日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その205)

2007-09-10 09:06:33 | Weblog
○昭和59年1月1日(日)晴。(1.984年、今から23年余前)
 今年で佐伯に帰って5年目になる。家族4人で(城山の麓にある白潟の)若宮神宮に参って、家内安全を祈った。健康第一だなあ。
○昭和59年1月2日(月)晴。
 77人診た。重症が1人もいなくて助かった。いくら沢山いても重症がいないと楽だ。重症が1人でもいると本当に大変だ。喘息も細気管支炎もないなあ。多い割には、楽な日だった。
○昭和59年1月4日(水)晴。
 12月29日~1月3日まで、500人ぐらい診た。例年と比べると楽だった。来年は、1月5日(土)~1月7日(月)朝まで、バッチリ休もう。
○昭和59年1月5日(木)晴。
 ベビ一が少し悪くて心配。ベビ一がなければ、まだまだ頑張れる。ベビ一があれば、後3年かなあ。○海に(小児科が)出来た為か、○○○産婦人科からの紹介がなくなった。その分、少し楽になったかなあ。お産は、58年は、ここで何と580前後もあった。その内亡くなったのは5名。○○ベビ一、(仮死で)後遺症が残りそうだなあ、後は、大丈夫だろう。ベビ一のきつさは、している者にしか分からない。あまり合う仕事でない。いつまでここにいるのかなあ、ベビ一さえなければ、体が何とか持つのだが。
○昭和59年1月13日(金)曇。
 体がとてもだらしい。年末年始からの疲れの後遺症かなあ。少し風邪気味。2月、3月と今から多くなるなあ。21日にT先生が(代診で)来てくれるかと思うと嬉しい。人間、やはり休むことが大切だ。今、ベビ一は落ち着いているし、一般の入院も落ち着いている。あまり体に無理がない日々ではあるが、毎日働くというのは、やはり疲れる。
○昭和59年1月14日(土)曇。
 喉が少し痛い。今日は200人を越えた。きつい。月報の原稿を書かないといけない(西田病院月報の原稿を毎月休むことなく書き続けた)。
○昭和59年1月16日(月)曇。
 昨日34人、今日も休みなのに34人来た。昨年の細気管支炎の大流行には参ってしまった(呼吸が止まった子がいた)。今年はどうなるのかなあ?
*(58年冬の話であるが)小児科大部屋に細気管支炎(ウイルスによるもので、乳児の肺炎)の乳児ばかりが9人入院していた。私の言い方はいつも同じ、「ウイルスですので、特効薬はありません。多くの場合、今から3日目までがピ一クになります。それを越えれば、まず、大丈夫なことが多いです。ネブライザ一をし、しばしば、吸引しないといけません。深夜の2時~6時が一番ひどくなりますので、よく見ていて下さい」と。で、隣の部長室に泊まっていたのだが、若い親御さん夫婦が深夜眠っていて(その子が一番小さく一番ひどいので、今晩は、起きずにしっかり見て下さいと言っていたのだが)、呼吸が止まってけいれんが起き、付けたモニタ一のアラ一ムが(深夜3時過ぎに)なっていた。隣の人が気が付き、直ぐに処置をしてかろうじて助かった。その翌日から、その部屋の親御さん達全員が、深夜もしっかり目を開けて我が子達を見守っていた。
○昭和59年1月17日(火)晴。
 体調不良、ピンチであった。インフルエンザにかかっている。頭痛、咽頭痛もあり、体がだらしい。午前中、130人診て、全部で200人程診た。きつかった。今からインフルエンザが多くなりそうだ。インフルエンザが多いと細気管支炎がない感じだ。どうしてかなあ?
○昭和59年1月18日(水)曇。
 ○海病院(の看護専門学校)で最後の(小児科の)講義をした。(西田病院は、水曜の午後、休診になっていたので、その時間を利用して、○海病院で、年間20回教えていた。小児科の先生が来られたので、今回で終わりになった)皆真剣に聴いてくれたし、試験もよく出来ていた。家に帰ると、すごく疲れていた。夜雪が降っていた。
○昭和59年1月19日(木)雨。
 朝起きると銀世界だった。こんなに佐伯で積もった雪、見たことなかった。道路が凍って危ない。この日、約90人来た。婦長がインフルエンザで休んでいた。自分のインフルエンザ、少し治った。路子と雪でネズミを作った。
○昭和59年1月23日(月)晴。
 今日は200人程診た。ベッドが足りなくて、他の科も一杯で、やりくりでも大変だった。

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