日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その259)

2008-02-02 16:06:44 | Weblog
○昭和61年9月2日(火)晴。
 午後の(院内の)乳児健診、37人来た。40人前後だと、ごったがえしている感じになる。この時が自分は内心ドキドキして早く終わろうと気にしている。何故なら、この時に救急車でも来たら、外来がストップして、多くの人を待たせてしまうからだ(帝王切開の時は、小児科の外来の隣りに手術室があったので、直前に行っていた)。脳外科は、来年の4月から1人増えるとのこと。外科も、1人増えるとのこと。小児科医は、まだ。
○昭和61年9月23日(火)晴。(祝日)
 血圧が少し下がった。体がちょっと調子がいいかな。体重も減って70Kgになっている(この頃、脳外科の先生に勧められて、ゴルフを一生懸命にする様になっていた)。家と土地の借金も、どんどん返している。実りの秋かなあ。しかし、患者さん少ない。
○昭和61年9月26日(金)晴。
 喘息のひどい子がどっと来た感じの日だった。朝から忙しかった。喘息の子がひどくて、久し振りに病院に泊まり込んだ。この日、忙しくて風呂にも入れなかったので、気持ちが悪かった。それでも、1日に80人ちょっとしか診ていない。次第に数が少なくなって行く。採算が次第に合わなくなるだろうなあ。
○昭和61年9月27日(土)晴。
 体の調子が悪かった。土曜と言うのに、120人前後でしかなかった。少ない。
○昭和61年9月30日(火)晴。
 健診で43人来た。全部で、100人を超えた。少しずつ多くなっているのかなあ。患者さんの数が、年間36500人を切りたくないなあ。そうしないと、1日平均100人が保てないから。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 車と私 | トップ | やる気の試験 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事