白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

ステレオタイプに抗するサーファーへの意志

2019年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュネ「泥棒日記」は反戦小説ではない。前に述べた。国家自体が「殺人、略奪、密告、侵略、強姦」を「正しい国民生活」あるいは「美徳」として奨励し正当化しているような状況下では、ジュネのような、地味ではあるが、本物の泥棒や同性愛者はほとんどまったく存在感をなくしてしまう。そんなところで暮らしていてもジュネら倒錯者にとっては何の面白味もないのだ。

「アントワープに行き着く前に、わたしはヒットラー治下のドイツを通ってきたのだった。そこには数ヶ月とどまっていた。わたしはポーランドからブレスラウを経て、徒歩でベルリンに着いた。わたしはできれば盗みがしたかった。しかしある不思議な力がわたしを抑制していたのだ。当時、ドイツはヨーロッパ全体に恐怖の念を起させていた。この国は、特にわたしにとって、残酷の象徴となっていた。それはすでに法の外(アウトロー)の存在だったのだ。ウンター・デン・リンデンでさえ、わたしは、盗賊の堡塁(ほるい)の中を歩いているような気がした。最も謹直なベルリン市民の脳髄の中にも、詐佯(いつわり)の、憎悪(ぞうお)の、害心の、残忍さの、邪望の、稀有(けう)な宝が満ちているように思われた。わたしは、その全体が非合法の存在たる宣告を受けていたこの国民の中で自分がひとり自由な人間であることに心の動揺を覚えた。わたしも結局はよそのようにこの国でも何度か盗みをしたにはちがいないが、しかしその場合、一種の間の悪さを感じたのだった。なぜなら、この盗みという活動を指揮運転するもの、そしてこの活動の結果生ずるものをーーーこの特殊な倫理的態度が、この場合、公共的美徳としてうち建てられてーーーこの国民全体が体得し、それを他の諸国民に差向けていたからである。

『これは泥棒の国なのだ』と、わたしは心の中で感じた。『ここで盗みをしても、おれはなんら特異な、そしておれをよりよく実現させることのできる、行為を遂行することにはならない、ーーーおれはその平常の秩序に従っているだけなのだ。おれはそれを破壊しない。おれは悪をなさず、何ものをも乱さない。世の非難を惹(ひ)き起こすことは不可能だ。おれは空(あだ)に盗みをするのだ』

わたしには、掟(おきて)を司(つかさど)る神々が憤怒せず、ただ唖然(あぜん)としているように思われた。わたしは恥ずかしかった。わたしはなんとしても、現行の道徳の掟が信仰の的になっているような、その掟の上に生活が築かれているような国へ戻りたいと念じたのだった。わたしはベルリンでの生活の方法として売淫(ばいいん)を選んだ。それは数日のあいだわたしをいっぱいに満たしてくれたが、その後は倦(うと)ましくなった」(ジュネ「泥棒日記・P.174~175」新潮文庫)

裏切り行為によってまばゆいばかりの性的快感を覚えるジュネ。ところがナチスドイツは、そんなジュネから、うしろ暗くちっぽけに快感する場すら奪い去ってしまった。裏切りを生きがいとするジュネたちをナチスは裏切った。ジュネたちの面目は丸潰れにされた。あっけなく蹂躙されてしまった。ナチスが倒錯していようがいまいが、倒錯のさらなる倒錯だとか、そんなことの是非など別にどうでもいいのだ。それはドイツ自身の選択だ。ところがジュネはフランス人倒錯者として考えるほかない。すると国家ぐるみで武装してしまったドイツは国家丸ごと倒錯して見えるだけでなく実際倒錯している。そんなところでのこのこと暮らしていても本物の倒錯者としてはいっこうに眩しく輝く瞬間を噛みしめることができない。ナチスドイツは裏切り者をまぶしく輝かせることができない。生きていてもつまらない、むしろげんなりさせる社会環境の一つでしかない。そういう国家の中にいては逆にジュネ固有の存在意義が欠損してしまう。ジュネがジュネ自身として生きいきと後ろ暗く活躍できる諸条件が失われてしまう。ジュネは落胆の色を隠せなくなる。だから逆に作品「葬儀」では、祖国フランスを裏切ってナチスドイツに奉仕する若年層、ドイツのために祖国フランスに暴力を加えるフランス人義勇兵の危険きわまりない華々しい死が思い入れたっぷりに描かれるのである。

