世界が愛するオーボエ奏者、57歳の東京音楽大学教授の「宮本文昭」氏。彼は、この3月で引退して、他のことをしようとしている。
「このままだと、せっかくの人生が、オーボエだけで終わってしまう。それよりも、又、他の事で・・・」と言う。
彼のエピソードは、尽きない。
「オーボエを始めて一年後、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を受験したんですが、不合格だったんです。しかも、実技で落ちる人はほとんどいなかったのに、ボクはそこで落ちた。その後、理由を聞きに行ったら、こう言われたんです。管楽器の先生には「オーボエに向いていないと思う」、調音の先生には「音に対する感覚が鈍い」と(笑)。厳しいことを言われたんですが、逆にそれがよかったと思っています。オーボエを始めたのは、演奏者人口が少ないので多少下手でも食っていけるという甘い考えもあったんですが、受験失敗で、愕然とした。そして、努力しよう、頑張ろうと思った。・・・「向いてない」「感覚が鈍い」と言うヤツらを見返してやろう、とね(笑)」
・・・受験失敗が、宮本氏の人生を決定づけた。桐朋学園高等学校音楽科に進学、オーボエ一筋に打ち込んだ。卒業後、あえて、東京藝術大学音楽学部を受験せずに、単身、ドイツに渡る。
宮本氏の生き方を見ていると、何か、勇気をもらう。同じ団塊世代の人間として。
16日(金)、市民健康講座での特講としての依頼を受けた。それで、「子どもは未来」と題して、5月(2回)と6月(2回)に、することになった。
3月30日に事務長さんの送別会で、4月2日に病院の新人歓迎会の花見で、篠笛と和太鼓の演奏をすることになった。
今から、医療以外の分野で、それなりにもっともっと頑張って行きたいと思う。今は、充電期間だと思っている。
ところで、昨日(17日)、午前中に16人、午後は、11人診察、インフルエンザと急性胃腸炎が多かった。しばらく、この傾向が続きそうだが。
「このままだと、せっかくの人生が、オーボエだけで終わってしまう。それよりも、又、他の事で・・・」と言う。
彼のエピソードは、尽きない。
「オーボエを始めて一年後、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を受験したんですが、不合格だったんです。しかも、実技で落ちる人はほとんどいなかったのに、ボクはそこで落ちた。その後、理由を聞きに行ったら、こう言われたんです。管楽器の先生には「オーボエに向いていないと思う」、調音の先生には「音に対する感覚が鈍い」と(笑)。厳しいことを言われたんですが、逆にそれがよかったと思っています。オーボエを始めたのは、演奏者人口が少ないので多少下手でも食っていけるという甘い考えもあったんですが、受験失敗で、愕然とした。そして、努力しよう、頑張ろうと思った。・・・「向いてない」「感覚が鈍い」と言うヤツらを見返してやろう、とね(笑)」
・・・受験失敗が、宮本氏の人生を決定づけた。桐朋学園高等学校音楽科に進学、オーボエ一筋に打ち込んだ。卒業後、あえて、東京藝術大学音楽学部を受験せずに、単身、ドイツに渡る。
宮本氏の生き方を見ていると、何か、勇気をもらう。同じ団塊世代の人間として。
16日(金)、市民健康講座での特講としての依頼を受けた。それで、「子どもは未来」と題して、5月(2回)と6月(2回)に、することになった。
3月30日に事務長さんの送別会で、4月2日に病院の新人歓迎会の花見で、篠笛と和太鼓の演奏をすることになった。
今から、医療以外の分野で、それなりにもっともっと頑張って行きたいと思う。今は、充電期間だと思っている。
ところで、昨日(17日)、午前中に16人、午後は、11人診察、インフルエンザと急性胃腸炎が多かった。しばらく、この傾向が続きそうだが。