カーラジオから聞き覚えの歌が流れてきた。
歌っているのは沢田研二。
題名が思い出せなかった。
でも途中で分かった。
河島英五が沢田研二に楽曲提供した
『いくつかの場面』
♪いくつかの場面があった まぶたを閉じれば
喜びにくしゃくしゃになった あの時あの顔
寂しさに震えていた あの娘
怒りに顔をひきつらせ 去っていったあいつ
泣きながら抱き合っていた あの人の事
まぶたを閉じれば 数々の思い出が胸を熱くよぎる
そしていつも心を離れない 幾人かの人達がいた
出来るならもう一度 僕の周りに集まってきて
優しく肩たたき合い 抱きしめてほしい
作詞作曲した河島英五の方はCDで何度でも聴いているが、
沢田研二のバージョンは初めて聴いた。
沢田研二もなかなかいいね。
河島英五のベストアルバム「生きてりゃいいさ」の
ライナーノーツに牧子夫人がこんなことを記している。
「あのねのね(二人組フォークディオ)の前座をしていた頃は
本当にブーイングの毎日。
いつかは・・・と思っていたそうです」
♪いくつかの場面があった まぶたを閉じれば
いつも何かが歌うことを支え 歌うことが何かを支えた
野次と罵声の中で 司会者に呼び戻された
苦い思い出のある街
有頂天になって歌ったあの街
別れの夜に歌った寂しいあの歌
あのねのねのファンの方には失礼だけど完全に超えたね。
いつかはビッグになってやる。
いつか見返してやる。
そう思いながら歌っていたのかもしれない。
歳を重ねるたびにこの歌が心に浸みてくる。
それはやはり、自分なりの「いくつかの場面」が
想い出となり、それが多くなってきたからかもしれない。
河島英五さん、早すぎる死。
数々の名曲を遺してくれた。
まぶたを閉じてCDを聴いていると
元気に歌っている「いくつかの場面」が脳裏に浮かぶ。
良い歌(詩)と簡単に言い切ってしまうには余りにも僕にとっては深過ぎる曲のひとつです。
ライブでもラストかアンコールに良く唄っておられました。
どこのライブか定かではないですが「今、凄い事が起こってる。ビックリするぐらいのアーティストに曲を提供する話がある・・・まだ秘密だけれども」と嬉しそうに話していました。その曲がコレと知ったのはラジオでジュリー自身が話されていました。
ジュリー自身もタイガース解散後ピッグを結成時には散々マスコミ&ファンから叩かれて「寄せ集めの人気取りバンド」と散々だった。
「いくつかの場面」・・・それぞれがそれぞれの人生に当て嵌められる数少ない名曲ですね。
コンサートのラストソングまたは
アンコールソングとは知りませんでした。
僕もこの歌は自分自身の人生の歌かとも思っています。