旧知のK先生が、その職を辞してフリースクールを始めるという。前々から「オレ、50になったら辞めますんで」と言っていたのだが、有言実行というわけだ。
K先生との出会いは震災の年に遡る。学校ワークショップを当時勤務していたO本中学校に呼んでくれたのだ。
学校ワークショップとは、当時文科省かなんかの助成をもらって、盛岡市文化振興事業団がやっていた事業で、演劇ワークショップを県内各地の学校に出前するというモノ。O本中学校は、全校生徒38名の小さな中学校で、震災で校舎が被災したため、内陸のI泉中学校に間借りしているという特殊な状況だった。
ひとつの校舎に2つの中学校が入っているというのは、なかなかお目にかかれないレアケースだろう。生徒数はI泉の方が倍以上で、なんというか、隅っこに間借りしてるよ、という感じだったろうか。
そんな小さい方の学校で演劇ワークショップをやっていたら、その様子を見たI泉中のI先生が「これはいい!」と思ってくれたらしく、翌年、I泉中にも呼んでくれた。
結局、K先生とI先生と親しくなり、以降赴任する学校にワークショップを呼んでくれたりするようになり、たまに芝居も見に来てくれるようになったりした。
そんなわけで、K先生の動向はよくわかっていたのだ。準備期間に相当の時間を費やし、あちこち精力的に根回しし、開校にこぎ着けた。場所は、令和4年に閉校した旧H泉小学校。土地建物一切を無償で借り受け、令和6年4月7日(日)に「虹の学園」開校式が挙行されたのだ。
その開校式の後、学校全体も一般公開されるというので、んじゃ、ということで、事業団の担当だったNさんとI先生とともに花泉に車を走らせた。当初は、まあ開校式終わったあたりの11時頃着を目指していたのだが、K先生が「いや、学園長入場が見所なんですから、それまでに来てくださいよ!」と当日の朝にNさんに連絡が入ったらしく、急遽10時の開校式に間に合うように出発することになった。
学園長は盛岡の弁護士さんで、「虹の学園」開校の趣旨に賛同して、いろいろと動いてくれた方らしい。
その学園長は、なんと牛車に引かれて、水色の鮮やかなセネガルの衣裳を着て登場した。
なんで牛車でなんでセネガルの衣裳か?
どうやらセネガルの衣裳は、K先生が学生時代しばらく滞在していたときに手に入れたモノらしく、牛車は平泉町の義経公東下りに使われる短角種の雄牛だという。その牛は、この学園で世話を請け負うことになったらしく、そんなわけで牛車でセネガルなのだった。
開校式では司会はK先生自らがマイクを持ち、一関市議やら、教育長やらがあいさつし、回りにはキッチンカーが並び、クラウンやシャボン玉のパフォーマーがいたり、なんというか、縁日のような賑やかさだった。
開校当初は20人ほどの不登校の子たちを預かるという。遠くは北上までお迎えに行くそうだ。近年、コロナ禍をきっかけに激増しているという不登校。その選択肢としてフリースクールは重要な受け皿になっていくだろう。K先生の今後を見守りつつ応援したい。
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