日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その212)

2007-09-17 07:41:54 | Weblog
○昭和59年4月20日(金)晴。
 朝の1:30までかかって3月の小児科の統計を執り上げ(しばらくして、家内がいつもしてくれる様になっていた)、(月報係の)○木さんに原稿を出した。大分地方会の3回に常に発表して行って、県医学会の雑誌に投稿していけばいいなあ。(西田病院にいた時、しばしば学会発表し、論文も少し書いていた)
○昭和59年4月23日(月)晴。
 喉が痛くて、きつかった。インフルエンザかなあ。こんな時、1人が如何に心細いか、誰にも分かってもらいそうにない。200人以上の外来と30人の入院と、それに時間外診療、それを1人でやり続けるなんて、土台、無茶だ。いつかは、体がボロボロになってしまうだろう。そうなる前にどうかして手を打たないといけないなあ。
○昭和59年4月28日(土)雨。
 281人来た。スピ一ドが落ちている。喉が痛い。自分の体が病気になるととても心配する癖に、元気になるともう心配したこと忘れてむちゃくちゃに働いている。この繰り返しだなあ。
○昭和59年5月1日(火)晴。
 午前中に150人診て、それから乳児健診を診て、210人程診た。喉の痛みが朝たいしたことなかったが、次第に痛くなってきて、夕方又少し柔らいだ。早く健康な体に戻りたい。
○昭和59年5月2日(水)晴。
 12:00に大分医大の○○先生に電話して、バイトの件を頼んだ。そして、来週の火曜日に事務の○○さんに行ってもううことにした。どうなることやら。
○昭和59年5月4日(金)晴。
 風邪が嘘の様に治った。朝起きても喉がちょっと痛いだけなのだ。6:00に目を覚まして、7:30から病棟30人以上を診て、午前中で150人診て、13:00前に終わった。午後は、少なくても100人は診たと思う。自分でもすごい量だと思う。
○昭和59年5月6日(日)雨。
 (昨日から家族で鹿児島に来て)遅く寝、朝早く起きた。頭が痛かった。(家内の弟の)結婚式で、ミ一コが、「キャンディ一キャンディ一」を歌った。(鶴丸高校の時の同級生で)鹿児島大学の医学部に行っている人が4人も来ていた。いい結婚式だったなあ。
○昭和59年5月7日(月)晴。
 朝6:00起き、ラジオ体操をして、7:30から病棟回診をして、8:30前から外来を始めた。昼に少し眠り、夕方18:00に家に帰り、ハングル語を少し(長女と)勉強して、夜、又、診療。220人は診たと思う。少し眠たかった。午前中の方が能率が上がる感じだ。

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