#016制作は、いつになく失敗が多く(もちろん全てリカバリーしましたが)、しかしその分、学ぶことも多くありました。と同時に、仕上がりを確かめ音を出した時に「あっ、こういう事だったのか」と腑に落ちたことがあります。思い出したのは、美学者・佐々木健一氏の一節です。
「美しさというものは人間がつくり出すことができるものではなくて、人間が最大限の努力をした結果、恵みとして与えられる効果なのです。だから、人間は美をつくり出すことができないとまでは言いませんが、少なくとも計算してつくり出すことはできない」(*)
完成させた時の、自分自身での率直な感想は「あれっ、思ったより、いいじゃん」でした。独りよがりではなく、割と客観的な評価として「いい」と思えたのです(絶対的な客観などはあり得ませんが…)。いいものを作ろうと意図し、そこに至るべくなけなしの技術で奮闘はしましたが、緻密な計算をしたわけではなく「できるだけ綺麗な仕上がりに、音はこんな感じで」くらいの、漠然としたイメージと希望的観測を持っていたに過ぎません。これまで作ったギターも、多分そうだったのだとは思いますが、今回は特に「計算してつくった訳じゃない」ということを、改めて実感したのです。
それは、佐々木氏が言う「恵みとして与えられる効果」であり、失敗に挫けず仕上げた事への「恩寵」なのかもしれません。単なる自画自賛と言われればそれまでですが…。何はともあれ、ようやくできて、肩の荷が一つ降りました。
(*)爆笑問題・佐々木健一「爆笑問題のニッポンの教養:人類の希望は美美美」講談社(2008年)p34
対談の中で、佐々木氏は次の様なコメントもしています。
「僕の好きな話に、聖書の創世記があるんです。神様が六日間かけて世界をつくって、人間をつくって、創造が終わって七日目に休む。(中略)そこで神様が自分でつくった世界を眺めた。そうしたら、『できあがった世界が非常によかった』と聖書に書いてあるんです。でも、神様は全知全能なので、つくる前からいいものができるに決まっているはずなんですよ。見なくたっていいものだって分かっているはずなのに、いちばん最後に世界をみるとよかったと。それがどういう意味かというと、美しさとは、見て初めてよさが分かるということだと思うんです。何かをつくって、その全体がほんとにいいものかどうかは、美しさによって測っているということなんですよ。美しさはつくり出せない。全知全能で、いろいろな可能性を考えて最上のものを選べる創造主であっても、出来栄えは見て確かめるしかない。美しさっていうのは、けっきょく計算を超えたもの、知性を超えたものなわけですね。(中略)芸術家も、ほんとうに美しいものができた時は、まるで自分がつくったものではないかのようなものとして、美を経験するんじゃないかと思うんです」(前掲書 p113-115)
「美しさというものは人間がつくり出すことができるものではなくて、人間が最大限の努力をした結果、恵みとして与えられる効果なのです。だから、人間は美をつくり出すことができないとまでは言いませんが、少なくとも計算してつくり出すことはできない」(*)
完成させた時の、自分自身での率直な感想は「あれっ、思ったより、いいじゃん」でした。独りよがりではなく、割と客観的な評価として「いい」と思えたのです(絶対的な客観などはあり得ませんが…)。いいものを作ろうと意図し、そこに至るべくなけなしの技術で奮闘はしましたが、緻密な計算をしたわけではなく「できるだけ綺麗な仕上がりに、音はこんな感じで」くらいの、漠然としたイメージと希望的観測を持っていたに過ぎません。これまで作ったギターも、多分そうだったのだとは思いますが、今回は特に「計算してつくった訳じゃない」ということを、改めて実感したのです。
それは、佐々木氏が言う「恵みとして与えられる効果」であり、失敗に挫けず仕上げた事への「恩寵」なのかもしれません。単なる自画自賛と言われればそれまでですが…。何はともあれ、ようやくできて、肩の荷が一つ降りました。
(*)爆笑問題・佐々木健一「爆笑問題のニッポンの教養:人類の希望は美美美」講談社(2008年)p34
対談の中で、佐々木氏は次の様なコメントもしています。
「僕の好きな話に、聖書の創世記があるんです。神様が六日間かけて世界をつくって、人間をつくって、創造が終わって七日目に休む。(中略)そこで神様が自分でつくった世界を眺めた。そうしたら、『できあがった世界が非常によかった』と聖書に書いてあるんです。でも、神様は全知全能なので、つくる前からいいものができるに決まっているはずなんですよ。見なくたっていいものだって分かっているはずなのに、いちばん最後に世界をみるとよかったと。それがどういう意味かというと、美しさとは、見て初めてよさが分かるということだと思うんです。何かをつくって、その全体がほんとにいいものかどうかは、美しさによって測っているということなんですよ。美しさはつくり出せない。全知全能で、いろいろな可能性を考えて最上のものを選べる創造主であっても、出来栄えは見て確かめるしかない。美しさっていうのは、けっきょく計算を超えたもの、知性を超えたものなわけですね。(中略)芸術家も、ほんとうに美しいものができた時は、まるで自分がつくったものではないかのようなものとして、美を経験するんじゃないかと思うんです」(前掲書 p113-115)