朝刊に映画監督の恩地日出夫氏が肺がんで亡くなったという訃報記事がありました。
じいちゃんは、恩地監督とTVドラマ(土曜ワイド劇場)でご一緒させて頂きました。
まだまだ駆け出しの頃で、映画製作現場のイロハを随分教えてもらいました。
とてもカッコよく、芸術家らしい雰囲気を持った方で厳しい中に優しさを感じたものです。
山口県でオールロケを敢行した作品の主演は、今は亡き大女優の太地喜和子さんでした。
その数年後、彼女が事故で亡くなった時には強い衝撃を覚えたことを思い出しました。
ロケ中の思い出はたくさんありますが、現地での撮影現場や地場産業の商品を映像に盛り込むための交渉などを担当していたじいちゃんが、造り酒屋さんと話して作品に出てくる葬儀後の会食用やスタッフ用のお酒を大量に頂いて宿舎に帰る際にご主人から「監督さんと太地さんへ」とその酒蔵で一番のお酒を頂いて恩地監督にお届けしたら「よ~く、お礼をして」と笑顔で受け取られたことが最も印象に残っています(お酒が大好きだったからね)。
当時まだ大学生で二足の草鞋をはいてたじいちゃんと作品が完成し打ち上げでお話した時には「期待してるから頑張って」と励ましの言葉を頂きました。
当初は、東京で映画、TVドラマ、TVドキュメントの仕事をしていましたが、名古屋に帰ることになりそれ以来企業のVPやCMなどの演出を30年手がけて引退しました。
恩地監督の激励の言葉がじいちゃんの半生を支えてくれたんですね。
そして、生涯「豆腐屋」一筋だった叔父さん(母の弟)がコロナに感染して亡くなったという訃報もありました。
親戚で初めてコロナに感染し亡くなってしまいました。
コロナで死亡ということで、葬儀なども一切なし、亡くなってすぐに荼毘に付されたようです。
もう数年も合ってなかったので、今どんな暮らしをしていたのかあまりよく分かりませんが、数年前に奥さんを急性心不全で急に亡くした後は、娘さん夫婦と暮らしていたようなので、まあ幸せだったのではないでしょうか。
連絡をくれたおばちゃんと「コロナが落ち着いたら、みんなで墓参りに行こう」と話して電話を切りました。
若い世代が中心だった第6波の感染者が高齢者にも及んできて、若者たちは無症状や軽傷なのに高齢者では重症者も多く出るようになっています。
昨夕、ゴルフレッスンでゴルフ仲間のご夫婦とお会いして「オミクロン株に気をつけよう」と話しました。
専門家は「まだ感染のピークには達していない」と恐ろしいことを言い続け、名古屋の感染者も毎日最高を更新しています。
お二人の冥福を祈りつつ、感染にはこれまでと同様しっかり向き合って、できれば感染しないように毎日の生活に気をつけようと改めて思いました。