白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて68

2022年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

ここ二、三日、姿が見えなかったのでようやく冬眠したのかと思っていた蛙が軒先に戻ってきました。

 

「名称:“アマガエル”」(2022.10.26)

「川ぞひの畠をありく月見哉」(杉風)

 

さて、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて日本各地でどんどん城郭が築かれていきました。築城にあたり石垣普請を担った技能者集団が「穴太衆」(あのうしゅう)と呼ばれる職人たちです。その中から諸大名たちの要請のもとで技能者として公認される者も出てきました。穴太頭(あのうがしら)あるいは公儀穴太(こうぎあのう)といいます。徳川政権初期に四名の公認が見られます。寛永十四年(一六三七年)「寛永日記」によれば(1)戸波駿河(となみするが)、(2)戸波三河(となみみかわ)、(3)戸波丹後(となみたんご)、(4)堀金出雲(ほりがねいづも)、の計四名の名前があります。江戸初期の築城ブームに乗って一世風靡した穴太頭(あのうがしら)と穴太衆。今日はそんな穴太頭(あのうがしら)の墓まで歩いてみましょう。

 

京阪電車石坂線の松ノ馬場駅から西側へ向かって坂道を登ると県道47号線に出ます。車に気をつけて県道を少しばかり南へ歩くと右手に「森本墓地」と呼ばれる墓地が見えてきます。そこに穴太頭(あのうがしら)四名の墓があります。

 

「名称:“高村参河(たかむらみかわ)の墓”」(2022.10.26)

「浦風(うらかぜ)や巴(ともえ)をくづすむら鵆(ちどり)」(曾良)

 

「名称:“高村参河(たかむらみかわ)の妻の墓”」(2022.10.26)

「おもしろう松笠もえよ薄月夜」(土芳)

 

「名称:“戸波丹後(となみたんご)の墓”」(2022.10.26)

「秋ひとり琴柱(ことじ)はづれて寝ぬ夜かな」(荷兮)

 

細長く急峻な谷を隔ててさらに南側に戸波駿河(となみするが)の墓があります。

 

「名称:“戸波駿河(となみするが)の墓”」(2022.10.26)

「三日月はちよつと咲(わら)ふて入(いり)にけり」(露川)

 

「名称:“戸波駿河(となみするが)の妻の墓”」(2022.10.26)

「かくれ家(が)やよめ菜(な)の中に残る菊」(嵐雪)

 

さらに山道を奥へ歩くと堀金出雲(ほりがねいづも)の墓があります。が、地所を巡ってなのかどうかよくわからないのですが、問題を起こしたらしく、墓石は倒され、以後数百年の間そのままになっています。

 

「名称:“堀金出雲(ほりがねいづも)の墓”」(2022.10.26)

「闇の夜は吉原ばかり月夜哉」(其角)

 

戸波駿河一族の墓所のそばの松の木にくっついたままの黄金虫(コガネムシ)の抜け殻を見つけました。

 

「名称:“黄金虫(コガネムシ)の抜け殻”」(2022.10.26)

「何なりとからめかし行(ゆく)あきのかぜ」(支考)

 

「名称:“森本墓地の墓原”」(2022.10.26)

「十月や余所(よそ)へもゆかず人も来(こ)ず」(尚白)

 

「名称:“ススキの野原”」(2022.10.26)

「鵯(ひよどり)や霜の梢に鳴(なき)渡り」(惟然)

 

「名称:“白萩”」(2022.10.26)

「かげろふの抱(だき)つけばわがころも哉」(越人)

 

「名称:“石積み”」(2022.10.26)

「行秋や三十日(みそか)の水に星の照り」(園女)

 

二〇二二年十月二十六日午後一時頃撮影。

 

参考になれば幸いです。

 


Blog21・《未知ノ土地》の衝撃/世界の多元性

2022年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

プルーストは「筆舌に尽くしがたい私の苦難」と書いている。アルベルチーヌのトランス(横断的)性愛嗜好は<私>にとって途方もない「苦難」なのだ。しかしそもそもこの「苦難」の発生源は<私>がトランス(横断的)でない一方的な異性愛者でしかないことにも求められる。ゆえに<私>はますます救いようのない「激痛」に直面するほかない。追い込まれた<私>の鎮痛剤になり得る唯一のもの。それもまたアルベルチーヌしかない。この点でアルベルチーヌはパルマコン(医薬/毒薬)という両義的存在として作用する。「アルベルチーヌが私に授けてくれたのはーーーそれを私に授けることができるのはアルベルチーヌだけだったーーー私に焼けるような激痛を与えている毒によく効く唯一の薬にほかならない。もっともこの薬は、毒と同じもので、一方はやさしく、もう一方は残忍であるが、双方ともに同じアルベルチーヌから出てきたものである」と。

