ゴールデンウィークの初日ということで29日にどこかへ行こうと思った。
岩手日報を読んでいたら「山の駅 昭和の学校」の記事があり、ちょっと興味をそそられた。廃校に昭和レトロな品物が大量に展示してあるらしく、それは花巻の山の神温泉に行く途中にある。何かを見て、昼ご飯を食べて、温泉入って帰ってくる、というのを大まかな目標に定めているので、そういう意味では文字通りである。
最近は、温泉といっても、ただ温泉ではなく、サウナ付きが必須とは言わぬまでも、かなり重要な要素になっている。
かねてから行ってみたかった御所野縄文公園は、子ども会のレクリエーションで、娘が小学1年生の時にカミさんと娘は訪れたことがあるのだが、オレはない。んでまあその頃はまだ世界遺産に指定されていなかった頃なので、なんか変わってたりするのかも知れない。まあ変わっててもオレはわかんないんだけど。
で、この、北へ行くか南へ行くか、まあどっちでも良いんだけど、いずれにしてもあんまり混んでいないところを目指したい。カミさんとオレでジャンケンをして、どちらに行くか決めることにした。オレが勝った。しかし担当が北だったか南だったか忘れた。カミさんは覚えていたようで、オレが勝ったら北と言うことだったらしい。直前のことを忘れる最近。
でまあ、悠久の歴史を感じられる御所野縄文公園へ。温泉は奥中山高原温泉。当然のことながらサウナもある。
到着すると、ちょうど良くガイドツアーの始まるところで、数組の観光客と一緒に公園を回ることになった。近場から来てるのはウチらと滝沢の人。牛久から来ている人がわかったのは、ガイドさんの最初の質問からだった。
「一戸の木ってあるんですが、皆さん、ご自分のお住まいになってるところの木わかります?」
そんな話の流れで牛久の人がいるとわかった。まあ牛久の木はわからなかったみたいだが、キンモクセイのようだ。ネット調べ。ちなみに一戸の木はネット調べだとナラと出てくるが、ガイドさんはコナラと言っていた。
盛岡の木はナンブアカマツかキリかと思っていたら、それは県で、盛岡市の木はシダレカツラだという。ちなみに県の木がアカマツで花がキリ。ちなみに盛岡の木はネット調べだとカツラ。シダレカツラは実は突然変異種で、岩手県くらいにしかない。そしてシダレカツラは全てクローンである。
そんな話をしながら、広大な公園に復元された土屋根の竪穴式住居の点在する、なだらかな丘を歩いて行く。この集落は約5000年前から4200年前の800年間使われていたらしい。その頃は縄文海進の真っ最中で、このあたりもかなり温暖だったようだ。次第に縄文海退となり、この広大な集落は捨てられ、分散していったようだ。
集会所っぽいところを復元したのがこちら
二股に分かれたところに梁を乗せるという作り方はしていたらしい。竪穴式住居が数件焼かれている状態で発掘されたものがあり、それは疫病のせいで焼かれたようだという。というのも、土屋根の竪穴式住居はそう簡単に燃えないらしく、不注意で全焼するモノでもないのだとのこと。なんでそんなことがわかったかというと、竪穴式住居を復元して燃やす実験をしたからだそうだ。
復元してから2年待ち、燃やしてみたら、なかなか燃えないので、中に追加で燃料となる木や茅などを足さないといけなかったらしい。流石に世界遺産になるくらいだから、その発掘や検証にかける情熱と予算たるや素晴らしい。
だって作って2年待って、それ燃やして、なかなか燃えないから燃料足して、わかったのは、自然に焼けたりしたんじゃなくて、人為的に焼いたらしいということ。うーむ、こういう情熱大好き。
ここの縄文集落は、お墓を中心に、各家々の入り口がお墓を向いて開いているという。埋葬地は平らに整地され、山からや川からの石を配置してお墓にしているらしい。
多様な木の実を栽培していたこともわかっていて、ハシバミの実はヘーゼルナッツだと教えてくれた。その他ケンポナシとかニワトコとかちょっとなじみのない木の実も活用していたみたいで、ちょっと食ってみたいと思った。
外の遺跡を見終わると、やはり博物館の方も見たくなる。土器や土偶があるのだ。お昼にはなっていたのだが、クルミ最中を食べて一時しのいで博物館もコンプリート。マルツ工房の土偶手ぬぐいを自分へのお土産で買う。
十二分に堪能して昼食をどこにするか検討。すぐ近くに「うらら亭」という古民家レストランがあるらしい。古民家好きとしては行っておかねばなるまい。そんなわけで行くことにしたが、長くなったのでそれは次回。座敷わらしもいるのだという。
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