白井健康元気村

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みんな元気してるかなぁ~? 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆⑯

2021-09-16 04:48:59 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆⑯

みんな元気してるかなぁ~?

岩崎邦子 

 


                     
「7年後かぁ、80歳になるけど、それまで元気でいたいよね~」
 2013年にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIОC総会で「2020年東京オリンピック競技大会」の開催が決まった。そのときのテレビ・ニュースでは、フェンシングの太田雄貴さんの歓喜の姿や滝川クリステルさんの放った言葉「お・も・て・な・し」が誰の記憶にも鮮明に残っている。
 関東に住む同級生の集まりで、元気でいるための目標として、「2020年まで元気でいようね」と一様に語り合ったものだ。でも、去年も今年も、コロナ禍で会えないまま。みんなは元気だろうか。
 さて、話は1940年にさかのぼる。この年、アジアで初めてオリンピックが開かれる予定だった。「紀元二千六百年記念行事」として開催される東京大会てある。が、日中戦争(支那事変)や軍部の反対、国際社会の軋轢で開催権を返上した。
 同級生の大半や私が生まれたのが1940年、つまり昭和15年である。その後の残念な出来事、やがて太平洋戦争に突入していった時代。貧しく飢えていた幼少期が共通の思い出だ。
 そして、敗戦から19年後の昭和39(1964)年にようやく東京オリンピックが開催された。同級生は社会人や、家庭人にもなっていたので、それぞれの思い出があるだろう。関東に住んでいる同級生も、まだ若かったので、自身の生活に無我夢中だった頃でもある。
 オリンピック開催に向け、東京では建設ラッシュとなった。メインの国立競技場だけでなく、他の競技施設、選手村、交通機関としてのモノレールや首都高速道路などが整備されたものである。
 開催期間は10月10日から10月24日までだった。それに先駆けて、東海道新幹線(東京―名古屋―大阪)が10月1日に開業され、移動のための乗車時間は大幅な短縮となった。
 この年の4月に生まれたばかりの息子を連れて盆休みで帰郷する際、東海道線(東京―大垣)の寝台車を利用したことを思い出す。新幹線が開通してからは、乗車時間は短縮し、子連れの旅もずいぶん楽になった。
 今は上皇后となられたが、ミッチーブームともなった正田美智子さんと皇太子殿下(今の上皇)との婚礼を機に、テレビは白黒からカラーテレビとなり、オリンピック開催も、その普及に大いに拍車をかけた。
 開催日の10月10日は、からりと秋晴れで青空がきれいだった。最終聖火ランナーの坂井義則さんが、国立競技場の聖火台に向けて走る雄姿に釘付けであったが、後にも何度もテレビで見ることになった。
 開催式でブルーインパルスが五輪のマークを青空に見事に描いた飛行が話題になったが、浜松の空で何度も何度も練習をして苦労をした結果だったことを、後のテレビ番組で知った。
「2020年東京オリンピック」は延期となって2021年に盛大に開催。オリンピックだけではなく、パラリンピックの開催日にもブルーインパルスが大活躍する。アクロバティックな飛行は、コロナ禍による非常事態の中で大奮闘をしている医療関係者への感謝の飛行としても話題になった。
 私がちょうど80歳(傘寿)のときに、東京オリンピックの開催となる予定だったが、コロナ禍に見舞われて紆余曲折を経たものの、晴れやかに盛大に挙行され、後々までも語り草になる大会となった。
 ところで、関東在住の同級生との交流は、50歳になった頃から始まったのだが、年月を経ても幼かった頃のように、○○君とか○○ちゃんの呼び名で会話が弾む。ドジ話に花が咲けば最高の盛り上がりとなる。年に3、4回はランチ会をし、ときには一泊旅行や日帰りのバス旅もしてきた。
 オリンピックが開催される年となった昨年1月31日のランチ会では、4月のバス旅(日立海浜公園のネモフィラの花観光)を約束。このときには中国・武漢で発生した新型コロナのことも話題にはなっていたが、誰もが「いくらなんでも春には解決するだろう」と軽く考えていた。
 しかし、日本でも日増しに大変な状況となって、もちろんこのバス旅は中止に。以来、同級生たちとのランチ会は一度も開かれず仕舞である。2年ごとに開かれる故郷・大垣での同窓会は、今年秋の予定だったが……。地元の幹事に尋ねると、「秋の開催は中止、今後の日程の予測も立てられない」との返事が。
 もちろん、同級生の誰もがこの件には致し方ないと理解ができる。地元での同級生の連絡事項は電話やハガキで行っているようだが、関東勢は全員とメール連絡が出来る。
 さっそく私は関東在住の同級生へ一括メールし、幹事さんの中止の意向を知らせることに。地域密着型の活動で元気にしているという私自身の近況報告を兼ねてだ。
 メール連絡は相手の都合時間を気にしないし、必ずしも返事を必要とはしない所が良い。急ぐ時やイエス・ノーの返事を期待する時は、電話連絡となる。とはいえ、久々に送ったメールでは私自身の近況を伝えているので、そのお返しを期待してしまう。
 大半の人が80歳は過ぎてしまったけれど、約束した「元気でいたいね」は、叶っているのかな?
 関東に住む同級生の男子は、大手企業で働いていた人たちだ。定年後も役員として残り、また関連会社の顧問の幾つかを兼ねて忙しかった人も引退したという。読書三昧に飽きてきた人も。また退職後のご夫婦仲良しぶりが分かる人や、ゴルフやジムへ行って健康維持を保っている人もいる。
 こうした人からの返事は嬉しい。日々、近くのウォーキングを楽しんでいるとか、早くコロナが収束しておしゃべりがしたいとか、花を愛でる旅に行きたいというメールも、元気な証拠だ。少しマイナス思考になっている人は、「体のあちこちが痛くて」と、嘆く人もいるが、きっとみんなは「うん、うん、分かるよ~」と、思っていることだろう。
 だが、ランチ会への出席も多かったのに、連絡が来ない人もいて、気になっている。
「元気かなぁ…」
 コロナが収束したら、ランチ会のお誘いメールを出そう。
「元気にしてる~?」「会いたいね~」

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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