 

「アルベルチーヌは言い添えた、『あたし、あなたのそばを離れないわ、ずっとここにいてあげる』。そう言ってアルベルチーヌが私に授けてくれたのはーーーそれを私に授けることができるのはアルベルチーヌだけだったーーー私に焼けるような激痛を与えている毒によく効く唯一の薬にほかならない。もっともこの薬は、毒と同じもので、一方はやさしく、もう一方は残忍であるが、双方ともに同じアルベルチーヌから出てきたものである。今のところアルベルチーヌーーー私の病巣ーーーは私に苦痛を与える手をゆるめて、私にーーー薬たるアルベルチーヌとしてーーー快復期の病人のように同情を寄せている。しかし、と私は考えた。アルベルチーヌはやがてバルベックを発ってシェルブールへ向かい、そこからトリエステへ行くにちがいない。きっと昔の悪癖がまたぞろ顔を出すだろう。私がなによりも願ったのは、アルベルチーヌが船に乗るのを妨げて、パリへ連れ帰ることだった」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・四・P.589~590」岩波文庫 二〇一五年)

 

<私>は是が非でもアルベルチーヌをパリに連れ帰らなくてはならない。もっとも、パリなら遥かに多くの女性同性愛者がいるに違いない。アルベルチーヌはいとも容易にその相手を見つけるだろう。バルベックでもシェルブールでもトリエステでも同じことだ。にもかかわらず<私>は熾烈な嫉妬に駆られ強引にパリへ連れ帰ろうと考える。すぐにでも実行しなければならないのは嫉妬の震源地たる<土地の名>から遠ざかることだからである。この<土地の名>の系列にはゴモラ(女性同性愛)へ接続されているすべての人間の名前、とりわけ「ヴァントゥイユ嬢の女友だち」が特権的な立場で含まれている。ところが「ひとつひとつの嫉妬の振る舞いは特殊なもの」だとプルーストはいう。

 

「しかしひとつひとつの嫉妬の振る舞いは特殊なもので、それをかき立てた女性ーーーこの場合はヴァントゥイユ嬢の女友だちーーーの傷跡を残しているものだ。私の重大な気がかりになっていたのはヴァントゥイユ嬢の女友だちだったのである」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・四・P.590」岩波文庫 二〇一五年)

 

切り離し不可能なわけではまるでない。「ヴァントゥイユ嬢の女友だち」が特権的であり得るのはまさしく「ヴァントゥイユ嬢の女友だち」のみを特権的に切り離して取り出すことが可能だからである。

 

「というのもわれわれが愛や嫉妬と思っているものは、連続して分割できない同じひとつの情念ではないからである。それは無数の継起する愛や、無数の相異なる嫉妬から成り立っており、そのひとつひとつは束の間のものでありながら、絶えまなく無数にあらわれるがゆえに連続しているという印象を与え、単一のものと錯覚されるのだ」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.401」岩波文庫 二〇一一年)

 

愛や嫉妬を諸商品の無限の系列として見た場合、次のように述べることができる。マルクスから。

 

「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)

 

ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・P.118~120」国民文庫 一九七二年)

 

次々に置き換えられていく。このように脱中心化された無限の系列はしかし貨幣の出現によってすっかり覆い隠されてしまう。

 

「商品世界のこの完成形態ーーー貨幣形態ーーーこそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠すのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.141」国民文庫 一九七二年)

 

また「絶えまなく無数にあらわれるがゆえに連続しているという印象を与え、単一のものと錯覚される」という事態はなぜ起こるのか。ニーチェはいう。

 

「どうして、私たちが私たちのより弱い傾向性を犠牲にして私たちのより強い傾向性を満足させるということが起こるのか?それ自体では、もし私たちが一つの統一であるとすれば、こうした分裂はありえないことだろう。事実上は私たちは一つの多元性なのであって、《この多元性が一つの統一を妄想したのだ》。『実体』、『同等性』、『持続』というおのれの強制形式をもってする欺瞞手段としての知性ーーーこの知性がまず多元性を忘れようとしたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下・一一六・P.86」ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

