正月2日のこと、
息子が屋根裏収納庫で何やら探し物・・・
目当てのものは見つからなかったみたい。
代わりに埃だらけの分厚い本を持ってきた。
「近衛文隆追悼集」
ずっと前から我が家にあった本で父が大事にしていた。
昭和34年だから私が中学生だったころ。
父が子供の頃大正時代から、近衛家の書生をしていたことは父の話で知っていた。
戦前の総理大臣であった近衛文麿公の長男が近衛文隆氏。
文隆さんの遊び相手として書生だった父。
住み込みで近衛家に仕えながら、今の東京電機大学を卒業して就職したのは国鉄。
今のJR東日本、そこで職場結婚して生まれたのが兄2人と私。
国鉄に入社してからも、ずっと長い間年に数回は近衛家を訪れていた。
私も高校生だったころ、一度だけ父のお供をして荻窪のお屋敷荻外荘に行ったことがある。
近衛家のことは父の自慢話として聞かされ続けてきたのに。
父が亡くなって30年近くになると、すっかり忘れていた。
「近衛正子さんって誰?」と聞かれると、文隆さんの奥さんだったかな・・・
記憶をたどって、文隆さんは終戦と同時に満州からシベリアへ捕虜となり、
シベリアで亡くなったという話を思い出した。
それで追悼集が出版されたことを。
一度も中を開いてみたことがなかったけど、この際読んでみようかな。
文隆さんにかかわった色々な人たちが死を悼んで書かれた文章。
その中にやんちゃだった幼少期のことを書いた父の文章も載っていた。
自動車の車庫に入ってみようと運転手の真似をしたのはやんちゃ坊主の文隆さん。
父は止めながらも助手席に乗り、ガチャガチャしているうちにサイドブレーキが外れて動き出し、
閉まっていた扉を押し倒し道路まで走りだして、二人とも凄く叱られたと。
(文麿公の愛車フォードだったそう)
学習院時代の学友、アメリカ留学していた頃の友人、シベリア抑留で一緒だった元将校等々多数の方々‥
ゴルフの腕前は留学前から相当なもので、大学生の頃アメリカでも活躍しプロ並みだったらしい。
誰にも優しく温厚な人柄であり、機微に富み魅力的な人柄だったと。
首相の息子だったというだけで、戦犯 でもないのに11年間もシベリアに抑留され、
帰国寸前に病死したことになっている不運な人。
もう少し早くソ連が参戦する前に、せめて広島と長崎に原爆が落とされる前に
終戦を迎えることが出来ていれば、かなりの命を救えたのではないかな。
今更だけど魅力的な惜しい人を失っていたのだなと読後感です。
せめて父が生存している間に読んでいれば、父も喜んだであろう。
この本にアタミロープウエイの古い栞が挟まれていた。
今、夫が後を引き継ぎ読書中。
出来れば兄や息子にも読んで欲しい。
ネットで近衛家の家系図を調べてみたら、文隆さんが主人公の小説を見つけたので図書館にリクエスト。
只今上巻を読書中。
この小説にも書生である父のことが書かれていた。
山形県の新庄生まれの父が何故近衛家の書生になったのか?
父に聞いたことがあったかもしれないのに、忘れたのか不明だった。
それがこの小説で解決。
父が書生になったいきさつが載っていた。
父は山形新庄藩の元士族の家に生まれたが、家庭に恵まれず
旧藩主の戸沢子爵の紹介で近衛家の住み込み書生になったと記載あり。
なるほど少しだけ我がルーツが見えたかなと納得しながら読書中です。。。