日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その254)

2008-01-26 09:30:31 | Weblog
○昭和61年4月3日(木)雨。
 少しカゼ気味だ。首が凝っている。眠たい。脱力感。何となく元気が出ない。○さんの話だと、仕事をしている医者であればあれ程、外で思いっきり遊んでいるとのこと。飲み、打ち、そして買いと。その打ちの一つも自分はしていないなあ。
○昭和61年4月8日(火)晴。
 頭が痛い。思うに、(日曜の小児科学会での質疑応答で)批判することは簡単だが、実際にするとなると難しい。発表にしても、忙しい中でスライド作るまでって、大変だのだ。今まで続けて(学会で発表を)28回もよくしてきたと思っている。○○先生や○○先生は、励ましてくれるけど、皆が皆そうでないのは、いろんな人がいるから仕方ないかなあ。
○昭和61年4月11日(金)晴。
 英会話の日だった(アメリカ人から医師4人がずっと教わっている)。90分間、殆ど英語で話した。結構楽しかった。Bobはゆっくりと話してくれるけど、普通のアメリカ人は、早口だ。もっと上手にならないといけないなあ。
○昭和61年4月16日(水)晴。
 風邪気味だったが、東京海上ビルで18:00~19:40まで、講演した。自分ではいい話をしたと思うけど、僕の詰まった言い方とネが多いことで、聞いている人の中に、眠っている人もいた。ま、こんなものかなあ。
○昭和61年4月29日(火)雨。
 (小児科のスタッフだったナースの)○○ちゃんの結婚式で、ビデオをバッチリ撮ってあげた。疲れて、肩が痛くなった。祝辞も言い、唄も歌った。小児科に来ると、何故か、どんどん結婚して行くなあ。どうしてかなあ。

 ある結婚式での私の祝辞の中の一部(4月29日の内容ではない)、・・・茶道(お濃)での茶入(ちゃいれ)を拭く前の帛紗捌(ふくささば)きで、四方(よほう)捌きと言うのがあります。次の様に心で思いながらします。東を向いては親の恩を思い浮かべ、西を向いては師の恩を思い浮かべ、南を向いては家族の恩を思い浮かべ、北を向いては友達に感謝する。つまり、世の中を生きる上で忘れてならないことは、今の自分は自分だけの力でそうなったのではなく、多くの人の援助があったからこそ、そうなっている訳で、そのことを常に忘れることなく、多くのことに感謝して、今後の結婚生活を送って下さい。・・・

○昭和61年4月30日(水)晴。
 佐伯警察署に行った。更新した。15年間無事故。運転しないから当たり前か。郵送で送ってもらうことにした。700円要った。視力が少し落ちている。これがいつも免許を更新する時に心配になる。後3カ年後に車を持っているだろうか?医大から小児科医の常勤医が一人が来れば、それも可能かなあ。まだしばらく、このままで行きそうだなあ。
○昭和61年5月1日(木)雨。
 ショックの日だった。雨に濡れてダビングしたのを自転車に乗って取りに行って再生してみたが、よく撮れてなかった。(レセプトの)ガンマーグロブリンがバッサリ引かれていた。注意書きを詳しくしないといけなのが10枚以上あった。夕方、○○○病院からベビーが来て、来た時に既に心停止していて亡くなっていた。風邪気味で喉も痛かった。

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