もはやアルベルチーヌを愛することができなくなって不意に語られるのはアルベルチーヌがオーストリアからやって来たことについてだ。<私>がアルベルチーヌを熱烈に愛していた頃、オーストリアの「地理上の特異性や、そこに住んでいる人種、その歴史的建造物や風景など、それらをまるで地図帳や写真集でも見るように、アルベルチーヌの微笑みや物腰のなかに眺めることができた」。アルベルチーヌのあらゆる身振りの中に<私>はオーストリアという<土地の名>が湧き起こさせる様々な幻想的風景を溶かし込み二重化させて見ていた。だからアルベルチーヌが嫌悪の対象と化した今、両者が接続されたままでいる限り、オーストリアという<土地の名>が湧き起こさせるどんな幻想的風景も幻滅の対象へ置き換えられてしまう。

 

「私はかつてオーストリアのことを考えて不思議な情熱を覚えたものだが、それはアルベルチーヌのやって来た国だからである(その叔父はそこの大使館の参事官だった)。その国の地理上の特異性や、そこに住んでいる人種、その歴史的建造物や風景など、それらをまるで地図帳や写真集でも見るように、アルベルチーヌの微笑みや物腰のなかに眺めることができたのである。私はその不思議な情熱をいまもなお覚えはするが、ただしその特徴はとり替えられて嫌悪をもよおす領域になった」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・四・P.590~591」岩波文庫 二〇一五年)

 

そしてとうとう<私>は決定的に「《未知ノ土地》」へ踏み込んだことを認めざるを得ない。<私>が男性の異性愛者である以上、嫉妬の相手もまた男性の異性愛者だったならそれほど熾烈な嫉妬を催すことはない。それは「せいぜいライバルと言うべき存在で、そんな相手ならうち勝つべく努力することもできるからだ」。しかしアルベルチーヌが出入りしている「《未知ノ土地》」はまるで違っている。「今度の場合、ライバルは私と同じ男ではなく、所持する武器も違うので同じ土俵では勝負ができず、アルベルチーヌにその相手と同じ快楽を与えることができないばかりか、それがどんな快楽なのか正確に想いうかべることさえできない」からだ。世界が違うのである。

 

「この心をさいなむ苦痛に比べれば、ドンシエールで私といっしょにサン=ルーの気を惹こうとしたときに感じた嫉妬や、パリでステルマリア嬢の手紙を待っていた日にアルベルチーヌが最初の接吻を与えてくれたとき、それをどんな未知の男に手ほどきされたのかと想いうかべたときに感じた嫉妬など、なにほどのことがあろう?このようなサン=ルーなり任意の青年なりにかき立てられた別種の嫉妬は、なんでもなかった。その場合に恐れなければならないのは、せいぜいライバルと言うべき存在で、そんな相手ならうち勝つべく努力することもできるからだ。ところが今度の場合、ライバルは私と同じ男ではなく、所持する武器も違うので同じ土俵では勝負ができず、アルベルチーヌにその相手と同じ快楽を与えることができないばかりか、それがどんな快楽なのか正確に想いうかべることさえできない」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・四・P.592~593」岩波文庫 二〇一五年)

 

<私>は(1)「所持する武器も違うので同じ土俵では勝負ができ」ない。(2)「相手と同じ快楽を与えることができないばかりか、それがどんな快楽なのか正確に想いうかべることさえできない」。すぐそばにいるにもかかわらず瞬時に限りなく遠ざかって見えるアルベルチーヌ。ほとんど二、三歩の距離しかないのにもはや無限の彼方で微笑んでいるアルベルチーヌ。しかしどのアルベルチーヌもそれ以外の存在ではあり得ない。<私>は慌ただしく狂気へと加速する。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて67

2022年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

最寄駅から浜大津へ出る際、西側に連なる山の山頂にNHKの電波塔が見えてきます。電車からもよく見えるのでほとんど無粋なほどですが目印としては役立ちます。山の名を宇佐山(うさやま)といいます。その山頂にかつて宇佐山城(うさやまじょう)という城がありました。歴史教科書に出てくる「宇佐山城の戦い」の舞台の一つとなったところです。

 

