実家の母から届いた美味しい『宅配便』
父が育てたナスやゴーヤ、そして冬瓜、家で採れた大粒の栗、
地元の美味しいお米とお味噌屋さんの味噌
大きな大きな新高梨、そしてグリーンコープのケースに入っているのは“きおうらん”(貴黄卵?輝黄卵?)
私の大好きな福岡の、自然の恵み満載です。
いつもいつも。
こんないいトシになっても変わらず。
両親からの、気持ちがいっぱいいっぱい込められた
ありがたく、嬉しい、温かい贈り物。
娘として、未だに心配をかけてばかりの
自分の親不孝さをつくづく思い知らされます・・・
いつもいつも、ごめんね。
そして、本当にありがとう・・・。
普段は、もうすっかり一人前の大人になった気がして
何でもできるよ!なんて、自分なりにしっかり生活しているつもりで。
帰省したときに顔を見る両親に対しても
“やっぱり、年をとったな・・・。そろそろ私たちがしっかり支えてあげなきゃいけないのかな・・”
なんて思ってたりして。
でも、こんな時、パッと目を醒まされる。
自分の意思で、自分の力で、あちこち飛び回ったり駆け回ったりしている毎日もきっと、
お釈迦様の手の上の孫悟空みたいなもの
なんだろうな。
父と母、そして家族や周りのたくさんの人たちの
大きな大きな愛情という掌の上で飛んでいる。
孫悟空みたいにお転婆な少女時代を過ごしたおサルさんみたいな野生児は
やっぱり未だに悟空か
そういえば、たまーに輪っかがしめつけられて
頭痛かったりするしねぇ
・・・三蔵法師が誰かは知らないけれど・・・
明日の夜はお釈迦様の深い愛情に感謝しながら
秋の恵みの美味しい晩御飯を作るぞぉぉぉぉ
ひと足先に職場を去った、大切な友人のたらこちゃんから頂きました
あひるのコロコロマッサージ。
うーん、超プリティ
たらこちゃん、ホントにありがと~
これまでに、何度か転職をしてきて。
その度に、出会いと別れを繰り返し・・・。
実は私、職場を去るとき、いままで一度も
「さようなら」
と言ったことがない。
「お世話になりました。今まで本当にありがとう。
そして、これからもどうぞよろしく。
じゃ、またね。」
いつも、この言葉で、その職場を後にしてきた。
物理的にどんなに離れてしまっても、
本当に大切な人とは、心の一部でずっとずっと繋がってる。
だから、サヨウナラなんて、決して言わない。
そんな想いから。
恋愛だってそう。
別れても、その人のちっちゃいちっちゃい欠片みたいなものが
思い出としてちゃんと存在してる。
未練とかではなく、懐かしい幸せな記憶の一片として。
もう、連絡を取ったり、会ったりすることはないけれど。
歩む道は離れてしまったけれど、どうかお幸せに。と。
心のどこかで、いつも祈ってる。
本当は。
失うということに対する強い不安や抵抗感と強い恐れ、
そして、
いつまでも“大人”になれない臆病で淋しがりの弱さをごまかすための
自分への言い訳。
強がりと詭弁だということも、分かってる。
でも、
現実を直視するばかりが
人生じゃないよね。
特に、大切な人との繋がりは
オブラートに包んだように。
そうっと、そうっと。
半分夢を見続けていたい。
大好きな今の職場の仲間たちと、
美味しいお酒を飲んで騒いだり、バカな話で盛り上がったり
そんな瞬間。
「今までありがとう。お世話になりました。
これからもどうぞよろしくね。
また、会おうね」
“これまで何度も繰り返してきたこのセリフを。
今月末、また言葉にするのかな”
そう考えて
切なさと、圧倒的な幸福感で
胸がきゅうぅぅぅっと、しめつけられる。
あぁ・・・人生って
素敵なものですねぇ