専門4年生(執筆者不明)
4年前、岩崎谷のある家の白いこぶしの花を見て、「ああ、いよいよ専門か」と、新しい門出に感じたのも昨日の様な気がする。その白い花が真っ青な青空を背景に目にしみる様に鮮やかであったのを思い出す。今又、暖かい春の光のもとにその蕾がふくらんで、4年の月日が瞬く間に過ぎたことを改めて痛感する。
解剖学に始まる医学の門を初めて叩いた時、漠とした広大な学問に感嘆し、蟷螂の斧を振う如しと考えて、無気力に過ごした1年の頃。あの当時は学問に対して謙虚さがなかったことが恥ずかしい。
こうして惰眠をさぼっていた自分に警鐘となったのは、生化学に居られた森沢先生であった。先生は講義の合間に時々先生の人生観を話しておられた。ある日、「安易な自己満足に陥ることを恐れよ、常に向上への不安の中にあれ!」と言われた。この言葉に非常に感銘を受け、後日、ともすると低きへ流れようとする自分の心の支えになった。
だが、振り返って見ると、勉学にしろ、他の学内の活動にしろ、いつも自分は消極的であった。自分で自分の視野を狭くして、その中で一つの方向のみに目を向けていた様に感ずる。事物を見て疑問を生じても、目をつむり受動的に行動することが多かった。物事の意義や必然性を考える努力を怠っていた。自分の世界が非常に狭かったと思う。
医学教育や医療など、全てのことが関係する中で、自己の内面的な努力と一緒に自分の周りの環境を改善する努力なしでは、真の発展はないと思う。医術を研鑽することも必要だが、広い視野に立った医者となることも必要だろう。
今卒業にあたって、医学に対して謙虚であり、良き医者となることが社会へ対しての責任であり、そうありたいと考える。
4年前、岩崎谷のある家の白いこぶしの花を見て、「ああ、いよいよ専門か」と、新しい門出に感じたのも昨日の様な気がする。その白い花が真っ青な青空を背景に目にしみる様に鮮やかであったのを思い出す。今又、暖かい春の光のもとにその蕾がふくらんで、4年の月日が瞬く間に過ぎたことを改めて痛感する。
解剖学に始まる医学の門を初めて叩いた時、漠とした広大な学問に感嘆し、蟷螂の斧を振う如しと考えて、無気力に過ごした1年の頃。あの当時は学問に対して謙虚さがなかったことが恥ずかしい。
こうして惰眠をさぼっていた自分に警鐘となったのは、生化学に居られた森沢先生であった。先生は講義の合間に時々先生の人生観を話しておられた。ある日、「安易な自己満足に陥ることを恐れよ、常に向上への不安の中にあれ!」と言われた。この言葉に非常に感銘を受け、後日、ともすると低きへ流れようとする自分の心の支えになった。
だが、振り返って見ると、勉学にしろ、他の学内の活動にしろ、いつも自分は消極的であった。自分で自分の視野を狭くして、その中で一つの方向のみに目を向けていた様に感ずる。事物を見て疑問を生じても、目をつむり受動的に行動することが多かった。物事の意義や必然性を考える努力を怠っていた。自分の世界が非常に狭かったと思う。
医学教育や医療など、全てのことが関係する中で、自己の内面的な努力と一緒に自分の周りの環境を改善する努力なしでは、真の発展はないと思う。医術を研鑽することも必要だが、広い視野に立った医者となることも必要だろう。
今卒業にあたって、医学に対して謙虚であり、良き医者となることが社会へ対しての責任であり、そうありたいと考える。