戦国時代末期。元亀元年(一五七〇年)九月、宇佐山城には織田信長の家臣・森可成(もりよしなり)が詰めていました。森蘭丸(もりらんまる)の父です。浅井長政・朝倉義景の連合軍は石山本願寺や比叡山延暦寺とも同盟し、唐崎(からさき)、穴太(あのう)、坂本(さかもと)周辺で森可成軍と一進一退を繰り返します。九月半ば、浅井朝倉連合軍が宇佐山城に攻め込み森可成の首を討ち取りました。しかし宇佐山城全体を落とすことはできませんでした。摂津にいた織田信長は森可成討死の報を聞いて急ぎ京へ戻り、宇佐山城死守のためさらなる織田軍を差し向けます。そこで両軍は膠着状態に陥りました。結果的に和議が成立し「宇佐山城の戦い」は終わるわけです。

 

ところで討ち死にした森可成の首はどこへ行ったのでしょう。森可成はもともと美濃の土岐氏出身だったため墓所は今の岐阜県可児市にあります。しかしもう一つ、坂本の「聖衆来迎寺(しょうじゅうらいごうじ)」境内にも墓があるのです。そしてこの後者の側が首塚だったのではないかと言われています。

 

「名称:“聖衆来迎寺門前”」(2022.10.25)

「あさ露や鬱金畠(うこんばたけ)の秋の風」(凡兆)

 

「名称:“聖衆来迎寺番所”」(2022.10.25)

「ほととぎすなくや木(こ)の間の角櫓(すみやぐら)」(史邦)

 

「名称:“聖衆来迎寺本堂”」(2022.10.25)

「悔(くやみ)いふ人のとぎれやきりぎりす」(丈草)

 

「名称:“森可成の墓”」(2022.10.25)

「かかる夜の月も見にけり野辺送(のべおくり)」(去来)

 

境内にはようやく紅葉し出した桜があります。

 

「名称:“桜”」(2022.10.25)

「高燈籠(たかどうろう)ひるは物うき柱かな」(千那)

 

「名称:“桜”」(2022.10.25)

「夕やけの百姓赤し秋の風」(許六)

 

二〇二二年十月二十五日午前十時頃撮影。

 

さて、織田軍が宇佐山城死守に動いたため浅井朝倉連合軍はその手前で布陣せざるをえず釘付けになってしまいました。その一つが「信長公記」に名前の出ている「つぼ笠山」です。当時は壺笠山城(つぼかさやまじょう)がありました。写真左の小高い山影が壺笠山です。

 

「名称:“壺笠山”」(2022.10.25)

「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」(芭蕉)

 

二〇二二年十月二十四日午後五時頃撮影。

 

参考になれば幸いです。

 


Blog21・プルーストのいう《未知ノ土地》、その苦痛と「発見の歓び」

2022年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

改行されていないのでわかりにくいかも知れない。しかしここから先は間違いなく、さらに新しい領域が開かれている。プルーストはいう。「私がいまや上陸したのは恐ろしい《未知ノ土地》で、想いも寄らぬ苦痛にさいなまれる新たな局面が目の前にあらわれたのだ」と。思考を停滞されることなく押し進めることの重要性。苦痛を伴わない思考はない。「人がとことん苦しい想いをしないのは、たいていは創造的精神に欠けるからにすぎない」とあるように。しかし一方、創造的思考の推進は、否応なく与えられる苦痛「とともにすばらしい発見の歓びを与えてくれる」。

 

「私がいまや上陸したのは恐ろしい《未知ノ土地》で、想いも寄らぬ苦痛にさいなまれる新たな局面が目の前にあらわれたのだ。しかしながら、大洪水のようにわれわれを呑みこんでしまうこの現実は、それまでの臆病なつつましい想定と比べればいかに巨大であるとはいえ、その想定によってじつは予感されていたことである。私がアンドレのそばにいるアルベルチーヌを見てあれほど不安に感じたのは、おそらく今しがた知ったようなこと、アルベルチーヌとヴァントゥイユ嬢との友情のようなこと、はっきり頭には想い描けなかったものの私がぼんやりと怖れていたことだったのだろう。人がとことん苦しい想いをしないのは、たいていは創造的精神に欠けるからにすぎない。さらにいえば、このうえなく恐ろしい現実がわれわれに苦痛とともにすばらしい発見の歓びを与えてくれるのは、そうとは気づかぬまま長いあいだ想い悩んでいたことにその現実が斬新で明快な形を与えてくれるからにほかならない」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・四・P.583~584」岩波文庫 二〇一五年)

 

