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招き猫と褐色の聖母 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉚

2023-11-18 05:43:31 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉚

招き猫と褐色の聖母

香港、欧州、中南米他

 

 

 下の招き猫の写真をご覧いただきたい。何か違和感を感じませんか?そう、小判の代わりにドル($)硬貨を持っている。他に変わったところは? あれ? 前足の甲側をこちらに向けている。それに三毛猫なのに、眼が青い。普通の日本人なら、一瞥して違和感を感じてしまうこの招き猫は、Dollar catと呼ばれている。

 日本では「おいで、おいで」の身振りは、手の平を下に向けて手首を上下に振るが、欧米でこの仕草をすると、「シッ、シッ、あっちに行け!」の意味に取られてしまう。「こっちにおいで!」は、手の平を上に向けて、手首を上下に動かすのだ。

 日本文化に無知で、招き猫の由来、意味を知らない西洋人が招き猫を見ると「あっち行け猫」と思ってしまうかも知れない。そこで、自己中心のアメリカ人が、お節介にも、西洋版 Maneki nekoを作ったのではないかと推理し、調べて見た。

 驚いたことに、Dollar catは、職人魂と商魂を併せ持った常滑焼の職人が、主にアメリカ人向けのお土産として仕様変更したものだと判明した。しかし、猫が手の甲を相手に向けた身振りをするなど、猫の骨格を考えると無理がある。Dollar catを作った常滑焼の職人さんには申し訳ないが、歴史的文化財とも言える招き猫の意匠を他文化に迎合して軽々しく変えるのは如何なものか。

 視点を変えてみると、海外から取り入れた文化を換骨奪胎して、我が物にするのが得意な日本人が、逆に日本文化まで相手が理解しやすいようにする工夫は「あっぱれ!」と言えるかもしれない。アメリカ人などは、日本に輸出する自動車でさえ、右ハンドル仕様のものを作ろうとしないのだから。Dollar catは、日本土産として、そこそこ売れているらしいが、日本文化を愛する圧倒的多数の外国人は日本オリジナルの掌をを相手に向けた愛らしい原型を支持しているようだ。

▲Dollar cat

 

 招き猫は、英語でwelcoming cat、lucky cat、happy cat、fortune cat、beckoning cat など様々な名前で呼ばれているが、最近では ‘Maneki neko’と日本語で呼ばれることが多くなっている。ネットの英語サイトには、招き猫の由来、色、左右の手の違いなど詳細な情報が溢れていて、驚かされる。

 招き猫の人気に最初に火がついたのは、台湾、香港だ。それが中国、東南アジアと広がり、今や欧米人の間でも人気が高まっている。バカラ、リヤドロ、スワロフスキーなどの有名メーカーもこぞってManeki nekoを作っている。幸い、手の平の向きは、総て日本と同じだ。香港や台湾には、招き猫専門さえある。

 

▲バカラのManeki neko

▲リヤドロの招き猫

▲スワロフスキーの招き猫

▲香港の招き猫専門店

 

 手の平の向きが反対の招き猫のことを書いていたら、ある文化が異文化と遭遇したときに起こる変化という視点から「褐色の聖母マリア」のことが思い浮かんだ。欧州で見る聖母マリア像は、白人と決まっているが、中南米では、褐色や黒い聖母マリア像の方が主流である。

 彼の地では、スペイン人によってもたらされたカトリック信仰がインカやマヤなど原住民の土着宗教と融合し、イエス・キリストより聖母マリアを崇める「聖母マリア信仰」が主流となった。時を経るにつれ、聖母マリアの肌の色は、褐色や黒に変化していったのだった。

▲褐色の聖母マリア▼

 

 面白いことに、日本でも聖母マリアは、隠れキリシタンにより仏教と融合し、「マリア観音」が生まれている。マリア観音は、明朝時代の中国から伝来した青磁や白磁の慈母観音像が元になっていると言われるが、日本で独自の変化を遂げていったのが興味深い。招き猫が将来、海外でどんな変貌を遂げるのか楽しみである。

▲マリア観音▼

 

 

 

                                    

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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