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白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

カント的転回とルンプロ財政学3

2019年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム
資本論序文から。

「起きるかもしれない誤解を避けるために一言しておこう。資本家や土地所有者の姿を私はけっしてばら色の光のなかには描いていない。しかし、ここで人が問題にされるのは、ただ、人が経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級関係や利害関係の担い手であるかぎりでのことである。経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(マルクス「資本論・第一版序文・P.25~26」国民文庫)

柄谷行人はこう述べる。

「個々人はここでは主体ではありえない。だが、個々人は貨幣というカテゴリーの担い手としては主体的(能動的)でありうる。ゆえに、資本家は能動的である。だが、資本の剰余価値は、賃労働者が総体として、自らが作った物を買い戻すことによってのみ実現される。つまり、資本は『売る立場』に一度は立たねばならず、そのとき『買う立場』に立った労働者の意志に従属する。ここには、『強奪』にかかわるヘーゲルの『主人と奴隷』の弁証法と違った弁証法がある」(柄谷行人「トランスクリティーク・P.312」岩波現代文庫)

「資本は『売る立場』に一度は立たねばならず、そのとき『買う立場』に立った労働者の意志に従属する」。いつか聞いた響きがしないだろうか。直接名前は上げられていない。けれども、どこかニーチェの香りが漂ってこないだろうか。

「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三四・P.361」ちくま学芸文庫)

それはそれとして。労働者がただ単なる賃金労働者として虚無感のうちに終わってしまうのではなく、むしろ消費者として政治的経済的文化的なレベルで大いに存在感を拡張するためにはどうすればいいのか。柄谷行人は「消費社会」の出現についてこう述べている。

「たとえば、ケインズは、有効需要を作り出すことによって、慢性的不況(資本主義の危機)を乗り越えられると考えた。これはたんに国家の重商主義的介入ではなく、社会的総資本が国家という形で登場したことを意味する。マルクスが指摘したように、資本家は自分の労働者にはなるべく賃金を払いたくないが、他の資本家にはその労働者に多く払ってほしいと願う。他の資本の労働者は消費者としてあらわれるからだ。だが、すべての資本家がそうするなら、不況が続き、失業者が氾濫し、資本主義体制の危機となる。そこで、総資本が個別資本のそのような態度を逆転させたのだ。大量生産、高賃金、大量消費、というフォーディズムがそれである。そして、これらが『消費社会』を作り出したのである」(柄谷行人「トランスクリティーク・P.429」岩波現代文庫)

次の部分。「資本家は自分の労働者にはなるべく賃金を払いたくないが、他の資本家にはその労働者に多く払ってほしいと願う」。当然の感情かも知れない。だがそれこそがますます危機をおびき寄せる。こんなふうに。

「資本家的生産者たちは互いにただ商品所有者として相対するだけであり、また各自が自分の商品をできるだけ高く売ろうとする(外観上は生産そのものの規制においてもただ自分の恣意だけによって導かれている)のだから、内的な法則は、ただ彼らの競争、彼らが互いに加え合う圧力を媒介としてのみ貫かれるのであって、この競争や圧力によってもろもろの偏差は相殺されるのである。ここでは価値の法則は、ただ内的な法則として、個々の当事者にたいしては盲目的な自然法則として、作用するだけであって、生産の社会的均衡を生産の偶然的な諸波動のただなかをつうじて維持するのである。

さらに、すでに商品のうちには、そして資本の生産物としての商品のうちにはなおさら、資本主義的生産様式の全体を特徴づけている社会的な生産規定の物化も生産の物質的基礎の主体化も含まれているのである。

資本主義的生産様式を特に際立たせている《第二のもの》は、生産の直接的目的および規定的動機としての剰余価値の生産である。資本は本質的に資本を生産する。そして、資本がそれをするのは、ただ、資本が剰余価値を生産するかぎりでのことである。すでに相対的剰余価値を考察したときにも、またさらに剰余価値の利潤への転化を考察したときにも見たように、この点にこそ、資本主義時代に特有の生産様式はもとづいているのである。ーーーこの生産様式、それは、労働の社会的生産力の、といっても労働者にたいして独立した資本の力によっておりしたがって労働者自身の発展に直接に対立している生産力の、発展の一つの特殊な形態なのである。価値と剰余価値とのための生産は、さらに進んだ展開で明らかになったように、商品の生産に必要な労働時間、すなわちその商品の価値を、そのつどの現存の社会的平均よりも低くしようとするところの、不断に作用する傾向を含んでいる。費用価格をその最低限まで減らそうとする衝動は、労働の社会的生産力の増大の最も強力な槓杆(テコ)である。といっても、この増大はここではただ資本の生産力の不断の増大として現われるだけであるが。

資本家が資本の人格化として直接的生産過程でもつ権威、彼が生産の指揮者および支配者として身につける社会的機能は、奴隷や農奴などによる生産を基礎とする権威とは本質的に違うものである。

資本主義的生産の基礎の上では、直接生産者の大衆にたいして、彼らの生産の社会的性格が、厳格に規制する権威の形態をとって、また労働過程の、完全な階層制として編成された社会的な機構の形態をとって、相対している。ーーーといっても、この権威の担い手は、ただ労働に対立する労働条件の人格化としてのみこの権威をもつのであって、以前の生産形態でのように政治的または神政的支配者として権威をもつのではないのであるが。ーーーところが、この権威の担い手たち、互いにただ商品所有者として相対するだけの資本家たち自身のあいだでは、最も完全な無政府状態が支配していて、この状態のなかでは生産の社会的関連はただ個人的恣意にたいする優勢な自然法則としてその力を現わすだけである。

ただ、賃労働の形態にある労働と資本の形態にある生産手段とが前提されているということによってのみーーーつまりただこの二つの本質的な生産要因がこの独自な社会的な姿をとっていることの結果としてのみーーー、価値(生産物)の一部分は剰余価値として現われ、またこの剰余価値は利潤(地代)として、資本家の利得として、資本家に属する追加の処分可能な富として、現われるのである。しかしまた、ただ剰余価値がこのように《彼の利潤》として現われるということによってのみ、再生産の拡張に向けられており利潤の一部分をなしている追加生産手段は新たな追加資本として現われるのであり、また、再生産過程の拡張は一般に資本主義的蓄積過程として現われるのである」(マルクス「資本論・第三部・第七篇・第五十一章・P.435~437」国民文庫)

また、「すべての資本家がそうするなら、不況が続き、失業者が氾濫し、資本主義体制の危機となる」と柄谷行人がいうとき、それはすべての資本が同時に競争戦を何度も繰り返し繰り広げることで発生してこざるを得ない次のことが、主体が、社会が、いつも前提として表象に浮かべられていなくてはならない。その過程は「労働者=消費者」であるにもかかわらず労働者ばかりを限りなく反復する疲弊・労苦・低賃金のどん底へ送り込んでいくことでしかない過程である。マルクスはこう論述している。

「競争戦は商品を安くすることによって戦われる。商品の安さは、他の事情が同じならば、労働の生産性によって定まり、この生産性はまた生産規模によって定まる。したがって、より大きい資本はより小さい資本を打ち倒す。さらに思い出されるのは、資本主義的生産様式の発展につれて、ある一つの事業をその正常な条件のもとで営むために必要な個別資本の最少量も大きくなるということである。そこで、より小さい資本は、大工業がまだまばらにしか、または不完全にしか征服していない生産部面に押し寄せる。ここでは競争の激しさは、敵対し合う諸資本の数に正比例し、それらの資本の大きさに反比例する。競争は多数の小資本家の没落で終わるのが常であり、彼らの資本は一部は勝利者の手にはいり、一部は破滅する。このようなことは別としても、資本主義的生産の発展につれて、一つのまったく新しい力である信用制度が形成されるのであって、それは当初は蓄積の控えめな助手としてこっそりはいってきて、社会の表面に大小さまざまな量でちらばっている貨幣手段を目に見えない糸で個別資本家や結合資本家の手に引き入れるのであるが、やがて競争戦での新しい恐ろしい武器になり、そしてついには諸資本の集中のための一つの巨大な社会的機構に転化するのである。資本主義的生産と資本主義的蓄積とが発展するにつれて、それと同じ度合いで競争と信用とが、この二つの最も強力な集中の槓杆(テコ)が、発展する。それと並んで、蓄積の進展は集中されうる素材すなわち個別資本を増加させ、他方、資本主義的生産の拡大は、一方では社会的欲望をつくりだし、他方では過去の資本集中がなければ実現されないような巨大な産業企業の技術的な手段をつくりだす。だから、こんにちでは、個別資本の相互吸引力や集中への傾向は、以前のいつよりも強いのである。しかし、集中運動の相対的な広さと強さとは、ある程度まで、資本主義的な富の既成の大きさと経済的機構の優越とによって規定されているとはいえ、集中の発展はけっして社会的資本の大きさの絶対的増大には依存しないのである。そして、このことは特に集中を、ただ拡大された規模での再生産の別の表現でしかない集積から区別するのである。集中は、既存の諸資本の単なる配分の変化によって、社会的資本の諸成分の単なる量的編成の変化によって、起きることができる。一方で資本が一つの手のなかで巨大なかたまりに膨張することができるのは、他方で資本が多数の個々の手から取り上げられるからである。かりにある一つの事業部門で集中が極限に達することがあるとすれば、それは、その部門に投ぜられているすべての資本が単一の資本に融合してしまう場合であろう。与えられた一つの社会では、この限界は、社会的総資本が単一の資本家なり単一の資本家会社なりの手に合一された瞬間に、はじめて到達されるであろう。

集中は蓄積の仕事を補う。というのは、それによって産業資本家たちは自分の活動の規模を広げることができるからである。この規模拡大が蓄積の結果であろうと、集中の結果であろうと、集中が合併という手荒なやり方で行なわれようとーーーこの場合にはいくつかの資本が他の諸資本にたいして優勢な引力中心となり、他の諸資本の個別的凝集をこわして、次にばらばらになった破片を自分のほうに引き寄せるーーー、または多くの既成または形成中の資本の融合が株式会社の設立という比較的円滑な方法によって行なわれようと、経済的な結果はいつでも同じである。産業施設の規模の拡大は、どの場合にも、多数人の総労働をいっそう包括的に組織するための、この物質的推進力をいっそう広く発展させるための、すなわち、個々ばらばらに習慣に従って営まれる生産過程を、社会的に結合され科学的に処理される生産過程にますます転化させて行くための、出発点になるのである。

