俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『殺生石』

2011-06-14 10:42:45 | Weblog
那須ICで高速道を下りて茶臼岳方面へ進み、那須湯本の温泉街を抜けるとすぐに史跡「殺生石(せっしょうせき)」が道の左側に見えます。




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平安後期、鳥羽上皇による院政が行なわれた時代(1129~1156年)、大変博識で美人の「玉藻前(たまものまえ)」という二十歳前後の若い女性が都に現れました。
上皇は妃として迎え、大そう寵愛したのでした。
でも、上皇は日に日に衰弱し床に伏すようになったのです。

天竺(インド)でも、唐(中国)でも散々悪さを働いて、追われ追われて日本へ飛来してきた「白面金毛九尾の狐」の化身がこの妃であることを、陰陽師(おんみょうじ)・阿倍泰成(清明ともいう)は見破ったのでした。

正体を暴露された「玉藻前」は「白面金毛九尾の狐」の姿に戻り、那須野が原へ逃げ去ったのでした。
上総介広常や三浦介義純の大軍勢が追い詰め退治すると、今度は毒気を噴出す巨大な石に化身したのでした。

人や鳥も動物たちもこれに近づけば、その命を奪われてしまったのです。
やがて、これを聞いた玄翁(げんのう)禅師がお経を唱え一喝すると、石は三つに割れて飛び散ったのです。
その一つがこの「殺生石」だと伝えられています。


以後、「白面金毛九尾の狐」は改心し、人のために尽くすことにしたのでした。

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その後、玄翁禅師は日本各地に多くのお寺を開山(かいさん)しました。
そして、その多くに稲荷神社を併設したのでした。

これは仏教を広めるのに、お経は難しく難解で判り辛かったので、「お稲荷さん」を拝むことによって“拝めば望みが何でも叶うと云う”という方が一般に受け入れやすいことにありました。

豊作祈願、大漁祈願、社運隆盛、商売繁盛、安全祈願、開運招福、心願成就、学業成就、合格祈願、就職祈願、交通安全、海上安全、家内安全、方除厄除、引越魔除、夫婦円満、交際円満、恋愛成就、良縁成就、復縁祈願、子宝祈願、安産祈願、縁切成就、無病息災、身体堅固、病気回復、当選祈願、諸願成就・・・

何でも叶います。
「お稲荷さん」は“霊験あらたか”ですゾ!