いまでいえば、日本を裏切ってロシアに奉仕する若年層でなおかつ性倒錯者であったり、様々なケースが想定できるだろう。地味ではあっても自分の性的嗜好に馬鹿正直な、いつどこで音もなく射殺されても文句一つ言えない。まかり間違っても国会議員になどならないこと。そういう生活態度が日常生活であること。暗殺されても公式記録に残ることのない絶対的陰鬱性。刻々と流動する陰影をただ単に眺め下ろす冷淡な美しさ。要するに単なる倒錯に過ぎないのだが、しかし、単なる倒錯者のままでいることがいかばかり困難であることか。倒錯者として不滅の持続性すなわち融合する多様性を淡々と生きることの難しさ。他の人々には迷惑一つかけず、ひたすら倒錯者として山積する諸課題を一つ一つ冷静かつしみじみとクリアすること。とかく人の世は住みにくい。

さて、歩行について。アルマンの「歩きぶりは波のように滑らかだった」と語る。さらに「流れるような動きに自分を乗せていた」。アルマンの歩行はあたかも練達のサーファーのようだ。そして「流れるような」歩行者としてその「動き」を可能なかぎり柔軟なものへと要求しないではおかない、極めて「滑らかな波」に忠実であり同時にサーファーの身体の動きにも忠実な、「流れるような」二重の忠実さを生きるアルマンがいる。アルマンは職人の確かな手で切り出されたサーフボードだ。

「他の誰にもまして、彼の歩きぶりは波のように滑らかだった。わたしは、彼がこの流れるような動きに自分を乗せていたのは、二十歳(はたち)のならず者としての、女衒(ぜげん)としての、水兵としての彼の肉体の記憶を取戻すためだったのではないかと思う。人がいつまでも自分の青年時代の風に忠実であるように、彼の二十歳のときの肉体に忠実だったのだ。しかし彼は、ただそのままであっても最も挑発的な色情嗜好(エロチスム)の具体像であったにもかかわらず、さらにそれを言葉やしぐさで表わそうとした。スティリターノの羞(はじ)らいと、波止場人種の酒場での粗野な言動にしか馴(な)れていなかったわたしは、彼のこのうえなく大胆で正確な表現を目(ま)のあたり見聞し、しばしばその《だし》に使われたのだった。アルマンは誰の前でもかまわず、彼の性器についてリリックに語った。誰一人彼の言葉をさえぎる者はなかった」(ジュネ「泥棒日記・P.192」新潮文庫)

アルマンはアルマン自身の「性器についてリリックに語った」とある。“lyric”=「叙情的、熱烈的、抒情詩」。あるいは“lyrical”=「叙情的な、情熱的な、熱烈な」。さらに重要に思えるのは、“lyric”が歌の歌詞を意味する点だろう。アルマンの場合、それはただちに、鋼鉄の筋肉製造工場としての「監獄《への》意志」へ接続される。

「彼は、あるときは、カウンターの前で立ち飲みをしながら、片手をポケットに突っこんで自分自身を愛撫(あいぶ)するのだった。またあるときは、事実厖大(ぼうだい)だった彼の道具の大きさと美しさをーーーそしてその力をも、またその知能さえーーー自慢するのだった。その性器とその力へのこのような執念が何を表わすものなのか知らなかったので、わたしはただひたすら彼に賛嘆の念を寄せるのだった。一緒に街を歩いていて、彼が片腕で抱こうとするかのようにわたしを引寄せるかと思うと、その伸ばした同じ腕が荒々(あらあら)しい一撃でわたしを彼から突き放すのだった。彼がフラマン人であることと、世界じゅうを歩き回ってきたということ以外、彼の生涯については何も知らなかったので、わたしは徒刑場が彼に残した徴(しるし)を認めようと努め、そして、彼が脱獄して、そこから、あの坊主(ぼうず)頭と、あの鬱然(うつぜん)とした筋肉、彼(そ)の偽善(ねこかぶり)と、その強暴さ、その獰猛(どうもう)さを持ち帰ったのだろうと思った」(ジュネ「泥棒日記・P.193」新潮文庫)