しかし、蓄積、すなわち再生産が円形から螺旋形に移って行くことによる資本の漸時的増加は、ただ社会的資本を構成する諸部分の量的編成を変えさえすればよい集中に比べて、まったく緩慢なやり方だということは、明らかである。もしも蓄積によって少数の個別資本が鉄道を敷設できるほどに大きくなるまで待たなければならなかったとすれば、世界はまだ鉄道なしでいたであろう。ところが、集中は、株式会社を媒介として、たちまちそれをやってしまったのである。また、集中は、このように蓄積の作用を強くし速くすると同時に、資本の技術的構成の変革を、すなわちその可変部分の犠牲においてその不変部分を大きくし、したがって労働にたいする相対的な需要を減らすような変革を、拡大し促進するのである。

集中によって一夜で溶接される資本塊も、他の資本塊と同様に、といってもいっそう速く、再生産され増殖され、こうして社会的蓄積の新しい強力な槓杆(テコ)になる。だから、社会的蓄積の進展という場合には、そこにはーーー今日ではーーー集中の作用が暗黙のうちに含まれているのである。

正常な蓄積の進行中に形成される追加資本は、特に、新しい発明や発見、一般に産業上の諸改良を利用するための媒体として役立つ。しかし、古い資本も、いつかはその全身を新しくする時期に達するのであって、その時には古い皮を脱ぎ捨てると同時に技術的に改良された姿で生き返るのであり、その姿では前よりも多くの機械や原料を動かすのに前よりも少ない労働量で足りるようになるのである。このことから必然的に起きてくる労働需要の絶対的な減少は、言うまでもないことながら、この更新過程を通る資本が集中運動によってすでに大量に集積されていればいるほど、ますます大きくなるのである。

要するに、一方では、蓄積の進行中に形成される追加資本は、その大きさに比べればますます少ない労働者を引き寄せるようになる。他方では、周期的に新たな構成で再生産される古い資本は、それまで使用していた労働者をますます多くはじき出すようになるのである」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十三章・P.210〜214」国民文庫)

要するに、結局のところ、どの資本家もが欲するような大量生産・大量消費ではあるが、逆に「労働者=消費者」を「消費社会」の現場からどんどん遠ざけますます多くはじき出してしまうというなお一層劣悪な諸条件を、資本は資本自身の手で作り出す。それこそが幾多の資本家たちに見えているにもかかわらず決して見ようとしていない「現実」なのだ。ところがこのような「現実」をこそあやまたず「出発点」に据えたのはマルクスである。

「われわれが出発点とする諸前提は、なんら恣意的なものではなく、ドグマでもなく、仮構の中でしか無視できないような現実的諸前提である。それは現実的な諸個人であり、彼らの営為であり、そして、彼らの眼前にすでに見出され、また彼らの営為によって創出された、《物質的な》生活諸条件である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.25」岩波文庫)

しかし困難は、どんな商品であってもその商品が「労働者=消費者」によって買ってもらわねば価値として実現されない点にあるのであって、流通・交換過程での、いわゆる「命懸けの飛躍」を必要とする。そうでなければどれほど商品には価値とともに剰余価値があると言ってみたところで、商品は貨幣と交換されない以上、それは「ただ単に無駄な物」として取り扱われるほかない。次のように。

「売りと買いとは、二人の対極的に対立する人物、商品所持者と貨幣所持者との相互関係としては、一つの同じ行為である。それらは、同じ人の行為としては、二つの対極的に対立した行為をなしている。それゆえ、売りと買いとの同一性は、商品が流通という錬金術の坩堝(るつぼ)に投げこまれたのに貨幣として出てこなければ、すなわち商品所持者によって売られず、したがって貨幣所持者によって買われないならば、その商品はむだになる、ということを含んでいる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.202」国民文庫)

さらに環境保護の観点からはこう言われるに違いない。

「WーG、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように〔マルクス「経済学批判・P.110」岩波文庫〕、商品の命がけの飛躍である。この飛躍に失敗すれば、商品にとっては痛くはないが、商品所持者にとってはたしかに痛い」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.191」国民文庫)

「商品所持者にとってはたしかに痛い」とあるが、実は「商品にとっても痛い」のだ。昨今の先進国では売れ残った様々な商品が続々と廃棄処分されている。それら諸商品は価値も剰余価値もともに実現せず、所定の処分場へ送られるかどこかの海中や山中に捨てられ腐り果てて終わる。また処分場の維持費は無料ではない。さらに放置され腐り果てた商品群の中には自然の海中や山中の環境循環の中だけでは分解されず、自然界へ戻っていくことも再生することもできない部分がある。それらは逆に動植物にとっても(それを食する場合は当然含めて)人間にとっても有害な有毒物質へ転化しつつ再び人間社会へこっそり舞い戻ってくる。

ところで、これまではまずまずの生活水準を維持できていた比較的富裕な団塊世代も、遂に大量退職する時期が目前に迫ってきた。この大量退職は、今度は、どんな「大量消費社会」の生成の基盤として動き始めるだろうか。この大量退職。規模的に見て、その社会的影響力は計り知れない。遂に「大量労働者」ではなくなり、多くはただ単なる「大量消費者」であると同時に「大量生活者」として出現するであろう大量退職者の群。彼ら彼女らは一体、何をいかに考えているのか。いきいきと思考することができているだろうか。そしてもし、本当にいきいきと思考することができているとすれば、彼ら彼女らは一体なにをいかにして思考するか、というだけでなく、なにを、いかにして、なすことができるだろうか?

BGM

カント的転回とルンプロ財政学2

2019年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム
ところでカントは一方でこう述べる。

「ところで過去の時間は、私の自由にならないから、私の為す一切の行為は、もはや私の自由にならないような規定根拠によって必然的でなければならない、換言すれば、私は私の行為する時点において、決して自由ではないのである。それどころかたとえ私が自分の現実的存在の全体は、なんらかの外来の原因(神のような)にまったくかかわりがないと思いなしたところで、従ってまた私の原因性の規定根拠はおろか私の全実在の規定根拠すら、私のそとにあるのではないと考えてみたところで、そのようなことは自然必然性を転じて自由とするわけにはいかないだろう。私はいかなる時点においても、依然として〔自然〕必然性に支配され、私の《自由にならない》ものによって、行為を規定されているからである。それにまた私は、すでに予定されている〔自然必然的な〕秩序に従って出来事の無限の系列ーーーすなわち<その前にあるものから>つぎつぎに連続する系列をひたすら追っていくだけで、私自身が或る時点にみずから出来事を始めるというわけにはいかないのである。要するに一切の出来事のこういう無際限な系列は、自然における不断の連鎖であり、従ってまた私の原因性は決して自由ではないのである」(カント「実践理性批判・P.194~195」岩波文庫)

もう一方で次のように述べる。

「例えば、或る人が悪意のある嘘をつき、かかる虚言によって社会に或る混乱をひき起こしたとする。そこで我々は、まずかかる虚言の動因を尋ね、次にこの虚言とその結果の責任とがどんなあんばいに彼に帰せられるかを判定してみよう。第一の点に関しては、彼の経験的性格をその根原まで突きとめてみる、そしてこの根原を、彼の受けた悪い教育、彼の交わっている不良な仲間、彼の恥知らずで悪性な生れ付き、軽佻や無分別などに求めてみる。この場合に我々は、彼のかかる行為の機縁となった原因を度外視するものではない。このような事柄に関する手続は、およそ与えられた自然的結果に対する一定の原因を究明する場合とすべて同様である。しかし我々は、彼の行為がこういういろいろな事情によって規定されていると思いはするものの、しかしそれにも拘らず行為者自身を非難するのである。しかもその非難の理由は、彼が以前の不幸な生れ付きをもつとか、彼に影響を与えた諸般の事情とか、或はまたそればかりでなく彼の以前の状態などにあるのではない。それは我々が、次のようなことを前提しているからである、即ちーーーこの行為者の以前の行状がどうであろうと、それは度外視してよろしい、ーーー過去における条件の系列は、無かったものと思ってよい、今度の行為に対しては、この行為よりも前の状態はまったく条件にならないと考えてよい、ーーー要するに我々は、行為者がかかる行為の結果の系列をまったく新らたに、みずから始めるかのように見なしてよい、というようなことを前提しているのである。行為者に対するかかる非難は、理性の法則に基づくものであり、この場合に我々は、理性を行為の原因と見なしているのである、つまりこの行為の原因は、上に述べた一切の経験的条件にかかわりなく、彼の所業を実際とは異なって規定し得たしまた規定すべきであったと見なすのである」(カント「純粋理性批判・中・P.225~226」岩波文庫)

一方で「自由ではない」と言い、もう一方で「自由であり得るし自由であるべき」だったと言う。二つの対立する命題の両立が余儀なくされている。これは「それぞれに価値観の異なる様々な国家・共同体」=「複数の他者」の「他者性」は可能かという課題と似ている。フロイトはいう。

「夢はいろいろな連想の短縮された要約として姿を現わしているわけです。しかしそれがいかなる法則に従って行われるかはまだ解っていません。夢の諸要素は、いわば選挙によって選ばれた大衆の代表者たちのようなものです。われわれが精神分析に技法によって手に入れたものは、夢に置き換えられ、その中に夢の心的価値が見出され、しかしもはや夢の持つ奇怪な特色、異様さ、混乱を示してはいないところのものなのです」(フロイト「精神分析入門・下・P.208」新潮文庫)

「選挙によって選ばれた大衆の代表者たちのようなもの」。「夢の諸要素」は代議制民主主義のようなものだ、多くの選挙民の立場が「短縮された要約」なのだと。そうはいっても「代議制」にも色々あるだろう。マルクスは次のように述べたことがある。

「また、民主党の代議士といえば、みな商店主か、さもなければ商店主のために熱をあげている連中だと、考えてもならない。彼らは、その教養や個人的地位からすれば、商店主とは天と地ほどもかけはなれた人たちであるかもしれない。彼らが小ブルジョアの代表者であるのは、小ブルジョアが生活においてこえない限界を、彼らが頭のなかでこえないからである。したがって、小ブルジョアが物質的利益と社会的地位とに駆られて実践的にめざすのと同一の課題と解決とにむかって、彼らが理論的に駆り立てるからである。これが、一般にある階級の《政治的》および《文筆的代表者》と、彼らの代表する階級との関係である」(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日・P.59」国民文庫)

