

山ノ上碑と碑文
山の上古墳のすぐ左隣に 「山ノ上碑」 があります。
昔はもっと荒涼とした場所で、「碑」もむき出しで自由にさわる事ができました。
拓本も自由にとれましたが、現在はガラス越しにしか見られません。
放光寺の僧侶がその母のために古墳を築造した?
その昔「碑」はもっと下のほうにあって後に古墳の近くまで運ばれた?
したがってこの「碑文」は「墓誌」とは断定できない?
諸説あるようで 我々凡人には分かりようがないです。
すごく分かりやすいこととして言えるのは

拓本は大事にとってあることです。
教育委員会から頒布されたもので「金井澤の碑」の拓本と共に大切にしまってあります。