。この病院で辛くて、おかしい3年間の治療が始まるのです。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2007-09-14 11:55:46
ちょっと 油断してる間に こんなに沢山の文章が連なっていたのですね。 楽しく 想像力目いっぱい使って(それでも足りないですが・・・)読ませていただいてます。こっから先 読み進む楽しみができました ありがとうございま~す
返信する
Unknown (ニックネーム: NON)
2007-09-14 14:22:28
このブログをお一人でも楽しみにしていただける方が居られると思うと書き甲斐があります。できましたら、ニックネームで結構ですから、お知らせくださるとよいのですが。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。