「代表するもの」(代議士)《と》「代表されるもの」(大衆)の間は「天と地ほどもかけはなれ」ているかもしれない。実際のところ、おそらく、今なお、かけ離れている場合が多いかもしれない。事実、両者のつながりは決して自然必然的なものではない。むしろ両者の間には切断がある。だから選挙民は選挙のたびに「代表するもの」(代議士)を取り換えることができる。両者のつながりはいつもすでに恣意的なものでしかない。フロイトは「夢の作業」について「圧縮」「転移」などの用語を用いて「代表するもの」《と》「代表されるもの」の構造を取り出しているがマルクスはそれに先駆けている。だからといって両者ともいわゆる「構造主義者」でないことはもはや周知の事実だ。

「議会の党がその二大分派に分解したばかりか、さらにその二つの分派のそれぞれの内部が分解したばかりか、議会内の秩序党は議会《外》の秩序党と仲たがいした。ブルジョアジーの代弁者や文士、彼らの演壇や新聞、要するにブルジョアジーのイデオローグとブルジョアジーそのもの、代表者と代表される者とは、たがいに疎隔し、もはやたがいに理解しえないようになった」(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日・P.122」国民文庫)

「もはやたがいに理解しえないようになった」、という。この事態は「それぞれに価値観・法則・風習の異なる様々な国家・共同体」=「複数の他者」の「他者性」は可能か、と同時にそれら相互間の理解可能性はどのようにして構築・保証されるべきか、あるいは必ずしも構築・保証される必要はないのか、といった諸課題を想起させる。まるで「問い」としての「バベル」を思い起こさせるが、それについてはまたの機会にしたい。機会があればの話だが。ところで、「代表者」を持たない多くの人々はどうしたか。

「分割地農民たちのあいだにたんなる局地的な結びつきしかなく、利害の同一性が、彼らのあいだにどんな共同関係も、全国的結合も、政治組織も生みださないかぎりで、彼らは階級をつくっていない。だから、彼らは議会をつうじてであれ、国民公会をつうじてであれ、自分の階級的利益を自分の名まえで主張する能力がない。彼らは、自分で自分を代表することができず、だれかに代表してもらわなければならない。彼らの代表は、同時に彼らの主人として、彼らのうえに立つ権威として、彼らを他の諸階級にたいして保護し、上から彼らに雨と日光をふりそそがせる無制限な統治権力として、現われなければならない」(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日・P.148」国民文庫)

特定の代表者を持たない「分割地農民たち」は何と直接にルイ・ボナパルトを支持することにした。今でいう「国民投票」のようなものだ。昨今、世界中に溢れている「無党派層」だが、彼ら彼女らはなるほど「特定の代表者を持たない」浮動票なので十九世紀半ば頃の「分割地農民たち」の社会的立場と似ている。だからといってむやみやたらと「統一」を呼びかけてみても不毛な気がする。なぜだろう。上からも下からも半ば強制的に与えられるばかりの代議制民主主義にはもう飽き飽きしているのかも知れない。愛想を尽かしたのかも知れない。「代表するもの」の側は愛想を尽かされたのかも知れない。代議制民主主義などにもはや自分たちのどのような未来も具体的には見出せず、ほとんど一切の関心も興味も失ってしまったかのように見える。実際、彼ら彼女らの多くは、選挙を通した政治的経済的文化的議論よりも、遥かにインターネットを含む不必要な「機械操作」に夢中だ。だがそれら「機械操作」の多くは、今まで以上にますます、「絶望的な退屈」や「変化の多い怠惰」を生む。

「『機械文化への反作用』。ーーーそれ自体は最高の思索力の所産であるにもかかわらず、機械は、それを操作する人たちに対しては、ほとんど彼らの低級な、無思想な力しか活動せしめない。その際に機械は、そうでなければ眠ったままであったはずのおよそ大量の力を解放せしめる。そしてこれは確かに真実である。しかし機械は、向上や改善への、また芸術家となることへの刺戟を与えることは《しない》。機械は、《活動的》にし、また《画一的》にする、ーーーしかしこれは長いあいだには、ひとつの反作用を、つまり魂の絶望的な退屈を生む。魂は、機械を通して、変化の多い怠惰を渇望することを学ぶのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二二〇・P.434」ちくま学芸文庫)

「夢」のように「短縮された要約」とは、フーコーのいう「言説」のことだ。「言説」が人々をまとめ上げる。その前に、「表層」としての「言語」とは何か。

「さてこれは、ヒステリー症状が言語的表現を手段とする象徴化によって発生することについての適切な、奇妙とさえいえる実例だと思われる」(フロイト「ヒステリー研究」『フロイト著作集7・P.151』人文書院)

ここで述べられているように、フロイトは通常思われているような「深層」の発見者ではない。逆である。フロイトはそれまで行われてきた催眠療法によって被分析者から半ば暴力的に記憶を掘り起こさせるよりも、できる限り「のんびりした方法」=「夢」や「自由連想法」といった方法の適用を考案した。その際、「深層」ではなく「表層」に現われる「言語」の連合的・総合的配置に着目したのだ。しかし逆説的なのは、言語の連合的・総合的配置から得られる様々な情報を分析の起点としたにもかかわらず、ニーチェの言葉を借りれば「遠近法的倒錯」によって「無意識」として論述されてしまったがゆえにフロイトにまつわる無数とも言える誤解が生じてきたことだ。「夢」や「自由連想法」から得られた言語的諸情報の多層的分析から症状解決への道を探るというフロイトの試みは、いつの間にか「無意識」の発見者へと転倒されて次世代へ相続される事態を招いた。だがしかし、あくまで「表層的」な「言語」とその連合的・総合的配置が先立って与えられることによってのみ、その地点で被分析者が示す「抵抗」という態度を通して、始めて精神分析並びに「無意識」の発見は可能となる。

さらに言語的連結は、事後的に、なおかつ直ちに、様々な解釈を発生させずにはおかない。解釈は拡大再生産される。大量に発生してきた無制限な解釈の中から、そもそも諸々でばらばらな無政府的且つカオス的な個々別々の破片の乱立があるだけに過ぎない(そしてそれは事実であるとしても)という一つの「言説」が立ち現われてくる。「表層」に着目したにもかかわらず、なぜ、あるいはそれゆえに「無制限の解釈」へ転倒してしまうのかという問いにはニーチェがこう答えている。

「完璧なものにすること(たとえば、私たちが鳥の運動を運動として見ていると思っている場合がそうだが)、つまり即座に《捏造すること》は、感官知覚においてすでに始まっている。私たちはつねに、私たちが人間たちについて見たり知ったりしている事柄から、人間たちの《全体》像を定式化する。私たちは《空虚》には耐えられない、ーーーこのことが私たちの空想の破廉恥さなのである。いかにわずかしか私たちの空想は真理に結びつけられ慣らされていないことか!私たちは《いかなる》瞬間にも、認識されたもの(ないしは認識されうるもの!)では満足し《ない》。《材料を戯れつつ加工すること》が、私たちの間断ない根本活動、それゆえ空想の習いなのである。いかにこの活動が強力であるかの証拠としては、目を閉じているときの視神経の戯れのことを考えてみよ。私たちが読んだり、聞いたりする場合も同様である。《正確に》聞いたり見たりすることは文化のきわめて高い段階なのだ、ーーー私たちはこの段階からはまだきわめて遠いところにいる。聞いたり見たりすることにおいて虚偽があることはまだ全然感じられない!空想する力のこうした自発的な戯れが私たちの精神的な根本生活である。もろもろの思想は私たちに《現象する》のだ、過程が過程のままで意識されること、つまり反映することは一つの比較的に例外的なこと(おそらくそれは対象がそこなわれること)であるにすぎない」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一八・P.20~21」ちくま学芸文庫)

だから「言説」以前は本来「ばらばら」であっても誰にも文句は言えないし、むしろ「言説」が与えられることで一挙にまとめ上げられた大衆が差し当たり一つの「階級」を形成したとしても、それは「階級」という言語の付与によって事後的に「まとめ上げられた/形成された」だけに留まる。圧縮・転移され、いわば恣意的に一つの「物」へと「加工」されただけの大衆。しかしルイ・ボナパルト批判にも的外れなものがあった。

「ヴィクトール・ユゴーは、このクーデタの責任発行人にむかって、辛辣(しんらつ)な、気のきいた悪口を浴びせかけるだけである。ユゴーの著書では、この事件そのものがまるで青天の霹靂(へきれき)のように見える。彼は、この事件を一個人の暴力行為としか見ていない。この個人が世界史上に類例のない個人的な主動力をもっていたとすることで、その人物を小さくせずに、かえって大きくしているのだということに、彼は気がつかない」(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日・P.10」国民文庫)

ヴィクトール・ユゴーによるボナパルト批判は「事実に即して」の批判になっていない。ただ単なる誹謗中傷でしかない。その種の「悪口」では「相手に即して偽なることを示さなければならない」というヘーゲルを越えることはできない。そしてここには「代表制」という限りでは、間接的代表制と直接的代表制というたった二つの代表制の対立があるだけなのだという事情も忘れ去られてしまうだろう。次のことも。

「たとえば、下士官に日額4スーの手当を支給する命令をだそうという提案がそれである。また、労働者のための無担保貸付金庫をつくろうという提案がそれである。金がもらえる。金が借りられる。これが、ボナパルトが大衆を釣る餌にしようと思った見とおしであった。あたえる、貸す。身分が高かろうと下賤であろうと、ルンペン・プロレタリアートの財政学はこれに尽きる」(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日・P.80」国民文庫)

