皆さん こんにちは。愛知ボラセン代表の久田です。
ゴールデンウィーク中盤ですね。皆さん いかがおすごでしょうか?
本日(5月3日)、私が勤める東海高校はレクリェーション大会のため出勤です。
それでも、ブログを書くような時間はとれるのんびりとした空気の職員室です^^;
たいへん遅くなりましたが、十八成活動100回となる4月11日~13日の第115回ボランティアについて報告します。
2011年5月、長期的に応援できる関係を探るべく牡鹿半島の30箇所以上の避難所をすべて訪問
愛知ボラセンが始めて十八成浜を訪れたのは、2011年5月21日。避難所の老人憩いの家に応援物資を持っての訪問でした。
2011年4月、愛知ボラセンは石巻市の湊小学校で毎週土曜に新品の応援衣類などを提供していました。
その時、牡鹿がひどいから牡鹿に行ってほしい、と石巻市内の何人もの方々から話を伺いました。
そこで、5月の連休明けから事務局長の久世を中心にして、牡鹿半島にあった30ヶ所を超えるすべての避難所を、
応援衣類をもって訪問することにしました。
あわせて、長期的な応援活動を続けるために、被災地の行政区と直接の関係を築きたいと考えていました。
一方、代表の私(久田)は気仙沼市小泉浜や南三陸町歌津の名足(なたり)地区での瓦礫撤去の活動を4月末から実施。
瓦礫撤去のノウハウを学び、瓦礫撤去に必要な資材を購入していました。
そして、私は名足で区長さんや地元の方々との関係を築きつつありました。
2011年6月11日(土) 遅れた焼きそば
~迷惑ボランティア! 待ってたのよ、焼きそばじゃなくて、あなたたちが来てくれるのを~
6月11日に、愛知県の中高校生280人が参加する中高校生ボランティアを組織。
十八成をはじめ、鮎川、小渕、寄磯、渡波、名足などの各地で中高校生がボランティア活動をしました。
十八成浜では高校生による焼きそばの炊き出しを行いました。
しかし、恥ずかしいことに段取りが悪く、焼きそばを提供する時間が大幅に遅れてしまいました。
その時、「迷惑ボランティアだ!」といわれました。
また、午後遅く焼きそばを届けにいった所で、「待ってたのよ。焼きそばじゃなくて、あなたたちが来てくれるのを」ともいわれました。
2011年6月25日(土)、縁あって、十八成浜での瓦礫撤去活動開始
震災から3ヶ月たった6月中旬。私が活動していた気仙沼市小泉浜や南三陸町歌津ではすでにかなりの瓦礫が撤去されていました。
しかし、十八成浜の瓦礫はほぼ手つかずの状況でした。
そこで、焼きそばの提供が大幅に遅れたことへの“リベンジ”の思いで、
十八成浜での瓦礫撤去活動を、故後藤区長さんや避難所の皆さんに申し出ました。
6月25日。大型バス3台、100人を超えるボランティアさんで十八成浜での瓦礫撤去が始まりました。
最上段の写真が2011年6月25日の十八成浜の様子です。
この時、愛知ボラセンのスタッフはかなりの緊張感を持って、十八成浜での活動に取り組みました。
「やれるもんなら、やってみろ」という視線を感じたとスタッフの一人は語っています。
名足か、十八成浜か 久世が十八成浜を強く提案
実は、この頃、代表の私が関係を築きつつあった南三陸町・歌津の名足地区との関係を深めていくか、
久世が関係を築きつつあった十八成浜との関係を深めていくかを検討しました。
そして、久世は十八成浜での活動を進めて行きたいと強く提案しました。
この時からでした。愛知ボラセンが十八成との関係を本格的に深めていこうと考えたのは。
そして、2年10ヶ月後の今日、十八成浜100回目の訪問を迎えました。
愛知ボラセンはこれからも十八成浜の被災者の皆さんへの応援を続けて参ります。
さて、二人の女子大生ボランティアさんの感想を紹介する形で、第115回の活動報告をさせていただきます。
まずは野間さんから^^
現地ボランティア。宮城県石巻市牡鹿半島十八成浜。愛ボラ、くぐなりでの活動100回目です!
