日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その213)

2007-09-18 08:07:17 | Weblog
○昭和59年5月9日(水)晴。
 半ドンで100人ちょっとだった。以前と比べて少なくなった。今から少し暇になってくれるかなあ。いつも、朝の7:30から、病棟回診をすることにした。きついけど、朝、能率良く仕事をした方がかえって楽なのだ。○一○の○○嬢が、(付き合っている)男性と別れますと言いに来た。涙を一杯流していた(彼女は、充分に任せられる極めて優秀な○一○だったが、それと男性を見抜く目は全く別。てっきり私に言って来た様にその時から別れていたと思っていたのだが、再びよりを戻して一緒になって結婚してしまった。子どもが出来た後にしばらくして別れてしまった・・・)。

*男女のトラブルで、何故か私に独身の女性からよく相談があった。私の言い方は常に同じで、「ものには、順序がある。恋愛して、じっくりと相手との相性を調べてから親とも相談して結婚し、そして出産、これが原則。恋愛病は病気だから、極めて治療が難しい。10人の内7~8人が辞めた方がいいよと言っている時には、そうした方がいい。時間と距離を置いて、冷静になる必要がある」と説明していた。付き合っている男性を先生に見て欲しいと言われることが多く、結婚前に会って意見を言ってあげることが多かった。結婚式での祝辞も、かなりの数している(今までに、残念なことに、その内の3組も離婚しているが・・・)。

○昭和59年9月12日(土)晴。
 (10日に生まれて真剣に診ていた)RDSの子、左の気胸を起こして、死亡してしまった。気胸を起こす前に、助かるかも知れない様なことを親御さんに言っていたので、バツが悪かった。圧をも少し低くしていたら、助かっていたかも知れないなあ。ちょっとの変化も見逃してはいない。ホッと医者がした時が危ない。気を抜いた時が危ない。泊まって深夜もよく診ておくべきだったかなあ。忙し過ぎるでは、弁解できない。
○昭和59年9月14日(月)晴。
 今日は、200人程診た。休んだのに、スピ一ドが落ちている。(土曜から月の早朝まで、宮医大から○田先生が代診で来てくれていて)○田先生、かなり何回も起こされていた。小児救急を1人でやっている訳だから、土台、無理な話だ。事故が起きない方が不思議だ。土の夕方から月の早朝まで常にいつも来てもらえれば、後、1~2年は、1人でも何とか出来そうな気もする。理事長さんが元気な内は、そして、家と土地の借金返済の目途が立つまでは、頑張らないと。
○昭和59年9月16日(水)雨。
 ○○ベビ一、徐脈が心配(70台)。准看の講義が6月から始まる。その準備も必要。月報の原稿の催促が来た。明日か明後日には、書き上げないといけない。朝、7:30から病棟を診るのが習慣化されてしまった感じだ。自分は、朝型だ。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 為になるかも知れない本(そ... | トップ | 一人暮らしのお年寄り再考 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事