カント的転回とルンプロ財政学1

2019年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム
カントはいう。

「一般に観念論の主張するところはこうである、ーーー思考する存在者のほかには、いかなるものも存在しない、我々が直感において知覚すると信じている他の一切の物は、この思考する存在者のうちにある表象にすぎない、そしてこれらの表象には、思考する存在者のそとにあるいかなる対象も実際に対応するものではない、と言うのである。これに反して、私はこう主張する、ーーー物は、我々のそとにある対象であると同時に、また我々の感官の対象として我々に与えられている。しかし物自体がなんであるかということについては、我々は何も知らない、我々はただ物自体の現われであるところの現象がいかなるものであるかを知るにすぎない、換言すれば、物が我々の感官を触発して我々のうちに生ぜしめる表象がなんであるかを知るだけである。それだから私とても、我々のそとに物体のあることを承認する」(カント「プロレゴメナ・P.80~81」岩波文庫)

カントは、「ある」ということは認めるけれどもそれが実際に何であるかは知ることのできない「物体」が「我々のそとにある」ということを「承認する」、と言っている。我々には知ることができないがその存在は「承認」できる「物」とは一体なんだろう。ここでカントは「他者」の存在を認めている。それが実際に何であるかは「知らない」と同時に「我々のそとにあることを承認」せざるを得ない「物体」。昨今通用する言葉に直せばそれは「他者」という言葉に置き換えられる。さらに。

「しかし判断がどのような起源をもつにせよ、またその論理的形式がどのようなものであるにせよ、判断は内容に関して区別せられる、すると判断は、単に《解明的》であって認識内容に何ものをも付け加えないか、それとも《拡張的》であって与えられた認識〔の内容〕を増大するか、二つのうちのいずれかである。前者は《分析的》判断、また後者は《総合的》判断と名づけられる」(カント「プロレゴメナ・P.32」岩波文庫)

後者の「《総合的》判断」は「《拡張的》であって与えられた認識〔の内容〕を増大する」、という。どういうことか。

「述語Bが主語Aの概念のうちにすでに(隠れて)含まれているものとして主語Aに属するか、さもなければ述語Bは主語Aと結びついてはいるが、しかしまったくAという概念のそとにあるか、これら両つの仕方のいずれかである。私は第一の場合の判断を《分析的判断》と呼び、また第二の場合の判断を《総合的判断》と名づける。それだから判断において、述語と主語との結びつきが同一性の原理によって考えられるものが、分析的(肯定)判断である。しかしこの結びつきが同一性によらないで考えられるものは、総合的判断と呼ばれるべきである。我々は分析的判断を《解明的判断》、また総合的判断を《拡張的判断》とも呼ぶことができるだろう」(カント「純粋理性批判・上・P.65~66」岩波文庫)

こうある。「述語と主語との結びつきが」「同一性によらないで考えられる」。そのような場合、「総合的判断=拡張的判断」と呼ぶ。「或る言語B」と「或る言語A」との「総合的判断」というときの「総合」は、カントでは、感性「と」悟性の「総合」である。間に「と」が入っている。切断がある。しかも両者の結びつきは「同一性によらない」何か他のものに依存する。この「何か他のもの」は様々なケースが考えられる。また「物自体=他者」はただ単に一つの「他者」があると考えられるだけでなく、様々なケースの想定可能性という形態を持つ。従って、「物自体/他者」=「複数の他者/他者性」という論理を立てることができるかと思う。このことは即座に、それぞれに違った法則・価値観を共有する共同体が複数(多数)あるということを示唆している。複数の共同体は複数の国家と言い換えてもいいかも知れない。事実、複数の国家は複数の共同体として「それぞれに違った法則・価値観を共有」しながら共時的に現存しているだけでなく、時間的には過去に実在したし、また未来において、変容しながらではあろうものの存続してはいくだろうからだ。

さらにカントは「自由」ということについて極めて批判的な視線を向けた。それは何も「自由」を拘束したいがためではない。例えばこうある。

「自分の理性を《公的に使用する》ことは、いつでも自由でなければならない、これに反して自分の理性を《私的に使用する》ことは、時として著しく制限されてよい、そうしたからとて啓蒙の進歩はかくべつ妨げられるものではない、と。ここで私が理性の公的使用というのは、或る人が《学者として》、一般の《読者》全体の前で彼自身の理性を使用することを指している。また私が理性の私的使用というのはこうである、ーーー《公民として》或る《地位》もしくは公職に任ぜられている人は、その立場においてのみ彼自身の理性を使用することが許される、このような使用の仕方が、すなわち理性の私的使用なのである。ところで公共体の利害関係を旨とする多くの事業においては、その公共体を構成する人達のうちの若干に、あくまで受動的な態度を強要するような或る種の機制を必要とする。それは政府が、この人達を諸種の公的目的と人為的に一致せしめるためであり、或いは少なくともこれらの目的を顚覆させないためである。こういう場合には、論議はもとより許されていない、ただ服従あるのみである。しかしかかる機構の受動的部分を成す者でも、自分を同時に全公共体の一員ーーーそれどころか世界市民的社会の一員と見なす場合には、従ってまた本来の意味における公衆一般に向って、著書や論文を通じて自説を主張する学者の資格においては、論議することはいっこうに差し支えないのである」(カント「啓蒙とは何か・P.10~11」岩波文庫)

一般的には、いわゆる「私的」なものを「公的」なものへ置き換えて、公共的なもの(国家・共同体)を逆に私的なものとして取り扱った、と言われている。それがカント的転回だと。しかし、それだけだろうか。「世界市民的社会の一員」とある。カントのいう「世界市民」は特定の「国家・共同体」の内部でだけ完結する「市民」のことではない。その意味の「市民」なら昔もいたし今もいる。そうではなく、「世界市民」であるためには「自由」が保証されていなくてはならない。ところで、そのための「自由」は果たして現実に保証されているだろうか。保証されていない。ではどうすれば「世界市民」は実現できるのか。たとえ実現できるとしても、その「自由」は実在する「国家・共同体」によってすぐさま絡め取られてしまうのではないか。そうなのだ。実際はすぐさま絡め取られてしまう。そこでカントのいう「世界市民」並びに「自由」は一旦「括弧入れ」しなければ問うことができない。そういう「自由」だ。カントでは個人的であることが形式的にはむしろ「パブリック」だとされるので、ともすれば「引きこもり」などの態度=「パブリック」と取られる転倒した解釈を引き起こす。しかしそれでは転倒の転倒であって根本的な問題解決にはならない。「引きこもり」といったケースは「一時的避難」の態度として考えるべきだろう。それはカント的転回ではないが、社会的な意味で、一つの立場として、「括弧入れ」された「立場」として尊重されるべきだろう。勿論それもまた一つの「他者」として。しかし、問題は依然として「自由」とは何か、あるいは規制の「国家・共同体」を越える「世界市民」は可能かであり、もし可能だとすればそれはいかにして可能か、である。

なお「括弧入れ」は差し当たりフッサールを参照しておこう。

「生活世界があらかじめ与えられているという事態は、どうすれば固有の普遍的な主題になりうるであろうか。それは、言うまでもなく、自然的態度を《全面的に変更すること》によってのみ可能なのである。それは、われわれがもはや、いままでのように自然的に現存する人間として、あらかじめ与えられている世界の恒常的な妥当を遂行することのうちに生きるのをやめ、むしろこの妥当をたえずさし控えるといった変更である。そのようにしてのみ、われわれは、『世界それ自体の先所与性』という、変更された新たな種類の主題に到達することができる。換言すれば、世界が純粋にもっぱら《世界》として、また、われわれの意識生活において意味と存在妥当をもち、しかも、たえず新たな形態の意味と存在妥当を得てくるそのままの《姿》で主題となるのである。こうしてのみわれわれは、自然的生活においてものを企てたり所有したりするさいの基盤として妥当する世界がなんであるのか、またそれと相関的に、自然的生活とその主観性とは《究極的には》なんであるのかーーーその主観性はそこでは妥当を遂行するものとして作動しているのであるがーーーを研究することができる。自然的な世界生活は世界を妥当させているが、そのような能作をしている生活は、自然的な世界生活の態度では研究されえない。それゆえにこそ、《全面的な》態度変更が、すなわち《まったく他に類のない普遍的な判断中止》が必要となるのである」(フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・第三部・第三十九節・P.266~267」中公文庫)

銭の研究

2019年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
右翼は万人によって求められることを自ら欲し、左翼は万人によって愛されることを自ら望む。かつても民を愚昧ならしめるためにマスコミが最も狭き宿命に緊縛されたことがあった。今や事実と技術とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに日和見的なる民衆の切実なる急用である。マルクスはいう。

「要するに、人間の解剖は猿の解剖にたいするひとつの鍵である」(「経済学批判序説」『経済学批判・P.320』岩波文庫)

こうもいう。

「人間生活の諸形態の考察、したがってまたその科学的分析は、一般に、現実の発展とは反対の道をたどるものである。それは、あとから始まるのであり、したがって発展過程の既成の諸結果から始まる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.140」国民文庫)

その通りに読み進めて見るとーーー。なるほど確かにこうある。

「剰余価値率の利潤率への転化から剰余価値の利潤への転化が導き出されるべきであって、その逆ではない。そして、実際にも利潤率が歴史的な出発点になるのである。剰余価値と剰余価値率とは、相対的に、目に見えないものであって、探求されなければならない本質的なものであるが、利潤率は、したがってまた利潤としての剰余価値の形態は、現象の表面に現われているものである」(マルクス「資本論・第三部・第一篇・第二章・P.78」国民文庫)

「実際にも利潤率が歴史的な出発点になるのである」。要するに「剰余価値と剰余価値率とは、相対的に、目に見えないものであって、探求されなければならない」のだが、一方、「利潤としての剰余価値の形態は、現象の表面に現われているものであ」って、従って丸見えだと。

ところが「必要労働」と「剰余労働」との「境界」はどこまでいっても「見えない」。両者は「融合している」。

「1労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働とから成っていると仮定しよう。そうすれば、一人の自由な労働者は毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を資本家に提供するわけである。それは、彼が1週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じである。だが、これは目には見えない。剰余労働と必要労働とは融合している」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第八章・P.18」国民文庫)

「労賃という形態は、労働日が必要労働と剰余労働とに分かれ、支払労働と不払労働とに分かれることのいっさいの痕跡を消し去るのである。すべての労働が支払労働として現われるのである。夫役では、夫役民が自分のために行なう労働と彼が領主のために行なう強制労働とは、空間的にも時間的にもはっきりと感覚的に区別される。奴隷労働では、労働日のうち奴隷が彼自身の生活手段の価値を補填するだけの部分、つまり彼が事実上自分のために労働する部分さえも、彼の主人のための労働として現われる。彼のすべての労働が不払労働として現われる。賃労働では、反対に、剰余労働または不払労働でさえも、支払われるものとして現われる。前のほうの場合には奴隷が自分のために労働することを所有関係がおおい隠すのであり、あとのほうの場合には賃金労働者が無償で労働することを貨幣関係がおおい隠すのである」(マルクス「資本論・第一部・第六篇・第十七章・P.61~62」国民文庫)