「世界じゅうを歩き回ってきた」とある。けれどもこの事情は、おそらくだが、ただ単にヨーロッパ中の刑務所から刑務所へと渡り歩いてきた、というに過ぎないだろう。ところがしかし、その経験はあたかも流通貨幣のように、アルマン自身が欧州一円を流通したことを意味する。その意味でなら、そしてその意味にかぎり、ジュネが妄想するように、アルマンは「坊主(ぼうず)頭と、あの鬱然(うつぜん)とした筋肉、彼(そ)の偽善(ねこかぶり)と、その強暴さ、その獰猛(どうもう)さを持ち帰った」、という経過でなくてはならないと言うべきだろう。

また、「超人」はもういないということについて。ニーチェから。

「私は、戸外へ歩み出て、どんなすばらしい明確さをそなえて一切のものが私たちに作用をおよぼすか、たとえば森がそうであり山もそうである、と考えて、また、一切の感覚に関して、私たちのうちにはまったくなんらの混乱、見誤り、躊躇もないということを考えて、いつも驚くのである。それにもかかわらず、はなはだしい不確実性と何か混沌としたものが現存していたにちがいなく、途方もなく長い時間をかけて初めてそういった一切のものはそのように《確固とした》相続物になったのである。空間的間隔、光、色等々に関して本質的に別様の感じ方をした人間たちは、排除されてしまい、うまく繁殖することができなかったのだ。こういう《別様の》感じ方は、何千年もの長い間『《狂気》』と感じられて忌避されたに《ちがいない》のだ。人々はもはや互いに理解し合わず、『例外』を排除し、破滅させたのだ。一切の有機的なものの始まり以来或る途方もない残酷さが現存してきた、つまり『《別様の感じ方をした》』一切のものが排除されてきたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八九・P.63」ちくま学芸文庫)

ニーチェの後、茫々と打ち広がって放置されているばかりの光景についてジュネはいう。

「遠い昔に死んだ漁夫たちの墓地」(ジュネ「泥棒日記・P.211」新潮文庫)

であると。要するに、今のような形態へ「社会化」されていなかった遠い時代。十八世紀の頃。かつて生きていたが、いまはもう一般市民と化して社会へ溶け込み全滅したと考えられる「影の種族」について。

「今でも野性的でそして甘美なこの地方の沿岸一帯を、幾世紀という間、暢気(のんき)に遊弋(ゆうよく)していたのだ。彼らは、その船を曳(ひ)き、漁綱を引く日常によって、生れつき色の黒い筋肉をさらに褐色に灼(や)いたのだった。彼らが当時していた服装は、細かい点は忘れられているが、たいした変化をしなかった、ーーーすなわち、胸のひろくあいたシャツと、彼らの褐色の巻毛の首に巻きついた多彩なスカーフ、である。彼らは裸足で歩いていた。彼らは死んでしまった。しかし、町の公園にも生えている南洋杉の樹が、わたしに彼らのことを思わせる。彼らは、影の種族〔亡霊〕となった今も、依然として悪戯(いたずら)をやり、熱っぽいお喋(しゃべ)りを続けている」(ジュネ「泥棒日記・P.211」新潮文庫)

ジュネは「町の公園にも生えている南洋杉の樹が、わたしに彼らのことを思わせる」という。ヴァージニア・ウルフが似たようなことをいっていなかっただろうか。

「自分はやがてかならず死滅するってことは、それほど大変なことなのかしら。わたしがいなくなっても、これらのすべてのことは平気でつづいて行くにちがいないってことは、怪(け)しからぬことなのかしら?それとも、いっそ、死は絶対に自己消滅だと信ずることが、かえって安心できるんじゃないかしら?自己は消滅しても、このロンドンの街路で、事物のうちに生きる、と信ずることが。だって、わたしは故郷の木々の一部分にちがいないのだ、また、あそこにいく棟にも分かれたしまりのない醜い家の一部分、会ったこともない人々の一部分なのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.15」角川文庫)