汽車はすでにローカル鉄道のパルヴィル駅で停車中。アルベルチーヌはもう下車するところだ。車両のドアを開けた。その身振りが「私の心を堪えがたいまでに引き裂いた」。プルーストは「真実」という言葉を二重の意味で用いている。(1)「私の身体から二歩ほど離れたところにアルベルチーヌの身体が占めているように見える位置、それは私の身体とは独立した位置であり、その空間の隔たりは真実を描かんとするデッサン画家ならふたりのあいだに然るべく描かざるをえないはずのものである」。(2)「にもかかわらずその空間の隔たりは単なる外見にすぎず、正真正銘の現実に即して事態を描き直そうとする人なら、いまやアルベルチーヌを私からすこし離れたところに配置するのではなく、私の心のなかに配置しなければならないと言いたくなる事態」。この二重化はただ単に<私>にとっての二重化であるだけでなく同時にアルベルチーヌの二重化でもある。

 

「しかし降りようとしてアルベルチーヌがしたこの動作は、私の心を堪えがたいまでに引き裂いた。私の身体から二歩ほど離れたところにアルベルチーヌの身体が占めているように見える位置、それは私の身体とは独立した位置であり、その空間の隔たりは真実を描かんとするデッサン画家ならふたりのあいだに然るべく描かざるをえないはずのものであるが、にもかかわらずその空間の隔たりは単なる外見にすぎず、正真正銘の現実に即して事態を描き直そうとする人なら、いまやアルベルチーヌを私からすこし離れたところに配置するのではなく、私の心のなかに配置しなければならないと言いたくなる事態である」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・四・P.584~585」岩波文庫 二〇一五年)

 

そしてまた無数のアルベルチーヌの出現はこの時が最初でもない。以前こうあった。「私の心に刻一刻と相ついで浮かんだ数えきれない一連の想像上のアルベルチーヌのなかで、浜辺で見かけた現実のアルベルチーヌは、その先頭に姿をあらわしているにすぎない。芝居の長期間の講演中、ある役の『初演女優』である花形は、最初の数日にしか出ないのと同じようなものである。この現実のアルベルチーヌはほんのシルエットにすぎず、そのうえに積み重ねられたいっさいは私のつくりだしたものである」。

 

「私はアルベルチーヌをどれだけ知っているのだろう?海を背景にした一、二の横顔だけである。その横顔は、もちろんヴォロネーゼの描いた女性たちの横顔ほどに美しくはない。もし私が純粋に審美上の動機に従っていたなら、アルベルチーヌよりもヴェロネーゼの女性のほうを好んでいただろう。激しい不安が治まると、見出せるのはあのもの言わぬ横顔だけで、ほかになにひとつ所有できなかったのだから、どうして美的動機以外のものに従えたであろうか?アルベルチーヌを見かけて以来、毎日そのことで数えきれないほどの考えをめぐらし、私があの娘(こ)と呼んでいるものと心のなかでくり返し対話をつづけ、その娘に質問させたり、答えさせたり、考えさせたり、行動させたりしてきたのだ。私の心に刻一刻と相ついで浮かんだ数えきれない一連の想像上のアルベルチーヌのなかで、浜辺で見かけた現実のアルベルチーヌは、その先頭に姿をあらわしているにすぎない。芝居の長期間の講演中、ある役の『初演女優』である花形は、最初の数日にしか出ないのと同じようなものである。この現実のアルベルチーヌはほんのシルエットにすぎず、そのうえに積み重ねられたいっさいは私のつくりだしたものである。それほど恋愛においては、われわれのもたらす寄与がーーーたとえ量的観点だけから見てもーーー愛する相手がわれわれにもたらしてくれる寄与をはるかに凌駕する」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.465~466」岩波文庫 二〇一二年)

 

新しく開かれた領域。プルーストは「《未知ノ土地》」という。それは第一に「コタールがパルヴィルのカジノで私に言ったことの真相」である。

 

「だが今後の私には、新たな一日などないのだ。どの一日も、私の心に未知の幸福を求める気持を目覚めさせることはなく、ひとえに私の苦痛をひき延ばすだけで、しかも私にその苦痛に耐える力がなくなるまでひき延ばすのだ。コタールがパルヴィルのカジノで私に言ったことの真相は、私にはもはや疑いえないものになった」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・四・P.586」岩波文庫 二〇一五年)

 

パルヴィルのカジノで目撃したアンドレとアルベルチーヌとのワルツ。コタールは囁いた。「あのふたりは間違いなく快楽の絶頂に達していますよ。あまり知られていませんが、女性はなによりも乳房で快楽を感じるものなんです。ほら、ふたりの乳房がぴったりとくっついてるでしょう」。そして確かに「アンドレとアルベルチーヌの乳房は、それまでずっと密着したままであった」。