マルクスのいう考察方法あるいは一つの叙述。

「前には同じ資本に時間的に相次いで起きた変化として考察したことを、今度は、別々の生産部門に相並んで存在する別々の投資のあいだの同時に存在する相違として考察するのである」(マルクス「資本論・第三部・第二篇・第八章・P.242」国民文庫)

時間的差異から生じる剰余価値を空間的差異へと置き換えて考えてみたわけだ。しかしそれは一国内部ですべての労働過程が機械化されてしまえば無くなってしまう「剰余」に違いない。それでもなおどこからか剰余価値は発生してくる。どこからなのか。すべてがオートメーション化されきっていない諸地域から続々と、である。ゆえにマルクスはこう述べている。

「研究の対象をその純粋性において撹乱的な付随事にわずらわされることなく捉えるためには、われわれはここでは全商業世界を一国とみなさなければならないのであり、また、資本主義的生産がすでにどこでも確立されていてすべての産業部門を支配しているということを前提しなければならないのである」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十二章・P.133」国民文庫)

「全商業世界」、とある。ここで、グローバル資本の多元性、多国籍企業とその傘下にある重層的グループによって、世界中の様々な地域から吸収され合体される総資本、という概念は既にマルクスの念頭には置かれていたと見るべきだ。

ここでのキーワードは貿易。それも資本主義的生産様式が高度に発展した国とまだ発展途上にある諸地域(とりわけ植民地)との間で行なわれる貿易である。両者の間の様々な商品取引から発生するだけでなく発生しないわけにはいかない剰余価値の吸収と合体。いつもすでに不均衡な多元的取引。高度に発展した国のほうへ常に既に有利に働く動因が両者の不均衡な取引をますます不均衡な方向へ加速させる。こんなふうに。

「貿易によって一方では不変資本の諸要素が安くなり、他方では可変資本が転換される必要生活手段が安くなるかぎりでは、貿易は利潤率を高くする作用をする。というのは、それは剰余価値率を高くし不変資本の価値を低くするからである。貿易は一般にこのような意味で作用する。というのは、それは生産規模の拡張を可能にするからである。こうして、貿易は一方では蓄積を促進するが、他方ではまた不変資本に比べての可変資本の減少、したがってまた利潤率の低下をも促進するのである。同様に、貿易の拡大も、資本主義的生産様式の幼年期にはその基礎だったとはいえ、それが進むにつれて、この生産様式の内的必然性によって、すなわち不断に拡大される市場へのこの生産様式の欲求によってこの生産様式自身の産物になったのである。ここでもまた、前に述べたのと同じような、作用の二重性が現われる(リカードは貿易のこの面をまったく見落としていた)。

もう一つの問題ーーーそれはその特殊性のためにもともとわれわれの研究の限界の外にあるのだがーーーは、貿易に投ぜられた、ことに植民地貿易に投ぜられた資本があげる比較的高い利潤率によって、一般的利潤率は高くされるであろうか?という問題である。

貿易に投ぜられた資本が比較的高い利潤率をあげることができるのは、ここではまず第一に、生産条件の劣っている他の諸国が生産する商品との競争が行なわれ、したがって先進国の方は自国の商品を競争相手の諸国より安く売ってもなおその価値より高く売るのだからである。この場合には先進国の労働が比重の大きい労働として実現されるかぎりでは、利潤率は高くなる。というのは、質的により高級な労働として支払われない労働がそのような労働として売られるからである。同じ関係は、商品がそこに送られまたそこから商品が買われる国にたいしても生ずることがありうる。すなわち、この国は、自分が受け取るよりも多くの対象化された労働を現物で与えるが、それでもなおその商品を自国で生産できるよりも安く手に入れるという関係である。それは、ちょうど、新しい発明が普及する前にそれを利用する工場主が、競争相手よりも安く売っていながらそれでも自分の商品の個別的価値よりも高く売っているようなものである。すなわち、この工場主は自分が充用する労働の特別に高い生産力を剰余価値として実現し、こうして超過利潤を実現するのである。他方、植民地などに投下された資本について言えば、それがより高い利潤率をあげることができるのは、植民地などでは一般に発展度が低いために利潤率が高く、また奴隷や苦力などを使用するので労働の搾取度も高いからである。ところで、このように、ある種の部門に投ぜられた資本が生みだして本国に送り返す高い利潤率は、なぜ本国で、独占に妨げられないかぎり、一般的利潤率の平均化に参加してそれだけ一般的利潤率を高くすることにならないのか、そのわけは分かっていない。ことに、そのような資本充用部門が自由競争の諸法則のもとにある場合にどうしてそうならないのかは、わかっていない。これにたいしてリカードが考えつくのは、なかでも次のようなことである。外国で比較的高い価格が実現され、その代金で外国で商品が買われて帰り荷として本国に送られる。そこでこれらの商品が国内で売られるのだからこのようなことは、せいぜい、この恵まれた生産部面が他の部面以上にあげる一時的な特別利益になりうるだけだ、というのである。このような外観は、貨幣形態から離れて見れば、すぐに消えてしまう。この恵まれた国は、より少ない労働と引き換えにより多くの労働を取り返すのである。といっても、この差額、この剰余は、労働と資本とのあいだの交換では一般にそうであるように、ある階級のふところに取りこまれてしまうのであるが。だから、利潤率がより高いのは一般に植民地では利潤率がより高いからだというかぎりでは、それは植民地の恵まれた自然条件のもとでは低い商品価格と両立できるであろう。平均化は行なわれるが、しかし、リカードの考えるように旧水準への平均化ではないのである。

ところが、この貿易そのものが、国内では資本主義的生産様式を発達させ、したがって不変資本に比べての可変資本の減少を進展させるのであり、また他方では外国との関係で過剰生産を生みだし、したがってまたいくらか長い期間にはやはり反対の作用をするのである。

このようにして一般的に明らかになったように、一般的利潤率の低下をひき起こす同じ諸原因が、この低下を妨げ遅れさせ部分的には麻痺させる反対作用を呼び起こすのである。このような反対作用は、法則を廃棄しないが、しかし法則の作用を弱める。このことなしには不可解なのは、一般的利潤率の低下ではなくて、反対にこの低下の相対的な緩慢さであろう」(マルクス「資本論・第三部・第三篇・第十四章・P.388~391」国民文庫)

世界資本主義あるいはグローバル資本主義の生成。要するに新自由主義の樹立とその絶え間ない更新。そこで重要になるのは「流通」並びに「交換」である。いつまでも「生産」にばかり囚われていてはいけない。勿論、生産過程は重要だ。しかし生産物=商品を資本化するのは生産工場内部ではまったくない。商品は流通する。しかしただ単に流通するだけでなく貨幣との交換において始めて自分自身が暴力的に貫徹されうることを知るのだ。こういった過程をたどらざるを得ない資本主義本来の暴力性に対して労働者でもあり消費者でもある一般の人々は一体どのように振る舞っていけばよいのか。

例えば、柄谷行人はこう言っている。

「『資本論』において、労働者が主体的となる契機は、商品―貨幣というカテゴリーにおいて、労働者が位置するポジションが変更されるときに見出される。すなわち、資本が決して処理しえない『他者』としての労働者は、消費者として現われるのだ。それゆえ、資本への対抗運動は、トランスナショナルな消費者=労働者の運動としてなされるほかはない。たとえば、環境問題やマイノリティ問題をふくめて、消費者の運動は『道徳的』である。だが、それが一定の成功を収めてきたのは、資本にとって不買運動が恐ろしいからだ」(柄谷行人「トランスクリティーク・P.436~437」岩波現代文庫)

それは確かにそうだ。つい先日発生したにもかかわらず、もう日本の歴史から忘れられてしまいそうになっている「新潮45」廃刊問題は記憶にも新しい代表的な事例だろう。だがなぜそれほどまでに「流通/交換」過程は重要なのか。商品は貨幣と交換されなければその価値を実現できない。商品は貨幣と交換される時点で、またその限りでのみ、始めて実際的な価値を実現するほかないからだ。マルクスはこう述べる。

「貨幣は、商品の価格を実現しながら、商品を売り手から買い手に移し、同時に自分は買い手から売り手へと遠ざかって、また別の商品と同じ過程を繰り返す。このような貨幣運動の一面的な形態が商品の二面的な形態運動から生ずるということは、おおい隠されている。商品流通そのものの性質が反対の外観を生みだすのである。商品の第一の変態は、ただ貨幣の運動としてだけではなく、商品自身の運動としても目に見えるが、その第二の変態はただ貨幣の運動としてしか見えないのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.205」国民文庫)

次に柄谷は、マルクスではなく、頭の固すぎるマルクス「主義者」を念頭に置きつつだと思われるが、こう述べる。

「古典派経済学を受け継いだマルクス主義者は、生産点での労働運動を優先し、それ以外のものを副次的・従属的なものと見なしてきた。それは同時につぎのようなことを意味する。生産過程中心主義には男性中心主義がふくまれている。事実上、労働運動は男性、消費運動は女性が中心となってきたが、それは、産業資本主義と近代国家が強いる男女の分業にもとづいている。古典派経済学の生産過程中心主義は、『価値生産的』労働の重視であるから、それは家事労働などの『生産』を非生産的とみなすことになる。これは産業資本主義とともに始まる差別であり、それがジェンダー化されたのである」(柄谷行人「トランスクリティーク・P.437」岩波現代文庫)

さらに、日本国内だけではどうにもならない事情についてだ。「トランスナショナル」な抵抗運動の構築を提案している。そこで問われてくるのはーーー当たり前のことだがーーー消費者とは何かという問いだ。消費者、それは同時にグローバル化したトランスナショナルな労働者以外の何者かであった試しはない、と柄谷はいう。

