日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その211)

2007-09-16 07:30:12 | Weblog
○昭和59年4月2日(月)晴。
 学会が終わって(西田病院での統計をよく発表していた)、風邪気味になってきつかった。頭がとても痛くて、鼻水が止まらない。それでも、220人以上頑張って診た。1人では無理だなあと思う。中津国立病院でも3人もいる。これ以上多くなると、患者サ一ビスが確実に落ちるなあ。
○昭和59年4月5日(木)雨。
 体の調子が少し良くなった。今日は、大分医大に2人送った。ダウン症候群の○○○ちゃん、経過は良くないと思う。脳腫瘍の子も、どうなるかなあ?送れる所があるから1人でも何とか出来る。死ぬ運命にある子は、どこでどう頑張ったって死んでしまう。診療中にトイレに行きたくなったが、待っている人が多いと本当に困ってしまう。一日一日があっと言う間に過ぎてしまう。
○昭和59年4月6日(金)雨。
 180人前後来た。副鼻腔炎を起こしているみたいだ。体がだらしい。月報の原稿を書かないといけない。医師は、患者さんの為には、常にベストコンディションでないといけないと思うのだが、とてもこの状態では無理だ。毎週、土・日に、大分医大と宮医大から常に来てもらわないと、本当に行き着いてしまうなあ。
○昭和59年4月8日(日)晴。
 佐伯春祭りと言うのに、家でゆっくり休んで、グッスリ眠った。こんなこと、久し振りだなあ。これも○○先生(代診で土曜の夕方から月曜の6時まで来てくれていた)のお陰だ。ハングル語を勉強した。NHKの教育テレビで語学番組でいいのが一杯あるなあ。人間って、どうして新しいことを勉強しようとするのかなあ。自分でもよく分からない。
○昭和59年4月9日(月)雨。
 体の調子、まあまあだった。200人ちょっと来た。まだ、しばらく少なくならない感じだなあ。ハングル語、文字が面白い。順番も日本語と同じだ。もっともっと勉強したいなあ。
○昭和59年4月15日(日)晴。
 昨日は、夜遅くまで働いて、今日も遅くまで働いた。忙しい日だった。きついが、代診の人がいないから仕方ない。毎日忙しく働いて、それに、土・日も平日ほどではないが、それなりに働くというのは、人間のリズムからしたら無理な話だ。他の科の先生で、自分ほど休みもこれ程までに一生懸命に仕事をしている人はいない(しかし、売り上げは、小児科は、下から常に2番目)。
○昭和59年4月16日(月)晴。
 頭が痛い。病気が完治していないせいか、睡眠不足のせいか、どちからのせいだと思う。家で寝ていてもいつ起こされるか分からないので、不安であまりよく眠れていない。実際、1人で毎日深夜もしているのだ。この状態をどうかしないといけないと思いながらも、ズルズルになっている。宮医大か大分医大かどちらから、もう1人常勤で来てもらわないともう出来ないなあ。

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