 

「『そうですね、だが娘にこんな習慣を身につけさせているなんて、親御さんもずいぶん軽率ですなあ。私なら、むろんこんなところへ娘を来させたりしません。でも、みな美人でしょうか?顔立ちがよくわからんが。ほら、ご覧なさい』と、アルベルチーヌとアンドレがくっついてゆっくりワルツを踊っているのを示して言い添える、『鼻メガネを忘れてきたんでよく見えんのですが、あのふたりは間違いなく快楽の絶頂に達していますよ。あまり知られていませんが、女性はなによりも乳房で快楽を感じるものなんです。ほら、ふたりの乳房がぴったりとくっついてるでしょう』。たしかにアンドレとアルベルチーヌの乳房は、それまでずっと密着したままであった」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.434~435」岩波文庫 二〇一五年)

 

だがしかし、ゴムラ(女性同士の同性愛)だけならこれまで何度も繰り返し示唆されてきた。ただそれがもはや動かない現実として可視化されたというに過ぎない。同じく注目したいと思うのは「ひとえに私の苦痛をひき延ばすだけで、しかも私にその苦痛に耐える力がなくなるまでひき延ばす」とある箇所。かつてのスワンがまさしくそうではなかったか。苦痛の延長を何度も繰り返し反復させていた。苦痛の解消ではなくその逆を目指しているかのように。二箇所。

 

(1)「ところが恋心に寄りそう影ともいうべき嫉妬心は、ただちにこの想い出と表裏一体をなす分身をつくりだす。その夜、オデットが投げかけてくれた新たな微笑みには、いまや反対の、スワンを嘲笑しつつべつの男への恋心を秘めた微笑みがつけ加わり、あの傾けた顔には、べつの唇へと傾けられた顔が加わり、スワンに示してくれたあらゆる愛情のしるしには、べつの男に献げられた愛情のしるしが加わる。かくしてオデットの家からもち帰る官能的な想い出のひとつひとつは、室内装飾家の提案する下絵や『設計図』と同じような役割を演じることになり、そのおかげでスワンは、女がほかの男といるときにどんな熱烈な姿態やどんな恍惚の仕草をするのかが想像できるようになった。あげくにスワンは、オデットのそばで味わった快楽のひとつひとつ、ふたりで編み出したとはいえ不用意にもその快さを女に教えてしまった愛撫のひとつひとつ、女のうちに発見した魅惑のひとつひとつを後悔するにいたった。いっときするとそうしたものが新たな道具となって、拷問にも等しい責め苦を増大させることになるのを承知していたからである」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.209」岩波文庫 二〇一一年)

 