「だが、『消費者』とはそもそも何なのか。それは労働者以外の何者でもない。市民=消費者から出発することは、生産関係を捨象してしまうことであり、それはまた、海外の消費者との『関係』を捨象することである。人々が生産過程と流通過程に分離されているかぎり、資本の蓄積運動と資本主義的な生産関係に抵抗することはできない。したがって、資本と国家への抵抗運動は、たんなる労働者あるいは消費者の運動ではなく、トランスナショナルな『消費者としての労働者』の運動でなければならない」(柄谷行人「トランスクリティーク・P.438」岩波現代文庫)

またマルクスは何度か協同組合について言及しており、ここでも時々取り上げてきた。何もしないよりはマシだという程度でしかないが。次の文章もまた考察に値すると考える。

「労働者たち自身の協同組合工場は、古い形態のなかでではあるが、古い形態の最初の突破である。といっても、もちろん、それはどこでもその現実の組織では既存の制度のあらゆる欠陥を再生産しているし、また再生産せざるをえないのではあるが。しかし、資本と労働との対立はこの協同組合工場のなかでは廃止されている。たとえ、はじめは、ただ、労働者たちが組合としては自分たち自身の資本家だという形、すなわち生産手段を自分たち自身の労働の価値増殖のための手段として用いるという形によってでしかないとはいえ。このような工場が示しているのは、物質的生産とそれに対応する社会的生産形態とのある発展段階では、どのように自然的に一つの生産様式から新たな生産様式が発展し形成されてくるかということである。資本主義的生産様式から生まれる工場制度がなければ協同組合工場は発展できなかったであろうし、また同じ生産様式から生まれる信用制度がなくてもやはり発展できなかったであろう。信用制度は、資本主義的個人企業がだんだん資本主義的株式会社に転化して行くための主要な基礎をなしているのであるが、それはまた、多かれ少なかれ国民的な規模で協同組合企業がだんだん拡張されて行くための手段をも提供するのである。資本主義的株式企業も、協同組合工場と同じに、資本主義的生産様式から結合生産様式への過渡形態とみなしてよいのであって、ただ、一方では対立が消極的に、他方では積極的に廃止されているだけである」(マルクス「資本論・第三部・第五篇・第二十七章・P.227~228」国民文庫)

「突破である」、とある。突破とは何か。坂口安吾に言わせれば「突き放す」あるいは「突き放される」ことだ。

「それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身(うつしみ)は、道に迷えば救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まるーーー私は、そうも思います。アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。ーーーだが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそう信じています」(坂口安吾「文学のふるさと」『坂口安吾全集14・P.330~331』ちくま文庫)

さらに。「マスコミ気質」というのか、「評論家気質」というのか、なかにはまだ「文士気質」というものまで残っているかもしれない。小林秀雄はそういう人々に向かってこういった。

「しかしここにどうしても忘れてはならない事がある。逆説的に聞えようと、これは本当の事だと僕は思っているが、それは彼らは自ら非難するに至った、その公式主義によってこそ生きたのだという事だ。理論は本来公式的なものである、思想は普遍的な性格を持っていない時、社会に勢力をかち得る事は出来ないのである。この性格を信じたからこそ彼らは生きたのだ。この本来の性格を持った思想というわが文壇空前の輸入品を一手に引受けて、彼らの得たところはまことに貴重であって、これも公式主義がどうのこうのというような詰らぬ問題ではないのである。

なるほど彼らの作品には、後世に残るような傑作は一つもなかったかも知れない、また彼らの小説に多く登場したものは架空的人間の群れだったかも知れない。しかしこれは思想によって歪曲され、理論によって誇張された結果であって、決して個人的趣味による失敗乃至は成功の結果ではないのであった。

わが国の自然主義小説はブルジョア文学というより封建主義的文学であり、西洋の自然主義文学の一流品が、その限界に時代性を持っていたのに反して、わが国の私小説の傑作は個人の明瞭な顔立ちを示している。彼らが抹殺したものはこの顔立ちであった。思想の力による純化がマルクシズム文学全般の仕事の上に現れている事を誰が否定し得ようか。彼らが思想の力によって文士気質なるものを征服した事に比べれば、作中人物の趣味や癖が生き生きと描けなかった無力なぞは大した事ではないのである」(小林秀雄「私小説論」『小林秀雄初期文芸論集・P.388』岩波文庫)

昨今は特に、マスコミ御用達の評論家気質が目に余って仕方がない。彼ら彼女らは一体いつになれば「マスコミ人気質・マスコミ気取り」から脱出・自分で自分自身を解放するとともに、この地上の、世間の一般大衆が日夜どれほど苦悶に喘いでいるか、日常生活の様々なやりくりから来る精神的肉体的苦痛に倒れそうになっているか、実際に倒れているか、どんな安月給でボンクラな現政権による暴力的抑圧を耐え忍んでいるか、少しは知ってほしいものだと思う。ーーー無理だろうけれど。無理なら無理でせめてそういう「気質/気取り」だけでも「征服」できはしないだろうか。「征服」するつもりはあるのだろうか。もっとも、マスコミだけに限ったことではないけれども、もし「気質/気取り」=「寄らば大樹根性」=「そいつの性根」だけでも「征服」できそうでなければどうなるだろう。もう既にそれはあちこちで始まっているが。左翼の完全な消滅と同時に、今以上に増幅された形で、残された資本家同士の熾烈な銭ゲバによって再び世界は二分割されるだろう。それでもいいと言うのなら世界各地で発生するに違いない小型原爆による地球破壊へと急速に突き進んでいくほかないだろう。つまらない繰り返しの繰り返し。ともあれ、ニーチェのいう「永劫回帰」とはそういう意味の「回帰」では決してないのだが。左翼の消滅は直ちに右翼の消滅を意味しない。そんな簡単なものでは決してない。歴史によれば、一方(左翼)の虐殺・絶滅を経て始めて虐殺・絶滅を敢行した側の右翼もまた考え出す。そこで何かと修正しないといけない諸々の事象があることにようやく気付く、という経過をたどる。しかしながら、外国はまた事情が何かと錯綜しているため単純に言えないとは思うけれども、ただし日本に限って言えば、なにをなすべきか?「日本の左翼」はとっとと経済を語るべきだ。一般大衆を日々これ途切れることなく確実に食わせていかなければならない。とすれば、なにをなすべきか?

BGM

ニーチェ/マルクス/デリダ/猫

2019年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム
ヘーゲルとマルクスの違いについて。色々な人々が色々なことを言ってきた。今なお言っている。ところでデリダは次の点を強調する。テクストとしては、ヘーゲルは直線的で閉じている。一方、マルクスは多層的で開かれていると。このことは昨年末に「書物外」という論文(『散種』法政大学出版局・所収)を参照して述べた。簡略化すれば、ヘーゲルは父系制の論理で体系化されている。マルクスは父系制ではない多型的叙述で常に体系化の手をすり抜け逃れ去っていくと。さらに、日本講演では、こんなふうにも述べていて興味深い。

「私は、あらゆる哲学のうちには自己-脱構築的なもろもろの地点があると考えています。ですから、それらの地点はヘーゲルにもありますし、マルクスにもあるのです。そして、相変らず第三段階での話ですが、ヘーゲルについて言えることはマルクスにもあてはまることを私は明示するでしょう。こういったわけで私は、マルクスに大いに関心をもっているのです。そんなわけで私の考えでは、マルクスにはいわゆる弁証法的唯物論ないしマルクス主義哲学に属さないものどもがあります。もっと別なものがいろいろとあり、まさにそうしたものがいつも私の関心をひくのです。こういったわけで、マルクスは私の関心をひいてやみません。マルクスについてはあまり多くを書いていません。マルクスについては教室でたくさん教えましたが、あまり多くは書いていません。とはいえ、マルクスについてのご質問にお答えするとすれば、それは非常に差異のある、そして非常に異質な答えとなるでしょう。マルクスのうちには、形而上学であるような、現前性の形而上学、弁証法、さらには思弁的弁証法でさえあるような、諸言説の層がまるごと存在している、と私は言うでしょう。それから次に、もろもろの他のものがある、と。これら他のものは、ただ単に、マルクスによって書かれたテクストのうちにのみあるのではありません。それらのものは、単に『資本論』の総体として、あるいはマルクスの伝記としてあるのではありません。それら他のものとは、マルクスの著作を歴史に、労働運動に、そして歴史の歯車たちに結びつけているもののことです。マルクスのテクストはこういったものです。マルクスのテクストとは単にマルクスの書物に限られません。もしもマルクスのテクストを、労働運動の闘争という歴史的コンテクストの総体のうちで捉えて分析するならば、われわれはずっと複雑な諸命題に行き着くにちがいありません。それらの命題はおそらくある人びとには反-マルクス主義的であるだろうし、しょっちゅう、そして今日でもなお、評価し直されるべきものです。とはいえそれらの命題は、われわれがマルクスの書物で読んだり、ないしは大学で教えたりすることのできるような、マルクス哲学についての理論的諸命題に還元されません。マルクスのテクストとは、大学でそれについて言われるもののみにとどまりません。それは至る所にあるのです、マルクスのテクストは。ですから、こういったテクストに対しては、そのようなタイプの理論的諸命題で満足することはできません」(デリダ「私の立場」『他者の言語・P.242~243』法政大学出版局)

さらにこのようなことを語っている。「人間/動物」という対立構造が成り立つのは、あらかじめ用意された「対立」という方法に問題があるのだと。しかし気を付けたいのは人間も動物も「平等」だと安易に片付けたがるイデオロギーと、デリダが問う「人間/動物」という自明となってしまっている思想的対立構造とは何の関係もないということだ。なぜなら、人間による安易なヒューマニズム感情は動物が本来持つ自律的・個別的な独立意志を無視することになってしまうからにほかならない。デリダは人間の傲慢を告発する。