震災から3年経ち、門脇では嵩上げが進んでいました。
宅地も盛り土して造成するらしいですが、果たしてどれだけの世帯が戻ってくる意思をもっているのかは分かりません。
石巻市門脇地区では、阿部典子さんと優輝くんが会いに来てくれました(。-_-。)
忙しい中、朝早く来てくれて、本当に嬉しかったです(。-_-。)
くぐなりでの活動、私は心配りA班(老人憩いの家近く)でした。
一軒を除き住民の方は在宅で、元気なお顔を拝見することができました。
時間いっぱいまで一軒一軒のお宅でのんびりお話させてもらいました。
また鮎川の仮設に住む方が畑仕事にいらしていて、
親切にも畑を奥までみせてくださり、しいたけをいただきました!いい笑顔だったなあ(●^ω^●)
A地区には仮設住宅はありません。でも家があるからよかったね、では決してありません。
多かれ少なかれコミュニティに歪みが生じてしまっているという意味は、身を以て感じました。
担当地区にお弁当を届けた後は、談話室で日用品の当たるビンゴ大会と他己紹介ゲーム!
みんなの笑顔 自然に始まる手拍子、笑い声の溢れる空間でした。
ここにしかない、ここでしか生まれない、楽しい楽しい時間でした。
午後は三姉妹が私の相手!
老人憩いの家の裏、男子禁制の秘密基地に案内してもらい、
もえ店長に男子の相手の仕方、またお肌の手入れについても教わりました。ためになります。
もえちゃんも4月から大原小学校たった一人の一年生。
優しく強く たくましく 美しく成長してください。
だから時に厳しく そして心から優しく、ずっとずっと見守り続けます(●^ω^●)
また帰ろう!それからこれから、伝えていこう!
お見送りお出迎え。
邦子さん恭一さん、くぐなりのみなさん、のれん街のみなさん、いつも本当にありがとうございます。
また帰ります(。-_-。)❤︎
つづいて、高瀬実恵さんの報告です。
4月11日~13日。第115回現地ボランティア。
わたしの第二の故郷である、石巻・十八成浜に帰りました。里帰りです。
1ヶ月半ぶり。少し日が空いてしまったなーと思うことは、たぶん普通じゃないです(笑)
でもわたしにとっては、なんだか久しぶりの十八成でした。
愛知ボランティアセンターは、3年前の6月に、大きな失敗をきっかけに十八成浜を活動の拠点とすることを決めました。
それから約7,000人のボランティアさんの想いが繋がり、今回、十八成浜での活動が第100回目を迎えました(^^)
そのため今回は仮設の談話室で、十八成のみなさんと一緒に楽しいイベントが行われました((o(^ ^)o))
ビンゴ大会と他己紹介ゲーム!!
ビンゴでは、なんとわたしいちばんにビンゴしてしまいました(笑)
ちなみに2番目は、のまななこでした(笑)
しかし、どんなに早くビンゴしても、ボランティアたちの商品は、無条件で「なないろ小町(あられ)」なのです\(^o^)/笑
でも十八成のみなさんがお米や洗剤など「豪華賞品」をどんどん獲得していく姿はとっても楽しかったです(^ν^)笑
他己紹介ゲームでは、何度もお会いしていたはずの十八成のみなさんでも、
この人はこんな人だったんだなーと思うことがたくさんあって、みなさんともっともっと仲良くなりたいと思いました(^ν^)
ゲーム中は笑い声や笑顔がたえなくて、和気あいあいとしててとっても楽しかったです。
何より、十八成のみなさんがずっと笑っててくれることがとても嬉しかったです。
あと!!!3姉妹!!!これまでにないくらい、とっても元気でした\(^o^)/
おかげでとっても疲れました\(^o^)/笑
男子禁制のひみつきちごっこしたり、 恒例になりつつある だるまさんの1日したり、海沿いを冒険みたいに歩いたり。
たくさん遊んでもらいました(^^)笑
何より末っ子もえちゃんが久しぶりに仮設から出てきてくれたことがとっっってもうれしかったですo(^ ^)o
活動を終えてバスに乗るときは、なんだか無性に寂しかったです。
十八成にいられることが幸せすぎて、この幸せがずっと続いたらいいなあとしみじみ思いました。
わたしたちボランティアは、みなさんの辛い記憶や、