(2)「スワンは郵便局から家に戻ったが、この一通だけは出さずに持ち帰った。ロウソクに火をつけ、封筒を近づけた。開けてみる勇気はなかったのである。最初はなにも読めなかったが、なかの固いカード状用箋を封筒の薄い紙に押しつけると、最後の数語が透けて読めた。きわめて冷淡な結びのことばである。今のようにフォルシュヴィル宛ての手紙を自分が見るのではなく、かりに自分宛ての手紙をやつが読んだら、はるかに愛情あふれる言葉がやつの目に入ったことだろう!スワンは、大きすぎる封筒のなかで揺れる用箋を動かないように押さえ、それからなかの用箋を親指でずらして、書いてある行を順ぐりに封筒の二重になっていない部分にもってきた。そこなら透けて読めたのである。それでも、はっきりとは判読できなかった。もっともきちんと読めなくても差しつかえなかった。書いてあるのは重要でない些末なことで、ふたりの恋愛関係をうかがわせることは一切ないのがわかったからである。オデットの叔父のことが書いてあるようだ。行のはじめに『あたしは、そうしてよかったのです』と書いてあるのが読めたが、どうしたのがよかったのかスワンは理解できなかった。が、突然、当初は判読できなかった一語があらわれ、文全体の意味が明らかになった。『あたしは、そうしてよかったのです、ドアを開けた相手は叔父でしたから』というのだ。開けた、だって。すると今日の午後、俺が呼び鈴を鳴らしたとき、フォルシュヴィルが来ていたのだ。あわてたオデットがやつを帰らせたために、あんな物音がしたのだ。そこでスワンは、手紙を端から端まで読んだ。オデットは最後に、あのように失礼な対応になったことをフォルシュヴィルに詫びたうえで、タバコを忘れてお帰りになった、と書いている。スワンが最初にオデットの家に寄ったときに書いて寄こしたのと同じ文面である。だが俺には『この中にあなたのお心もお忘れでしたら、お返ししませんでしたのに』と書きそえていた。フォルシュヴィルには、そんなことはいっさい書いていない。ふたりの関係は暗示する文言はなにひとつ出てこない。それにどうやらこの内容からすると、オデットはやつに手紙を書いて訪ねてきたのは叔父だと信じこませようとしているのだから、そもそもフォルシュヴィルは俺以上に騙されていることになる。要するにオデットが重視していたのは俺のほうで、その俺のために相手を追い払ったのだ。それにしてもオデットとフォルシュヴィルのあいだに何もないのなら、なぜすぐにドアを開けなかったのだろう。なぜ『あたしは、そうしてもよかったのです、ドアを開けたのは叔父でしたから』などと書いたのだろう。そのときオデットになんらやましいところがなかったのなら、ドアを開けなくてもよかったのにと、どうしてフォルシュヴィルが考えるだろうか。オデットがなんの危惧もいだかず託してくれたこの封筒を前にしたとき、スワンは申し訳ないと恐縮したが、それでも幸せな気分だった。自分のデリカシーに全幅の信頼を置いてくれたと感じられたからである。ところがその手紙の透明な窓を通して、けっして窺えないと思っていた事件の秘密とともに、未知の人の生身に小さく明るい切り口が開いたかのようにオデットの生活の一部があらわになったのだ。おまけにスワンの嫉妬も、この事態を歓迎した。嫉妬には、たとえスワン本人を犠牲にしてでも、おのが養分になるものを貪欲にむさぼり食らう利己的な独立した生命があると言わんばかりである。いまや嫉妬が糧(かて)を得たからには、かならずスワンは毎日、オデットが五時ごろだれの訪問を受けたかが心配になり、その時刻にフォルシュヴィルがどこにいたかを知ろうとするにちがいない。というのもスワンの愛情は、オデットの日課に無知であると同時に、怠惰な頭脳ゆえに無知を想像力で補うことができないという当初に規定された同じ性格をあいかわらず保持していたからである。スワンが最初に嫉妬を感じた対象は、オデットのすべての生活ではなく、間違って解釈された可能性のある状況にもとづきオデットがほかの男と通じていると想定される瞬間だけだった。その嫉妬心は、執念深い人がタコの足のように最初のもやい網を投げいれると、ついで第二の、さらに第三のもやい網を投じるのと同じで、まずは夕方の五時という瞬間に食らいつき、ついでべつの瞬間に、さらにもうひとつべつの瞬間にとり憑くのである。とはいえスワンは、つぎからつぎへと自分の苦痛を編み出したわけではない。それら一連の苦痛は、スワンの外から到来したひとつの苦痛を想い出したうえで、それを永続化したものにほかならなかったのである」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.220~223」岩波文庫 二〇一一年)

 

このスワンの態度は、経済でいう決済を延々引き延ばしていく方法とまるで違わない。マルクスはいう。

 

「私は前に(第一部第三章第三節b)、どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され、それとともに商品生産者や商品取引業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか、を明らかにした。商業が発展し、ただ流通だけを念頭において生産を行なう資本主義的生産様式が発展するにつれて、信用制度のこの自然発生的な基礎は拡大され、一般化され、完成されて行く。だいたいにおいて貨幣はここではただ支払手段としてのみ機能する。すなわち、商品は、貨幣と引き換えにではなく、書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られる。この支払約束をわれわれは簡単化のためにすべて手形という一般的な範疇のもとに総括することができる。このような手形はその満期支払日まではそれ自身が再び支払手段として流通する。そして、これが本来の商業貨幣をなしている。このような手形は、最後に債権債務の相殺によって決済されるかぎりでは、絶対的に貨幣として機能する。なぜならば、その場合には貨幣への最終的転化は生じないからである。このような生産者や商人どうしのあいだの相互前貸が信用の本来の基礎をなしているように、その流通用具、手形は本来の信用貨幣すなわち銀行券などの基礎をなしている。この銀行券などは、金属貨幣なり国家紙幣なりの貨幣流通にもとづいているのではなく、手形流通にもとづいているのである」(マルクス「資本論・第三部・第五篇・第二十五章・P.150~151」国民文庫 一九七二年)

 