「実際、問題にしてみる値打があると私に思われるのは、人間と動物の対立です。この対立は、現代のきわめて洗練された諸言説をも含めて、西洋および西洋の哲学の歴史全体を通じて機能してきました。人間を彼の尊厳の中で、すなわち言語(ランガージュ)、ロゴス、理性、等々の尊厳の中で安堵させるために、人びとは人間と動物とのあいだに対立的な型の一本の線を引こうと欲したわけです。ゾーオン・ロゴン・エコン〔=ロゴスをもつ動物〕とか、人間は理性をもつ動物だとか、唯一の政治的動物だとか、埋葬儀式をもつ唯一の動物だ、等々といった具合にです。人間のそうした自己固有なものについては、話がつきなかったわけです。そしてこのような対立的論理は、その目的として、人間を彼自身の中で、言いかえれば彼の存在-神論的特権の中で安堵させる(一般的に言って、人間のそうした特権の中で救う必要があったのは、人間と神との連累関係だったのですが)ことをめざすのみならず、同時にまた、奇妙にも、差異を消去することをめざしてもいると、そのように私には思われたのです。それというのも、いつものことながら、対立というものは差異を消去することをめざしていますから。人びとはひとたび対立を確保してしまうと、もろもろの差異すべてを等質的なものに還元しようとしたのです。例えば動物的系列と呼ばれるものの内部には、あたかもただ一つの動物性しかないかのようにです。例えばまた、生命の諸構造の差異づけられた異質性は、あたかもこれを無視することができるかのようにです。いずれにしろあたかもそうした異質性は、人間と動物とのあいだのあの単純な境界づけを乱すことはできないかのようにです。対立的な論理が或る種の同一化的・等質化的過程に奉仕したのは、一再にとどまりません。事柄に対して科学的なーーーと言っておきましょうーーー関連をもつ人たちは、人びとが人間のために取っておきたいと欲していた諸特性ないし諸述語概念(言語活動、社会、死への関係、等々)のそれぞれについて、今日では次のことを明らかにしうるのです。すなわち、そこには対立など存在しえないこと、動物性のなかにはきわめて複雑な諸構造が存在すること、そしてくだんの境界線は、人びとが引きうると思いなしていた所を通っていないこと、こうしたことどもを明らかにしうるのです。人間/動物の対立というこの問題は、多くの形而上学的なテクストを問題にするためにも、形而上学的ではないと自称している多くのテクストを問題にするためにも、きわめて有用かつきわめて適切な手掛かりとなるのです」(デリダ「他者の言語」『他者の言語・P.299~300』法政大学出版局)

こうある。「対立的な論理が或る種の同一化的・等質化的過程に奉仕した」。ちなみにヘーゲル弁証法は対立的なものの闘争の歴史の理論化という過程をたどる。しかしより一層根源的な部分へ遡ってみようとすればニーチェを無視することはできない。異種のものーーーそれも複数の異種のものーーーの間での同一化・均質化はどのようにして起こってきたか。

「意識の扉や窓を一時的に閉鎖すること、意識下における隷属的な諸器官が相互に恊働したり対抗したりするための喧噪や闘争に煩わされないこと、新しいものに、わけてもより高級の機能や器官に、統制や予測や予定に(われわれの有機体の組織は寡頭政体だから)再び地位が与えられるようになるための僅かばかりの静穏、僅かばかりの意識の《白紙状態》ーーーこれが、前述のように、心的秩序・安静・礼儀のいわば門番であり執事であるあの能動的な健忘の効用である。このことからして直ちに看取されることは、健忘がなければ、何の幸福も、何の快活も、何の希望も、何の矜持も、何の《現在》もありえないだろうということだ。この阻止装置が破損したり停止したりした人間は、消化不良患者にも比せらるべきものだ(そして単に比せらるべきものより以上のものだ)。ーーー彼は何事にも『決着をつける』ことができないーーーこの必然的な健忘な動物にあっては、健忘は一つの力、《強い》健康の一形式を示すものであるが、しかもこの同じ動物が、今やそれと反対の能力を、すなわちある場合に健忘を取りはずすことを助けるあの記憶という能力を習得した、ーーーここにある場合とは、約束をしなくてはならない場合のことだ。従ってそれは、単にいったん刻み込まれた印象から再び脱却することができないというような受動的な状態では決してなく、また単にいったん質入れして再び請(う)け出すことができなくなった言質の惹き起こす消化不良でもない。むしろ、再び脱却したくないという能動的な《意欲》であり、いったん意欲したことをいつまでも継続しようとする意欲であり、本来の《意志の記憶》である。そこで、本来の『私はしたい』・『私はするであろう』と、意志の真の放出である意志の《活動》との間には、一群の新奇な事物や事情、新奇な意志活動すらもが躊躇なく挿入されうることになり、しかもその際この長い意志の連鎖が断ち切られてしまうというようなことはない。しかし、これらすべての事柄の前提となるものは何か!そういう風に未来を予め処理することができるようになるためには、人間はまず、必然的な生起を偶然的な生起から区別して、それを因果的に考察する能力、遥かな未来の事柄を現在の事柄のように観察し予見する能力、何が目的であり何がそれの手段であるかを確実に決定する能力、要するに、計算し算定する能力を習得してかかることを、いかに必要としたことか!ーーー一個の約束者として《未来としての》自己を保証しうるようになるためには、人間は自らまずもって、自己自身の観念に対してもまた《算定し得べき》、《規則的な》、《必然的な》ものになることをいかに必要としたことか!」(ニーチェ「道徳の系譜・P.62~64」岩波文庫)

そして。

「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・P.64」岩波文庫)

「同一化的・等質化的過程に奉仕」したものは実に多い。それらはどれも或る習俗の維持とそのためには犠牲が必要だというまったくの信仰に基づく暴力を伴って発展してきたし、同時に、人間を人間として同一化・均質化する暴力的加工装置は、信仰に基づく暴力なしに発展することはできなかった。

「『習俗とその犠牲』。ーーー習俗の起源は、次の二つの思想に帰着する、ーーー『団体は個人よりもいっそう価値がある』という思想と、『永続的な利益は一時的な利益に優先すべきである』という思想である。そして、これから、団体の永続的な利益は個人の利益、とくにその刹那的な満足よりも、しかしまた個人の永続的な利益やその生命の存続すらよりも、無条件に優先すべきであるという結論がでてくる。いまや、全体を益するための或る制度で個人が苦しもうと、また彼がそのために委縮し、そのために破滅してゆこうとーーー習俗は維持されねばならず、またそのためには犠牲が供されねばならない。しかし、このような心的態度が《生ずるのは》、自らは犠牲となることの《ない》連中においてだけである、ーーーなぜなら、犠牲者の方は、<個人は多数者よりも貴重なものであり得る>、同様に、<現在の享受、天国にあるこの一刹那は、苦しみのない、あるいは安楽な状態の無気力な持続よりもおそらくいっそう高く評価されるべきである>という意見を主張するからである。しかし、犠牲獣のこの哲学は、いつも叫ばれることあまりにも遅きに失している。だから彼らはいつまでたっても習俗や《道徳性》にしばられたままである。人びとは習俗の下で生き、習俗の下で教育された、ーーーしかも個人としてではなく、全体の分岐として、多数派の符牒として教育された。そして道徳性とはこのもろもろの習俗の総体や本質に寄せる感情にすぎないのである。ーーーかくして絶えず個人は、その道徳性を媒介として、自己自身を《多数派化》してゆく結果になる」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・八九・P.73~74」ちくま学芸文庫)

「道徳」という名のもとで実行される何という欺瞞・迫害・怜悧・暴圧であることか。さらに次の引用では「風習」「迷信」「犠牲」「服従」「共同体」など重要な用語が連発される。

「倫理とは、いかなる種類の風習であるにせよ、風習に対する服従より外の何ものでもない(したがってとくに《それ以上のものではない!》)。風習とはしかし行為と評価の《慣習的な》方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理もまったくない。そして生活が慣習によって規定されることが少なければ少ないだけ、それだけ一層倫理の範囲は小さくなる。自由な人間はあらゆる点で自分に依存し、慣習に依存しないことを《望む》から、非倫理的である。人類のすべての原始的な状態にあっては、『悪い』ということは、『個人的』、『自由な』、『勝手な』、『慣れていない』、『予測がつかない』、『測りがたい』というほどのことを意味している。そのような状態の尺度でいつも測られるので、ある行為が、慣習が命令するからでは《なくて》、別な動機(たとえば個人的な利益のために)、それどころか、かつてその慣習を基礎づけていたまさにその動機自身からなされるときですら、その行為は非倫理的と呼ばれ、その行為をする者からさえそう感じられる。なぜなら、その行為は慣習に対する服従から行なわれたのではないからである。慣習とは何か?それは、われわれにとって《利益になるもの》を命令するからではなくて、《命令する》という理由のためにわれわれが服従する、高度の権威のことである。ーーー慣習に対するこの感情は、恐怖一般の感情からどこで区別されるか?それは、そこで命令する高度の知性に対する、理解しえない不明瞭な力に対する、個人的なもの以上の何ものかに対する恐怖である。ーーーこの恐怖の中には《迷信》がひそむーーー原始的には、教育と保健の全体、結婚、医術、農業、議論と沈黙、お互いの間の交際および神々との交わりなどは、倫理の領域に属していた。この倫理は、人が個人としての《私利》を計ること《なしに》、指令に従うことを要求した。原始的には、それゆえすべてが風習であった。そして風習をこえようとする者は、立法者や魔術師や一種の半神にもならねばならなかった。すなわち、彼は《風習をつくら》ねばならなかった。ーーーおそろしい、命の危ないことであった!ーーー最も倫理的な者とは誰か?《第一に》、法を最もしばしば履行する者である。つまりバラモンのように法の意識をいたるところに、しかもどんな小さな時間の中にも持ちこみ、法を履行する機会を絶えず案出する者である。《第二に》、最も困難な場合にあっても法を履行する者である。最も倫理的な者とは、風習に最も多く《犠牲を捧げる》者のことである。しかし最大の犠牲とは何か?この問いの答えに応じて、数個の異なった道徳が展開する。しかし最も重要な差異は、やはり《最も頻繁な履行》の道徳を《最も困難な履行》の道徳から分かつ差異に留まる。風習の最も困難な履行を倫理の目じるしとして要求する、あの道徳の動機を取り違えないでもらいたい!克己は、それが個人に対してもっている利益になる結果のために要求されるのでは《なく》、個人的な反対欲望や利益の一歳にもかかわらず、風習すなわち慣習が支配的なものとして現われるために要求されるのである。個人は自己を犠牲にしなければならない。ーーー風習の倫理はこのように要求する。ーーーこれに反して、《ソクラテスの》足跡の追随者たちのように、克己と節制の道徳を、個人の最も固有な《利益》として、幸福にいたる最も個人的な鍵として、《個人》に切に説き勧めるあの道徳学者たちは、《例外である》ーーーそしてわれわれにとってそれが別様だと思われるのは、われわれが彼らの影響下で教育されたからである。彼らすべては、風習の倫理のあらゆる代表者たちを極めてはなはだしく非難し、新しい道を行く。ーーー彼らは非倫理的な人々として、共同体から離れる。そして最も深い意味で、悪である。同様に昔基質(かたぎ)で道徳堅固なローマ人にとって、『何よりも先に自分《自身の》幸福を得ようと努力した』すべての《キリスト教徒》は、ーーー悪と思われた。ーーー共同体があり、したがって風習の倫理があるところではどこでも、風習違反に対する罰、すなわちその現われと限界を理解することが極めて困難であり、極めて迷信的な不安によって推測されるあの超自然的な罰は、何よりもまず共同体におちかかるものである、という思想もまた支配している。共同体は個人をうながし、彼の行為の結果として起こる身近な損害を、個人あるいは共同体に対して賠償させることができる。共同体はまた、個人によって、彼の行為のいわゆる影響として、神の雲と怒りの雷雨が共同体の上に集中したことの一種の復讐を、個人に対して加えることもできる。ーーーしかし共同体は個人の罪をやはり何よりもまず《共同体の》罪と感じ、そして個人の罰を《共同体の》罰として引き受けるーーー。『そんな行為ができるようになったとは、風習も弛(ゆる)くなったものだ』と、各自は心の中で嘆くのである。どんな個人的な行為も、どんな個人的な考え方も戦慄(せんりつ)をひきおこす。余人ならぬ非凡で、選り抜きで、独創的な精神の持ち主たちが、歴史の過程全体の中でいつも悪いそして危険な人々であると感じられたことによって、それどころか《彼らが自分自身をそう感じた》ということによって、どんなに苦しんだにちがいないかは、全く測り知ることができない。風習の倫理の支配下にあっては、どんな種類の独創性も良心の疚(やま)しさを感じた。今にいたるまで最もすぐれた人々の空は、そのために、そうならざるをえないよりも以上にさらに陰鬱なのである」(ニーチェ「曙光・九・P.24~26」ちくま学芸文庫)

