【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉞
手術する? それとも…
岩崎邦子
「手術をされるって、どこの?」
思わず聞いてしまった。
白井市内の遊楽パークゴルフ場に出かけたが、冬の朝の寒さは厳しいもの。受付近くには薪ストーブがあって、プレー前の何人かがそれを囲んで談笑している。私も、冷たくてかじかむ手を温めたくなり、その輪の中の話題を聞いていたのだ。
明日が手術日だとか、リハビリの日程、プレーに復帰できる予想日のことなどが、話題となっている。
「ここよ、痛ぇからな」
誰だい?という顔をされたが、膝を押さえながらの返事が。仲間には膝関節の手術の経験者もいるらしく、励まされている。
「暖かくなったら、元気にプレーが出来ますね」
私も問いかけた責任でそんな言葉をかけた。
お互いに帽子をかぶり、マスク姿なので確とした顔の確認が出来なかったのだが……。
どの手術にしても踏み切る勇気は、なかなか難しいものだ。医学が進歩して様々な痛みから解放される術は、白井健康元気村の講演会でも聞いたことがあるし、ネットからも知ることが出来る。
私が左足全体の痛みで診察を受けた時、「すべり症」と診断され、手術を進められた。「良い医者を紹介しますよ」と。だが「手術は嫌です」と即答したものだ。
果たしてそれが、正解だったのかは、疑問である。普段の生活は支障もなく、パークゴルフにも参加出来てはいるが、多少の痛みがあるのは日々のことで、夜中に「痛いよぉ」と、なることもある。
施術に踏み切ることが出来るのは、内臓関係なら比較的素直になれる気がする。罹患している部分を切除することで病から解放されるように思うからだ。
ここで夫の場合を打ち明けてしまおう。何回も今までの駄文で書いてきているが、68歳で現役をリタイアしたが、5本の指でも数えるほど、体中のあちこちがボロボロであった。一番の悩みは重症の腰痛であったが、実は前立腺に関しても不安を抱えていた。
男性は年齢を重ねてくると尿の出方が悪くなるのだそうで、その受診の際にPSA検査(前立腺癌)をした。その結果の説明には、医師から夫婦で聞くように言われた。
「前立腺肥大だが、数値が高いので」
と説明されたので、私は即答した。
「ならば手術をして、悪い所を取ってください」
あまりのあっさり加減に医師にあきれられた。治療の方法としては、手術の他に放射線治療というのもある、とも言われたが、数値が高いということは、いずれ癌になるのでは、と考えてしまったのだ。
年齢階層別のPSAでは、50~64歳は3.0ng/㎖以下 65~69歳は3.5ng/㎖以下 70歳~は4.0ng/㎖以下だというが、その時69歳の夫は5.8ng/㎖だった。
前立腺癌と診断された夫の友人は、放射線治療をしたという。かなり高い確率で完治するといわれるが、費用も莫大に掛かり、しかも順番待ちにもなるらしい。裕福な彼はそれをクリアできたのだから、言い方も変だが凄い人である。しかし、放射線治療をしても完治しない場合、手術は出来ないというリスクもあるのだとか。
夫の前立腺肥大の手術以後は、定期的にPSA検査をしている。この秋85歳になるが、先日の結果は1.5~1.52ng/㎖。ということで、医師からは太鼓判を押されてはいる。
昨年9月30日に発表された日本人の平均寿命によると、男性81.41歳、女性87.45歳ということなので、夫は頑張っている方だろう。
でも、この先どんな病に罹るのかは、誰も予測できない。私の一回り上の兄は6、7年前に、大腸癌の宣告を受けた。医者嫌いの兄だったので、きっと初期状態ではなかったと思うが、頑なに手術を拒んだ。
「親父よりもうんと長生きしてきたから、もう良い!」
そんな持論を曲げなかったのである。戦後のどさくさ時代に医療の恩恵を受けられず、父は結核で旅立つ。50歳という短い生涯だった。
兄は身内の者に対しては、頑固者で扱いにくく、近寄りがたいところがある。神社・仏閣めぐりや、美術館に足しげく通う。また年齢を感じないほど頭も冴えていた。背も高い。
見た目の容姿は欲目を引いても「いい男」の部類である。公認会計士として人望もあった。なぜ、定期検診を受けなかったのか。悔やまれてならない。そんな思いは、私だけではなかっただろう。
高齢になれば、体調になんらかの異常や不都合が出てくるものだ。そのことにどう向き合えばよいのか。はて今後はどうすればよいのやら。
さて、遊楽パークゴルフ場に限らず、他所のパークゴルフ場でも、Yさんご夫婦に度々出会う。Yさんとは、以前に所属していた会で、ご一緒だった。当時「僕は体のあちこち切ってるから」と、聞いたが…。
私達はIという会を、事情が出来て(以前のエッセーで書いたが)辞めてしまった。それからしばらくして、気楽にプレーの出来る会に入会。以後、夫より1歳若いYさんは美しくて清楚な奥さんと二人で、仲良くプレーされている姿を見かけ、会えばお互いに笑顔で挨拶をする。先日は遊楽パークゴルフ場で会い、休憩時間に薪ストーブを囲んで話が弾んだ。
「僕は胃がんを切ってから半年後に肝臓がんの手術もして、もうすぐ死ぬんだと思っていてね」と、大病経験をされたという話のあと、「当時は、好きなゴルフは出来ないけど、パークゴルフ位なら、なんて思ってたら元気になってね」。続けて「もう、パークゴルフ様様ですよ」と。
「我が家の夫の腰痛にも、はい、様様ですよ~」
私も負けずに言って、大笑いとなった。
さて、健康寿命は、男性72.14歳 女性74.79歳とかで、県によって多少の違いはあるというが。
健康寿命とは、日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命を維持し、生活できる生存期間をいう。平均寿命と健康寿命の差から、日常生活に制限ある期間は、男性8.84歳、女性12.35歳。この二つの差が、より短いのが「ピンピンコロリ」とも言えて、寝たきりにならないことだ。
そのためにはどうすればよいのか。調べてみると、
①自分の足で歩きその力を落とさない。
②自分の歯で噛んで食べる。
③家に引きこもらない。
④部屋を暖かくする(18℃以下にしない)。
⑤エンディングノートを書く。
とある。
こうして見ると、それほど難しいことでもないようだが、⑤に関して、我が家の方針の一つを紹介しよう。
「死亡したら、誰にも知らせず、葬式は家族だけで行う」
これが必須である。
【岩崎邦子さんのプロフィール】
昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。