こうある。「このような手形は、最後に債権債務の相殺によって決済されるかぎりでは、絶対的に貨幣として機能する。なぜならば、その場合には貨幣への最終的転化は生じないからである。このような生産者や商人どうしのあいだの相互前貸が信用の本来の基礎をなしているように、その流通用具、手形は本来の信用貨幣すなわち銀行券などの基礎をなしている。この銀行券などは、金属貨幣なり国家紙幣なりの貨幣流通にもとづいているのではなく、手形流通にもとづいているのである」。この場合、<苦痛>は延々と引き延ばされる自転車操業に等しい。だが資本主義にとってこの苦痛(受難)は<公理系>のさらなる付加によって乗り越えられていくものだ。ドゥルーズ=ガタリのいうように少なくとも乗り越えられてきた。

 

「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない。こうして、《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第三章・P.303~304」河出書房新社 一九八六年)

 

次の記述もまたアルベルチーヌの変容の一つだが、今度はその「背後に見える」ものについてである。「もはや海の青い山脈ではなくモンジュヴァンの寝室」に置き換えられる。

 

「アルベルチーヌの背後に見えるのは、もはや海の青い山脈ではなくモンジュヴァンの寝室で、アルベルチーヌはそこでヴァントゥイユ嬢の腕に抱かれ、官能の歓びから聞きなれない音を漏らしながら笑っているのだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・四・P.586」岩波文庫 二〇一五年)

 

モンジュヴァン。ヴァントゥイユの家がある。「大きな沼のほとりの、やぶに覆われた土手を背にして立つ」陰影漂う暗いところ。ところがこの暗さには途方もない力がある。フロイトがニーチェから引用して名指したような暗黒の<エス>。

 

「比喩をもってエスのことを言い現わそうとするなら、エスは混沌(こんとん)、沸き立つ興奮に充ちた釜(かま)なのです。われわれの想像では、エスの身体的なものへ向かっている末端は開いていて、そこから欲動欲求を自分の中へ取り込み、取り込まれた欲動欲求はエスの中で自己の心理的表現を見出すのですが、しかしどんな基体の中でそれが行われるのかはわれわれにはわからないのです。エスはもろもろの欲動から来るエネルギーで充満してはいます。しかしエスはいかなる組織をも持たず、いかなる全体的意志をも示さず、快感原則の厳守のもとにただ欲動欲求を満足させようという動きしか持っていないのです。エスにおける諸過程には、論理的思考法則は通用しません。とりわけ矛盾律は通用しません。そこには反対の動きが並び存していて、互いに差し引きゼロになったり、互いに譲り合ったりすることなく、せいぜいそれらは支配的な経済的強制のもとでエネルギーを放出させようとして妥協しているだけです。ーーーエスの中には時間観念に相当するものは何も見出されません。すなわち時の経過というものは承認されません。そして、これはきわめて注目すべき、将来哲学によって処理されるべき問題だと思われますが、そこには時間の経過による心的過程の変化ということがないのです。エスの境界線を決してふみ越えることのなかった願望興奮や、同時にまた抑圧によってエスの中へ沈められてしまった諸印象は、潜在的には不死であって、数十年経った後でもまるで新たに生じたかのような状態にあるのです」(フロイト「精神分析入門・下・P.290~291」新潮文庫 一九七七年)

 

自然と労働力、そしてすべての<欲望>としての<エス>がある。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて66

2022年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

新月なので月はまったく見えません。が、西の空にひときわ明るく見える星があります。

 

「名称:“火星”」(2022.10.23)

「帽置いて田舎駅長夜食かな」(池内友次郎)

 

いつもだんまりで動かない蛙が動いていました。小さな羽虫を狙っているようです。

 

「名称:“アマガエル”」(2022.10.23)

「いなづまやきのふは東けふは西」(其角)

 

また少し移動しました。同じ角度から撮ってみましょう。

 

「名称:“アマガエル”」(2022.10.23)

「終夜(よもすがら)秋風きくや裏(うら)の山」(曾良)

 

二〇二二年十月二十三日午後八時頃撮影。

 

最寄駅の方向へ歩いてみましょう。

 

紅葉し始めた桜が見えてきました。

 

「名称:“桜”」(2022.10.24)

「出替(でがわり)や幼ごころに物あはれ」(嵐雪)

 

「名称:“桜”」(2022.10.24)

「我やどのかたじけなくも花見哉」(土芳)

 

二〇二二年十月二十四日午前九時頃撮影。

 

参考になれば幸いです。