あるいはヘンリー・ミラーも。

「ぼくの全身は不断の光芒となり、けっして捕えられることなく、振り返ることなく、衰えることなく、猛然たる速度で飛びつづけなければならない。都会は癌のように成長をつづける。ぼくは太陽のようにふくれ上がらねばならない。都会はしだいに深く深く、赤い肉に食いこんでゆくーーーついには飢餓のため死なねばならむ白いしらみのように、貪婪(どんらん)なのが都会なのだ。ぼくはわが身を食いにかかっている白いしらみを、飢えで死なせてやるつもりだ。ふたたび人間として再生するため、ぼくは都会として死ぬつもりなのだ。されば、ぼくは目を閉じ、耳をふさぎ、口をつぐむ。ふたたび人間としてすっかり生まれ変わるまで、ぼくはおそらく公園として、人びとが休息と暇つぶしに訪れる自然公園として、生きつづけるだろう」(ヘンリー・ミラー「南回帰線・P.183」講談社文芸文庫)

ヴァージニア・ウルフやヘンリー・ミラーの作品に見られるような生成変化の思想を自分自身のものとして育んだ人々は、だいたい第一次世界大戦と第二次世界大戦とのあいだに集中している。さらにいえばベトナム戦争当時のアメリカがそうだ。しかしアメリカの場合、敗戦にもかかわらず、いまの中国とともに未来がある。次のような意味にかぎり、ではあるが。

「もしキリストのように十字架にかけられず、そのまま生きながらえ、絶望と虚無感を超越して生きつづけるならば、そこでもまた奇妙なことが起こるだろう。あたかも本当に死に、本当に甦ったような気分を味わい、中国人のように並はずれた人生を送ることになる。つまり、異常に快活で、異常に健康で、異常に冷淡になるということだ。悲壮感は消え、自然と合体し同時に自然に逆らいながら、花や岩や木のように生きて行かねばならない」(ヘンリー・ミラー「南回帰線・P.92」講談社文芸文庫)

ジュネの植物への生成変化という過程から見てみよう。「南洋杉の樹が、わたしに彼らのことを思わせる」とある。ただちにジュネは南洋杉だ。取り返しのつかないほど軽やかな感性を見ないわけにはいかない。

さて、ジュネの言語形成過程について。三度目になる。一見、ヘーゲル弁証法的な対立的二元論から生じてくる言語獲得過程に見えはする。「社会秩序」と秩序からの「除外」と「追放」。あるいは社会という「建築物」とそれへの「敵対」という言葉づかいが二元論をおもわせてしまう。なるほど社会秩序は秩序から除外されたり追放されたりするものを対極に位置させることで人為的に創設される或る種の文法でしかない。その意味では二元論で済ませてしまうこともできなくはない。だがジュネはいつも植物でありたいと願っていることを忘れてはならないとおもうのである。したがって、ここで描かれているのはむしろ、ラカン的な構造主義的な認識ではないだろうか。

「自分の出生と性癖とによって社会秩序から除外されていたわたしは、その多様な相(すがた)が眼に入らなかった。わたしは、わたしを拒んでいたこの社会秩序の完全な一貫性(まとまり)に感嘆していたのだった。わたしは、この実に厳密に建てられている建造物、それを構成する一つ一つの細部がわたしに敵対しつつ互いに理解し合っていた、この建造物を前にして呆然(ぼうぜん)としていた。人々の世界では何一つ異常でも唐突でもなかったのだ、ーーー将軍の袖(そで)についている星々、株式取引所の相場、オリーヴ摘み、司法用語、穀物の市場価値、花壇、ーーー何一つとして。この秩序、そのすべての構成分子が整然たる連関関係にある、この恐るべき、そして恐れられていた、秩序はある一つの意味を持っていた、ーーーすなわち、それからのわたしの追放ということであった」(ジュネ「泥棒日記・P.262」新潮文庫)