人間は何よりもまず先に「約束をなしうる動物」へと加工される。それぞれに異なった人間動物は、色々な作業を同一の作業方法でもって大量の人員と共に同時に経験することで同一的・均質的なもの(人間)というものに「される」。同一的・均質的であるとされるや否や、共同体内部で、「人間として」は「同等」であると承認されるにもかかわらず「同等な人間」であるがゆえにかえって分割されうるものとなり、実際にも分割され、監禁・排除され、上下関係に服従し、要するに階層秩序化され、そうしてやっと各自は社会的な意味でそれぞれの位置を与えられるという過程を踏むわけだ。

例えばそれは、良く出来た長方形の「羊羹」(ようかん)のようなものだ。長方形の「羊羹」(ようかん)は素晴らしく同一的・均質的であるがゆえに、いつどこでどのようにでも分割可能なのだ。が、それは分割に先立って、まず一つのものとして完成されていなくてはならない。

さて、約束とは何か。それは言語とその風習的習慣的使用によって共同体内部で慣例化する。掟と化す。そして約束は、言語を介した「社会的契約」〔法〕として機能することを何ら妨げない。このような言語の機能はあたかも商品交換の場において貨幣が果たす機能とまったく似ている。それはやがて様々な共同体の間で流通するようになる。次のような過程を反復させつつ。

「直接的生産物交換は、一面では単純な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない。この形態は、x量の商品A=y量の商品B、であった。直接的生産物交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象B、である(まだ二つの違った使用対象が交換されるのではなく、未開人のあいだにしばしば見られるように、雑多な物のひとかたまりが第三の物にたいする等価物として提供されているあいだは、直接的生産物交換もやっと始まりかかったばかりなのである)。AとBという物はこの場合には交換以前には商品ではなく、交換によってはじめて商品になる。ある使用対象が可能性から見て交換価値であるという最初のあり方は、非使用価値としての、その所持者の直接的欲望を越える量の使用価値としての、それの定在である。諸物は、それ自体としては人間にとって外的なものであり、したがって手放されうるものである。この手放すことが相互的であるためには、人々はただ暗黙のうちにその手放されうる諸物の私的所有者として相対するだけでよく、また、まさにそうすることによって互いに独立な人として相対するだけでよい。とはいえ、このように互いに他人であるという関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては存在しない。その共同体のとる形態が家長制家族であろうと古代インドの共同体であろうとインカ国その他であろうと、同じことである。商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。しかし、物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それは反作用的に内部的共同生活でも商品になる。諸物の量的な交換割合は、最初はまったく偶然である。それらの物が交換されうるのは、それらの物を互いに手放しあうというそれらの物の所持者たちの意志行為によってである。しかし、そのうちに、他人の使用価値にたいする欲望は、だんだん固定してくる。交換の不断の繰り返しは、交換を一つの規則的な社会的過程にする。したがって、時がたつにつれて、労働生産物の少なくとも一部分は、はじめから交換を目的として生産されなければならなくなる。この瞬間から、一方では、直接的必要のための諸物の有用性と、交換のための諸物の有用性との分離が固定してくる。諸物の使用価値は諸物の交換価値から分離する。他方では、それらの物が交換される量的な割合が、それらの物の生産そのものによって定まるようになる。慣習は、それらの物を価値量として固定させる。直接的生産物交換では、どの商品も、その商品の所持者にとっては直接に交換手段でああり、その非所持者にとっては等価物である。といっても、それが非所持者にとって使用価値であるかぎりでのことではあるが。つまり、交換される物品は、それ自身の使用価値や交換者の個人的欲望にはかかわりのない価値形態をまだ受け取っていないのである。この形態の必然性は、交換過程にはいってくる商品の数と多様性とが増大するにつれて発展する。課題は、その解決の手段と同時に生まれる。商品所持者たちが彼ら自身の物品をいろいろな他の物品と交換し比較する交易は、いろいろな商品がいろいろな商品所持者たちによってそれらの交易のなかで一つの同じ第三の商品種類と交換され価値として比較されるということなしには、けっして行われないのである。このような第三の商品は、他のいろいろな商品の等価物となることによって、狭い限界のなかでではあるが、直接に、一般的な、または社会的な等価形態を受け取る。この一般的等価形態は、それを生みだした一時的な社会的接触といっしょに発生し消滅する。かわるがわる、そして一時的に、一般的等価形態はあれこれの商品に付着する。しかし、商品交換の発展につれて、それは排他的に特別な商品種類だけに固着する。言いかえれば、貨幣形態に結晶する。それがどんな商品種類にひきつづき付着しているかは、はじめは偶然である。しかし、だいたいにおいて二つの事情が事柄を決定する。貨幣形態は、域内生産物の交換価値の実際上の自然発生的な現象形態である外来の最も重要な交換物品に付着するか、または域内の譲渡可能な財産の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものに付着する。遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が可動的な、したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり、また、彼らの生活様式が彼らを絶えず他の共同体と接触させ、したがって彼らに生産物交換を促すからである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・交換過程・P.160~163」国民文庫)

ところで、デリダはニーチェの手法をこう評している。

「ニーチェ的な意味での解釈は、いずれにしても、一つの意味の解読としての読解ではないのでして、それはテクストの活動的(アクティヴ)な変形(トランスフォルマシオン)にあるわけです。私はこの点で、つまりまさにテクストに関する点で、ニーチェの諸テクストにはまったく同感しております。ニーチェ的な意味での解釈は解釈学的な解釈ではありません」(デリダ「他者の言語」『他者の言語・P.297』法政大学出版局)

対立的な議論だけでよいと言うのなら、それこそ何度か繰り返しヘーゲルを読めば身に付くだろう。マルクスもまた随所でヘーゲル的であり、資本論序文ではマルクス自身、ヘーゲルの方法にならったと公言している。しかしニーチェがやっていることで、さらにデリダが高く評価していることは、哲学者の間で当たり前になってしまっていたヘーゲルの濫用に対して、大いにずれた場において可能となってくる「読み」の動的「変形」だ。ただ単なる弁証法の濫用だけでは理論のための理論にしかならないことに気付いていたわけだが、マルクスもまた一方でヘーゲル的ではありながらも他方でニーチェ的な動的「変形」を行っている。それは文体の変化という点で顕著だ。例えば初期マルクスと中期マルクスとではところどころに文体の変化が見られる。マルクスによる二つの文章(文体)を較べてみよう。

「《ルター》はたしかに《献身》による隷従を克服したが、それは《確信》による隷従をもってそれに代えたからであった。彼は権威への信仰を打破したが、それは信仰の権威を回復させたからであった。彼は僧侶を俗人に変えたが、それは俗人を僧侶に変えたからであった。彼は人間を外面的な信心深さから解放したが、それは信心を内面的な人間のものとしたからであった。彼は肉体を鎖から解放したが、それは心を鎖につないだからであった」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説・P.86」岩波文庫)

なるほどそうだ。けれども、余りにも派手なヘーゲルばりの弁証法の開示であって、その絢爛たる弁証法の華麗さに目を奪われ去ってしまいそうになる。そしてともすれば次のような、マルクス自身による極めて重要な部分をマルクスの読者がすっかり忘れ去ってしまうというだらしない結果を招く。実にしばしば「解釈学的」な「読み」に陥ってしまって同じところの自己回転を繰り返すばかりにしかならないというリスクが生じる。だがしかし、「解釈学的」でない「読み」とは一体どういう「読み」だろう。重要な部分とはどのような部分なのか。それが二つ目に上げる文章(文体)であり、同時にそれはニーチェ的だ。

「人間の思考にーーー対象的真理が到来するかどうかーーーという問題は、<ただ>理論の問題ではなく、《実践的な》問題である。実践において人間は自らの思考の真理性を、すなわち思考の現実性と力を、思考がこの世のものであることを、証明しなければならない。思考の現実性と非現実性をめぐる争いはーーー思考が実践から遊離されているならーーー純粋に《スコラ的な》問題である」(マルクス「フォイエルバッハに関するテーゼ」マルクス=エンゲルス『ドイツ・イデオロギー・P.233』岩波文庫)

BGM