浪江町は常磐線で上野から乗り換えなしで行ける駅だ。何度か改装されているが今の駅舎は三代目なのかな?昔は木造であったことを覚えている。街中に紡績工場が進出し一躍浪江駅は町の中心地区になった。それまでは漁港のある請戸地区のほうが栄えておりその中心商店街は幾世橋地区になっていたそうだ。但し当時の住民の反対により線路を引くことはなかった。
国鉄時代からさまざまな電車に乗ってきたが、いつも不思議に見ていたのは線路わきの旧路線だ。トンネルもある。鉄橋もある。
広野町には童謡の歌碑が残されていていわき側から広野に向かう景色を歌ったものだと紹介されている。一瞬で過ぎてしまうが以前はとてもどきどきする瞬間だった。
いわき駅から富岡までは海岸線を走る。国道も同様でトンネルが多い。単線なので待ち合わせが多く各駅停車は原ノ町駅で40分停車するなんてざらだった。
今はどうなっているのか?広野までは開通した。北は南相馬の原ノ町駅から相馬までは開通した。それ以北終点は仙台だが果たしていつになるのか?新地・鹿島あたりは津波で大きな被害があったので従来の場所での復旧は難しいだろう。しかしいわき市に行けないとなると仙台方面にしか活路はない。常磐道路も未工軌間が多いので早急の対策が必要だろう。
草に埋もれた線路をみるとこのまま廃線になるのかなと悲しく思う。
現在居住している町には温泉電車が走っている。福島交通飯坂線だ。幾たびの変遷を経て現在の形に保たれている。無人駅も多く、チケットを車掌に渡し切符を貰う。なかなか情緒がある。福島駅までは30分くらいか。22時過ぎまで走っているので東京出張の時も便利だ。
浜通りがいかに陸の孤島なのかと思いやられる。福島からなら新幹線で1時間30分で東京まで着く。以前は上野から浪江まで三時間半かかったのだから前泊後泊は当たり前だった。今は日帰りが出来るので楽な分、デパートめぐりが出来ないのでちょっとストレス。何もなければ家族の了承を得て遊んでくる。というよりも本社が中野なので官公庁めぐりがあるのだ。結構あるくので翌日は足がむくんで痛い。いかに車社会に慣れたのかがわかる。
さて、新幹線も良いものだが、景色は二階席じゃないとつまらない。なのでなるべくMAXの二階席グリーン席を確保するようにしている。先日は東京から乗って白河駅で貸切になった。それはそれでちょっと不気味だが・・・・。
各地を旅行し乗り鉄なので結構うれしいこともある。しかし地元の大動脈が廃線まじかというのは気が気でない。せめて中通までの線路を引けない物かと思う。
いわき駅から磐越東線はあるがいわき駅に行けないのだからどうしようもない。南相馬の原ノ町駅からか相馬から115号線沿いに線路を引くか、双葉・大熊の警戒区域をさけつつ郡山までの線路をつくるか。なんとか住民が住みよいインフラ整備をしてもらいたいと切に願う。
といっても、それがないからこの飯坂町に新居を建てる気持ちになったのだ。進学を考えるとどうしても仕方がないのだ。幸い良い業者なので頑張って貰おう。
早く進めば六月末には引き渡しが出来るとか。ああ!うれしい。
三順目の一時帰宅ではまた少し物を持って来ようと思う。お宝の白鷹お召とアンティークのノリタケの食器。ロイヤルアルバートのコーヒーカップ。ペルシャ絨毯。飛騨匠の応接セット。新品の夏タイヤ。
ツレが持ち出したいのは56インチのテレビ。一台か荷台なら余裕で詰めるだろう。さて置き場所は・・・・従妹の家を借りようか。それしかないもんね。それ以外だと貸倉庫か。庭にも小さな物置は必要だろう。山土のままの庭になるので今からバラの苗を選んでいる。
鉄道の話からそれたが、常磐線に揺られて通学した思い出ももうなくなるのかと思うと寂しいが、今度は温泉電車を楽しもう。