さしあたりラカンから引いておこう。

「表面上の意味とは、マラルメの一節を正当化するものであろう。彼は、言語活動の通常の用法を、表も裏も、もはや擦りへった表面しか持たぬものなのに、それを《黙って》手渡しし合っているような貨幣の交換にたとえている。この隠喩がわれわれに想い起こさせるのは、言葉は、それが極限まで擦りへらされても、その受け渡し札としての価値は保持しているということである」(ラカン「精神分析における言葉と言語活動の機能と領野」『エクリ1・P.343』弘文堂)

要するにラカンは、どのような諸条件が重層化されていたとしても、それは必ず言語化できるし、無意識はそもそも「言語のように」《構造化されている》という立場だ。したがってどのような病巣であってもいったんはメタレベルにおいて言語として置き換え〔言語への固定化〕可能だと考えるわけである。

しかしヘーゲル=ラカンだけでジュネの思考を把握しえるといえるだろうか。むしろジュネは把握しようとすればするほど同じだけ遠ざかっていきはしないだろうか。引用部分にしても、構図ではなく「構成」。固定されることのない「相場」。諸力の運動としてしか捉えようのない「オリーヴ摘み」という非固定性。すべてが流動のうちにある。その意味ではメタ言語を用いて一時的にではあるにせよ「固定」という作業を含まないかぎり成立しないラカン的構造主義さえジュネはすでに超越していたといえるかもしれない。

また、生成は一つの過程にのみ還元できうるものではない。生成には言うまでもなく多様性がある。それを考慮して、まだ触れていないリュシアンとジュネとの情交について少しばかり述べておこう。溶融と融合の多様性という見地から。なぜ人間は「溶ける」ことができるのか。そしてまた、幾重にも「分裂」することができるのか。

「彼は、わたしの閉じた両眼に接吻したうえで、わたしの寝床から出てゆく。やがて彼が玄関の扉(とびら)をしめる音が聞える。わたしの瞼の裏にいくつかの映像が形成される、ーーー澄んだ水の中に、非常にすばしっこい、灰色の虫けらがいく匹(ひき)か、ある種の水盤の泥の底の上を動き回っているーーー。この虫どもは、その底が泥であるところの、わたしの両眼の、陰と澄んだ水の中を走り回っているのだ。

わたしは、このように筋肉の隆々とした肉体が、わたしの熱によってこれほどにも溶解してしまうということを不思議に思う。彼はこのごろ街を歩くとき、肩を丸めて歩いている、ーーー彼の厳(いか)つさが溶けたのだ。かつて鋭い稜角(りょうかく)であり、輝きであったもろもろのものがすべてやわらいでしまった、ーーーただ、一つ、溶け崩(くず)れた雪の中で光っているその眼を除いては」(ジュネ「泥棒日記・P.208」新潮文庫)

リュシアンはジュネの身体の中で性行為を通して融合し合うことができる。「溶ける」。溶融してしまうことができる。ということは何を意味しているだろうか。分裂することができるということを同時に意味している。ヘーゲルは統合を目指す。ところがヘーゲルはなぜあれほどにもせわしなく統合を目指そうとするのか。人間はもとはといえば常に差異的なものだからだ。統合を目指すということは先に分裂してしまっているからにほかならない。ドゥルーズ流にいえば、「同一性から見た差異」」が先にあるのではなく、逆に「差異から見た、そして差異を条件として始めて統合操作可能になる同一性」が先にあるのだ。戦前、早くもそのことに気づいていた日本人がいた。漱石だ。

「人間のうちで纏(まとま)ったものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片付いたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはり故(もと)の通りの自分だと平気で済ましているものが大分ある。のみならず一旦責任問題が持ち上がって、自分の反覆を詰(なじ)られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのは何故(なぜ)だろう」(夏目漱石「坑夫・P.23~24」新潮文庫)

たぶん、今の日本はもう一度、漱石からやり直さなくてはならないのかも知れない。

☆たいふーさんの訪問がありました。陰影豊かで素敵な紫陽花ですね。さらに他にも機材を持っていらっしゃるようで何よりかと。それにしても「にだ」とは。懐かしい言葉だなあと思い出してしまいました。「2ちゃんねる」に行ったことはありますが、もう何年も前のこと。十年くらい経ったかもしれません。「にだ」も使うことなく通り過ぎてしまいました。猫からお返事です。とても怖がりだった頃のショットです。


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