明治以前、“神宮”と称する神社は伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社しかないなく、格式の高い神社でした。
その香取と鹿島へ行ってきました。
実は年相応に、このところ凝っている“御朱印”をゲットするために・・・です。
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香取神宮の創建は神武天皇18年なる由古文書に記されているそうですが、現在のご本殿は元禄13年に檜皮葺屋根、黒塗権現作りで徳川綱吉公によって造営されたそうで、重要文化財となっています。
明治4年に官幣大社となり、戦場へ赴く軍人や兵隊たちが武運長久を祈願しました。
本殿の脇には樹齢約1000年というご神木がありました。
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鹿島神宮の創建は皇紀元年頃(紀元前660年)で、有史以来の歳月を重ねているとのこと。
社殿はその昔、伊勢神宮のように20年ごとに造営されていたそうです。
現在の社殿は元和5年(1619年)に二代将軍徳川秀忠公により奉納されたそうです。
「奥宮」は、慶長10年(1605年)将軍徳川家康公が本殿として奉納されたものを元和の造営の際に引き移したのだそうです。
「要石」は見えているところは直径25㎝ほどしかありませんが、中へ行くほど大きくなっているそうで、地震を起こすといわれる大鯰の頭を押さえていると言われています。
水戸光圀公が掘らしたところ7日7晩かかっても掘り切れなかった大きさとのこと。
このため、この地方での地震の災害はないそうです。
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帰りに「潮来あやめ園」へ立ち寄りました。
「娘十八番茶も出花」・・・こんな穢れのない清々しい浴衣を着たような可憐な花もありました。
夕日が西に大きく傾くころ帰途に就き、一日がかりの小旅行で首尾よく両神宮の念願の“御朱印”を有難く頂戴いたしました。
・・・信仰も疲れるものです。
その香取と鹿島へ行ってきました。
実は年相応に、このところ凝っている“御朱印”をゲットするために・・・です。
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香取神宮の創建は神武天皇18年なる由古文書に記されているそうですが、現在のご本殿は元禄13年に檜皮葺屋根、黒塗権現作りで徳川綱吉公によって造営されたそうで、重要文化財となっています。
明治4年に官幣大社となり、戦場へ赴く軍人や兵隊たちが武運長久を祈願しました。
本殿の脇には樹齢約1000年というご神木がありました。
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鹿島神宮の創建は皇紀元年頃(紀元前660年)で、有史以来の歳月を重ねているとのこと。
社殿はその昔、伊勢神宮のように20年ごとに造営されていたそうです。
現在の社殿は元和5年(1619年)に二代将軍徳川秀忠公により奉納されたそうです。
「奥宮」は、慶長10年(1605年)将軍徳川家康公が本殿として奉納されたものを元和の造営の際に引き移したのだそうです。
「要石」は見えているところは直径25㎝ほどしかありませんが、中へ行くほど大きくなっているそうで、地震を起こすといわれる大鯰の頭を押さえていると言われています。
水戸光圀公が掘らしたところ7日7晩かかっても掘り切れなかった大きさとのこと。
このため、この地方での地震の災害はないそうです。
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帰りに「潮来あやめ園」へ立ち寄りました。
「娘十八番茶も出花」・・・こんな穢れのない清々しい浴衣を着たような可憐な花もありました。
夕日が西に大きく傾くころ帰途に就き、一日がかりの小旅行で首尾よく両神宮の念願の“御朱印”を有難く頂戴いたしました。
・・・信仰も疲れるものです。