これまで震災関連のテレビ番組や新聞を含めあらゆる報道を見てきました。ある意味現実味がないのでしっかり後世に伝えようとかそうではなくて、自分に言い聞かせるためでもあったように思うのですが、今日の番組で思わぬことが起こりました。
石巻市で歌手のクミコさんが当日のコンサート前に被災し一晩を採石場ですごし、その際にラジオから流れる言葉に勇気づけられたというものです。「停電で暗い夜ですが、知らない人同士でも助け合って夜明けまで頑張りましょう。夜明けまであと数時間です」というもの。
当時我が家は水が出ない以外は何不自由なく、水も断水の前に鍋類に汲んでおいたので困ることもなかったし、風呂の水でトイレは流せました。プロパンガスだったことも幸いしたし、電気が来ていたのでテレビでの報道も見逃すことがありませんでした。町の反対側は停電ですぐに避難所に移った人もいたし、隣町では何も知らされないまま体育館に集められ、翌朝待機していたバスに移り西へ北へ移動していたのです。
友人は何も知らずに南相馬の職場から大熊町に戻りだれ一人いないところで呆然としたとか。そりゃそうです。やっと出会えた通行人と会話をして、西に逃げたらしいという情報だけを頼りに避難所めぐりをしてやっと田村市の避難所で家族と出会えたとか。
その間我が家ではのんびりカップめんの朝食をとり、ある程度の荷物を積んで避難の準備をしていました。犬に餌をやり・・・・・。猫を連れ。体育館は寒いからとズボンを二枚履かせ、上着も厚手の物を持ちました。ボウリングの景品のジュースが三箱あったのでそれも積みました。お菓子は沢山あったのでそれも積みました。ゲーム機もPCも積みました。
その後も何回か帰宅しある程度の物は持ち出せたのでもう未練もないのですが、本当にこれで良いのかどうか急に不安になり、パニックを起こしてしまったようです。
ようです・・・というのはこれを打ち込んでいる今は落ち着いているからで、息子に「なんで?」と聞きまくり、娘に「私は間違えてないよね?」と確認し、二人からもう寝たら?と諭され、終わったことを悔やんでも意味ないから。と案外冷たい言葉。
子供の方が現実を知っているのかあきらめが早いのか順応性があるのか?
休日には新築におく家具を見に行きたいというと「それがいいね」と子供たちは賛成。
ここで夫であるツレが出てこないのは・・・・会話がずれるのが目に見えているし、頼れるのは子供だけなんですよね。情けない話。
今日だけは好きな酒を飲んでも良いよと言われて少し飲みました。その代りその酒が抜けてから薬を飲むようにと言われましたがもう遅い。睡眠薬と一緒に酒を飲んだし~。
でODはしてないから・・・・。大丈夫でしょう。
PTSDかしら?サイレンの音は震災後からダメです。携帯の緊急地震速報もダメ。津波の警報音もダメ。救急車のサイレンも嫌。警察のパトカーサイレンはまだ大丈夫。
鬱だしなあ。どうしよう。どうしようもないか。
沢山の人と触れ合える趣味を持てば?と言われていますが、見た目ものすごく社交的なので自分で自分に戸惑ってます。あれ?私ってそんなに弱かったかしら?
ま、いいか。
そんなこともあるな。と今は落ち着いていますが、心臓の鼓動は早く、周りも早い。せかされている感じがしてパニック障害も加わったら、双極性統合失調症からどこまで進むのかしら?
入院したらもっと酷くなるだろうなあ。でも、考えをやめたい。
じゃ、報道番組や雑誌の類を見なければいいのにと思うんですけど、気になる。
帰れない街。帰れない家。
津波で流されたと諦めて新しい家具を購入することにします。リセットしよう!