これからの不安を全て取り除いてあげることも、町の復興を目に見えた形で進めることもできないけれど、
わたしたちボランティアと過ごした時間の思い出や、
次はどんな楽しいことが待ってるんだろうって楽しみな気持ちが、
少しでもみなさんの支えになっていたらいいなと思います。
そのすみっこにずっと関わっていきたいし、
何よりわたしもみなさんと一緒に笑っていたいから何度でもここに帰ってくるんだなーと思いました。
3年はたったけれど、まだまだここから。
これから始める人も、今更なんてことは絶対にない。
どんなに月日が流れても、
どんなに風化が進んでも、
わたしはずっと東北に向かう足を止めません。(^^)
そう思えるのは間違いなく、 十八成浜と愛知ボラセンのみなさんに出会えたから。
みなさん今回も本当にありがとうございました\(^o^)/
人は沢山集まるととても、大きな力になると強く感じています。人は自然には到底かなわないですが私はボランティアを通じ継続的に参加したいと思っています。ありがとうございました。
既に震災から3年が経ち、直後のいてもたってもいられない気持ちからは落ち着いていたのですが、一度その場に立たねばという気持ちで参加しました。
そこが瓦礫の山であったことはとても実感できずもっと早く来なかったことを悔やまれましたが、今まで続けて来たみなさんの活動の積み重ねと、長い期間支援を続けて行く大変さをとても感じました。
いろいろ考えてしまいがちですが、シンプルにまたみなさんに会いたくなったら十八成浜に行きたくなったら参加したいと思います。
WEB未来へのキオクでもう一度見行った地域を直してみます。
震災から四ヵ月後に敢えて東北を旅行した事はあり(今回の様に弾丸日程)石巻も訪れた事はあったのですが、津波被災地に足を踏み入れたのは始めての経験でした。
ニュースで見た戦場のような光景は、不自然なほどに広い更地となり、白い乾いた土とやけに広い空が印象に残りました。瓦礫の処理が終わり、仮設住宅の建設が終わり、高台移転の話が進む・・・
ひとつひとつ区切りを迎える度にボランティアの活動する領域は狭まり発展的解消を遂げて行くのだと思いますが、久田代表はじめ愛知ボランティアセンターのスタッフの皆様の驚異的なバイタリティーは、狭まっていく隙間の奥深くに力強く浸透し、私のような役に立つ知恵もスキルもない平凡な人間に活動出来る場を与えて頂き、とても心強く感じました。
震災直後のボランティア活動は今よりも緊迫した状態で、参加する側に求められるものも今日とは違い過酷だったかと思いますが、長期的に活動を継続する事でボランティア活動の敷居はいい意味で下がり、様々な環境に置かれた人に参加出来るような仕組みが出来つつあるのもスタッフの皆様の努力のおかげであると思いました。
今、十八成浜で行っている活動は厳密に言えば被災地支援というよりは高齢化過疎地域の支援といったものに当てはまるかもしれません。
近視眼的な物の見方をすれば「もうボランティに頼らなくても最低限の基盤は出来た」と思う人もいるのかもしれませんし、ボランティアに頼る事に抵抗を感じる人、そもそも支援される必要の無い人もいるかもしれません。
でも長いスパンで見据えた時に限界集落の十八成浜の将来は明るいとは言えず、それら問題を解消すべく愛知ボラセンの皆さんの活動が必要であるのだと思います。
ここで何もしないと、誰も住むことの無い閑散としたただの入江となってしまうのは明らかであり、恭一さんもその事を危惧しているようでした。
漁港が無い代わりに、十八成浜を支えてきたのは海水浴や鳴き砂で有名な砂浜に訪れる人々であった訳で、故郷から人の気配が無くなる事ほどつらいことはないのだと思います。
今回は桃源郷プロジェクトのお手伝いをさせて頂きましたが、いつか完成した際には再びこの地を訪れたいと思います。
でも再訪するには必ず生きていないといけません。邦子さんが代弁してくださった亡くなった方々からの「生きてください」という我々に対する願いに応えるべく生きて元気に再訪し、皆笑顔で当時の事を語り合えればいいなと思いました。