♪月夜の 田圃(たんぼ)で コロロコロロ
コロロコロコロ 鳴る笛は
あれはね あれはね
あれは蛙の 銀(ぎん)の笛
ささ 銀の笛♪
*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*
この頃、カエル鳴き声がとんと聞かれなくなりました。
昔はちょっと郊外に出ればうるさいぐらいのカエルの合唱が聞かれたのに・・・
いつだったかの新聞の千葉版に、この「蛙の笛」や「里の秋」など沢山の童謡を作った童謡作詞家・斎藤信夫の記事が載っていました。
彼の生まれ育ったのが成東町五木田(現・山武市)とのこと、あの辺りなら今でも田舎の味がそのまま残っているに違いない、という事で行ってみました。
市役所近くには、「野菊の墓」の作者・伊藤左千夫の生家があり、「政夫と民子の像」が立つ「伊藤左千夫記念公園」がありました。
五木田集落の辺りは田んぼが無く、ほとんどが畑でした。
今では東京近郊の生鮮食料生産基地として、イチゴやトマトなど野菜生産の方が稲作よりも回転が良いのかも知れません。
従って、カエルの歌声も昔物語となって、聴くことが出来ませんでした。
小高い丘の上の「成東城跡公園」は、印東氏累代の「鳴戸城」の城跡です。
頂上の広場には、斎藤信夫自筆の「里の秋」の歌碑が建っていました。
成東市街が足下に広がり、五木田の集落の森や遠くには九十九里浜の松林が連なった空との間には太平洋が横たわり、「千重も五百重も鳴りかさなる多くの響きを一纏めにした、非常に底力の強いどよみ」の九十九里の波音が聞こえて来るようです。
*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*
伊藤左千夫の生家の庭には「野菊の墓」映画化の記念樹がありました。
今ではすっかりオバサマになってしまった“聖子ちゃん”の清純な時代があった記念樹のようでもありました。
コロロコロコロ 鳴る笛は
あれはね あれはね
あれは蛙の 銀(ぎん)の笛
ささ 銀の笛♪
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この頃、カエル鳴き声がとんと聞かれなくなりました。
昔はちょっと郊外に出ればうるさいぐらいのカエルの合唱が聞かれたのに・・・
いつだったかの新聞の千葉版に、この「蛙の笛」や「里の秋」など沢山の童謡を作った童謡作詞家・斎藤信夫の記事が載っていました。
彼の生まれ育ったのが成東町五木田(現・山武市)とのこと、あの辺りなら今でも田舎の味がそのまま残っているに違いない、という事で行ってみました。
市役所近くには、「野菊の墓」の作者・伊藤左千夫の生家があり、「政夫と民子の像」が立つ「伊藤左千夫記念公園」がありました。
五木田集落の辺りは田んぼが無く、ほとんどが畑でした。
今では東京近郊の生鮮食料生産基地として、イチゴやトマトなど野菜生産の方が稲作よりも回転が良いのかも知れません。
従って、カエルの歌声も昔物語となって、聴くことが出来ませんでした。
小高い丘の上の「成東城跡公園」は、印東氏累代の「鳴戸城」の城跡です。
頂上の広場には、斎藤信夫自筆の「里の秋」の歌碑が建っていました。
成東市街が足下に広がり、五木田の集落の森や遠くには九十九里浜の松林が連なった空との間には太平洋が横たわり、「千重も五百重も鳴りかさなる多くの響きを一纏めにした、非常に底力の強いどよみ」の九十九里の波音が聞こえて来るようです。
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伊藤左千夫の生家の庭には「野菊の墓」映画化の記念樹がありました。
今ではすっかりオバサマになってしまった“聖子ちゃん”の清純な時代があった記念樹のようでもありました。